「鉄道の旅人」さんのブログ一覧
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2020年04月24日 22:51 コメント 2 件 名鉄線の廃線の思い出……揖斐線①
前回までのブログでは谷汲線を紹介しました。 では今回からは揖斐線の話ですね、まずは簡単に歴史を振り返ります(=゚ω゚)ノ 揖斐線は1914年(大正3)に岐北軽便鉄道の手により忠節ー北方間が開通したのがはじまりです。その後1921年(大正10)に美濃電気軌道となりました。 それから1926年(大正15)に美濃北方ー黒野間が開通しました。これは当時の谷汲鉄道が黒野ー谷汲間を開通させた日と同じです。そして1928年(昭和3)に黒野ー本揖斐間が開業して全通しました。 名古屋鉄道揖斐線となったのは1930年(昭和5)でした。 そして2001年(平成13)に黒野ー本揖斐間が廃止されて、その後2005年(平成17)に忠節ー黒野間も廃止となってしまいました( ;∀;) 今日の写真ですが、 1枚目……起点の忠節駅と揖斐線の路線図のコラージュ写真です。現在のこの場所には駅があった形跡は全く無くて、別会社のスーパーが立っているようです。 2枚目……終点の本揖斐駅舎とホームです。1928年の開業時のものですが、なかなかモダンな駅舎なのではないでしょうか。 この駅舎も現在は取り壊されていて、跡地はバス停と駐車場になっているようです。 3枚目……名鉄のモ510形という形式で1926年(大正15)製の電車でございます。現在の名鉄岐阜駅と揖斐線の忠節駅の間は路面電車で結ばれていて乗り換えが必要でした。 でも線路は繋がっていたので、1967年(昭和42)にこの電車を使って名鉄岐阜の路面電車のりばから本揖斐までの直通運転が開始されたわけです。 その後は新型車も出てきたので予備車扱いとなり、2005年(平成17)に揖斐線が廃止になったのに伴って廃車となりました。 実に80年近く稼働していた電車なんです(=゚ω゚)ノ では次回も揖斐線の話になります!(^^)!
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2020年04月21日 21:45 コメント 7 件 名鉄線の廃線の思い出……谷汲線③
では今回は谷汲線を走っていた電車の走行写真を添付させていただきました(=゚ω゚)ノ 電車の形式はモ750形と言いまして、1928年(昭和3)製でございます。2枚目の写真に車内の写真を添付しました。 この電車、実は我が町を走る名鉄瀬戸線が繁華街栄町に乗り入れる前に名古屋城のお堀を走っていて、お堀の電車と呼ばれていた頃に瀬戸線を走っていたものです。 この時の車体は緑色だったんですよ(^ω^) 栄町に乗り入れる前に電圧が600V→1500Vと昇圧された際に、こちらへと移ってきたのでありました。 そして2001年(平成13)の谷汲線廃線の後は廃車となりました。 この電車は谷汲昆虫館となった元谷汲駅と、名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅から歩いて約5分程のところにある瀬戸蔵ミュージアムに保存されています。 さて黒野ー谷汲間の廃止後は代替バスが走っていたのですが、更に乗客が減少したようで2005年(平成17)に廃止となったのでこの区間は公共交通機関で行くことができなくなりました。 公共交通機関で谷汲まで向かおうとする場合は大垣から樽見鉄道に乗って谷汲口駅で下車して、揖斐川町のコミュニティバスで10分程度かかる行き方と、大垣から養老鉄道に乗って終点の揖斐駅まで行ってから、揖斐川町のコミュニティバスで30分程度かかる行き方があります。 ただしどちらも本数は少ないので行く前には下調べをしておく必要がありますね(=゚ω゚)ノ 名鉄谷汲線は名鉄の路線の中でもっともローカルムードが漂う路線だったような気がします。 そんなローカルムードが漂う谷汲線は大好きな路線でしたので廃止になるという話を聞いた時は大変ショックでしたね。 もっともっと沢山出かけて沢山写真を撮っておけばよかったと思います(・_・) ではでは、次回は黒野駅で接続していた名鉄揖斐線の話になる予定でございます(=゚ω゚)ノ
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2020年04月17日 21:48 コメント 8 件 名鉄線の廃線の思い出……谷汲線②
さて、今回の写真は谷汲駅でございます(=゚ω゚)ノ 1枚目のコラージュ写真は廃止間近の谷汲駅とホームです。 1996年(平成8)に開業当初から使用していた駅舎を建て替えたものです。谷汲村昆虫館が併設されていました。 2枚目の写真ですが、これも谷汲駅のホームです。 谷汲線は名鉄の路線の中では積雪量が多いところでした。確かこの位置でフラッシュを使うのと使わないのを1枚ずつ撮影したら、フラッシュを使った方がこの様に撮影できたのです(ちょっと記憶は定かでないです(;^ω^)) なかなか良い感じなのではと思い、コラージュしないで添付してみました。 3枚目のコラージュ写真は1996年(平成8)に建て替える前の谷汲駅です。これが開業当初の駅舎とのこと。 谷汲駅は1926年(大正15)に谷汲鉄道が黒野ー谷汲間を開通させた時に開業しました。 そして1996年(平成8)に谷汲村昆虫館が併設された近代的な駅舎となりましたが、その5年後の2001年(平成13)に谷汲線の廃線とともに駅も廃止となりました( ;∀;) この駅舎は現在も谷汲昆虫館として残っています。そして旧ホームにはモ750形(写真の赤い電車)とモ510形という形式の電車が保存されています。 ここから谷汲山華厳寺までは歩いて10分少々といったところでしょうか。 当時は揖斐郡谷汲村でしたが、平成の大合併で現在は揖斐川町となっております。 では次回は谷汲線を走っていた電車の走行写真を添付して話をさせていただきます(=゚ω゚)ノ
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2020年04月14日 23:26 コメント 13 件 名鉄線の廃線の思い出……谷汲線①
さて愛知県ではコロナウィルスの感染拡大が目立ってきたという事で独自で緊急事態宣言が出されました。隣の岐阜県と三重県でも緊急事態宣言が出されて不要不急の外出や移動の自粛を求めました。 これにより愛知県下のパソコン市民講座の教室も臨時休講となってしまいましたね(;^ω^) 僕のブログは鉄道にまつわることや旅をテーマとして書いておりますが、ネタが無くなってしまいました( ;∀;) 宣言前は三密に気をつけて隣の県まででかけてネタを拾ってきたのですが、この状況下では出かけるわけにもいかないので(と、いうか怖い気もするので)、過去に紙の写真で撮影したものからネタを拾ってブログを書いてみようという次第です( ..)φ デジカメ写真講座でスキャンを習っておいてよかったというべきでしょうか(●^o^●) 愛知県と岐阜県にかけて総営業距離444.2kmに及ぶ路線網を持つ名古屋鉄道。実は以前岐阜地区に市内電車等の路線が走っておりました。 これらの路線の話をしていきたいと思います。先ずは名鉄谷汲線です(=゚ω゚)ノ 名鉄谷汲線は谷汲山華厳寺への巡礼客を運ぶのを目的として、谷汲鉄道により1926年(大正15)に黒野ー谷汲間が開通しました。 その後1944年(昭和19)に名古屋鉄道となりました。 しかし巡礼客は多かったのですが沿線は人口が少なくて山の中を走る超閑散路線でかなりの赤字があり、2001年(平成13)で廃止となってしまいました(T ^ T) 今回の写真は…… 1枚目…谷汲線の起点だった黒野駅とその構内。 揖斐方面への接続駅で構内は結構広かったです。 2枚目…現在の黒野駅だった所の様子(ネットから拝借) 整備されて黒野駅ミュージアムとなり、駅舎とホーム の一部が残されていて、当時の資料もあるようです。 3枚目…黒野の次からの谷汲線の駅です、長閑ですね~♪ 次回は終点の谷汲駅の話になる予定です(=゚ω゚)ノ
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2020年04月10日 22:12 コメント 16 件 お花見して鉄分補給(=゚ω゚)ノ
先週ぐらいでしたか、プレミアブログに関西私鉄と桜のコラボ写真をあげた方がいらっしゃいました( ..)φ それを見かけた僕は名鉄瀬戸線の車窓から桜が見ることができるあるポイントを思い出しました。思いつくと気になってしまいましたので、数日前にそのポイントに出かけてみました(=゚ω゚)ノ 名古屋の栄町から尾張旭を通って尾張瀬戸までの20.6キロを結ぶ名鉄瀬戸線でございますが、名古屋の繁華街栄町を出発して次の東大手までが地下駅でそこから名古屋市東区にあります矢田までの約5kmほどが高架区間なのであります。 東大手を出た電車はそこから高架に上がり次の清水、尼ケ坂、森下、大曽根と高架駅となるその区間は春になりますと両サイドに桜の木が咲き誇り、電車に乗っていると上から桜の木を眺めることができるのです。 今度は下からも眺めて見たいものだとかねがね思っていました。 そこを今回は上からも眺めて下からも眺めて、その周辺を散策してみたのです!(^^)! 尾張旭駅から瀬戸線に乗り込んで、下車したのは尼ケ坂駅です。そこで撮影した写真をコラージュにしたのが1枚目でございます。電車を入れての上からと下から見たところです(^ω^) さてこれだけの桜並木と電車のコラボ写真を撮ってみたいと思い、入ることのできる高いマンションを探して撮影したのが2枚目の写真です。(ちなみにこのタイプの写真を数枚撮影しましたが敢えてコラージュ写真にはせず1枚にしてみました) 地元の雑誌等でこのアングルの写真をよく見かけていて、自分でも撮影してみたいと思っていたので念願がかなったわけですヽ(^o^)丿 清水ー尼ケ坂間の高架下は2019年3月に商業施設が1期分としてオープンし2期分が2020年3月にオープンしています。 「SAKUMACHI商店街」と名付けられて、おシャレなお店が並んでおります。 (3枚目のコラージュ写真) 桜のピークは過ぎていましたが、まだまだ見応えはありましたね♪ 今回は入りませんでしたが、「SAKUMACHI商店街」のおしゃれな店でくつろぎながらお花見するのも悪くないですね(^ω^)
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2020年04月07日 21:54 コメント 4 件 京都の龍安寺の石庭のもとになったらしい…
では商家竹屋を出た後、少し町中を歩いて竹屋の案内人の方が話していた京都の世界遺産である龍安寺の石庭のもととなったお庭のあるお寺に向かいました。 御嵩駅を起点とすると歩いて10分少々かかるところにそのお寺はありまして、名前は愚溪寺(ぐけいじ)といいます(=゚ω゚)ノ 大智山愚溪寺…… 入口にあった説明板によると、1432年頃に臨済宗妙心寺派の義天玄承が先師の足跡をたどって、鈴が洞の地に愚溪庵を開創したのが始まりとのこと。 その後1504年~1521年の永正年間に愚溪寺となり、東美濃における名刹として名を残しています。そして江戸時代の1830年~1844の間に現在地に移転されたらしい、駅から10分少々で行ける距離ではなかったということですね( ..)φ そこにある石庭が龍安寺の石庭のもととなったわけですね。 ちなみに京都の龍安寺は1450年(宝徳2)に細川勝元が建立して、義天玄承が初代の住職であります(1枚目のコラージュ写真) 2枚目のコラージュ写真は町中の銀行と郵便局で見つけた福寄せ雛でございます(=゚ω゚)ノ 銀行の商品について学んでいるようですね。 竹屋の案内人によると、来年のひな祭りは福寄せ雛を更に拡大させる計画があるとのこと。もっともっと色々なことをしでかすひな人形がいると思うので楽しみではありますね(●^o^●) 3枚目のコラージュ写真は御嵩町の玄関駅、名鉄広見線御嵩駅です(=゚ω゚)ノ 1952年(昭和27)に開業した駅で2008年(平成20)に無人化となり翌年に駅舎は御嵩町の観光案内所となり現在に至ります。 名鉄広見線犬山ー御嵩間のうち、新可児―御嵩間が廃線の危機となっていて地元では活性化協議会を結成して存続のために頑張ってオリマス!(^^)! 実は6,7年ぶりに御嵩に来たのですが、その頃から存廃問題に揺れておりました。油断は禁物なのですが廃止されること無く2020年も走っていることはなによりでございます(=゚ω゚)ノ 来年は更にパワフルになりそうな御嵩の福寄せ雛ですので、名鉄広見線で再度御嵩の町を訪れて見に行きたいものです、色々と楽しみですね~(^ω^)
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2020年04月03日 21:37 コメント 11 件 さて、こちらの福寄せ雛は何してるかな♪
中山道みたけ館をあとにして、隣にあります商家竹屋という建物に移動しました(=゚ω゚)ノ この建物は主屋が1877年(明治10)頃の建築と推定されていますが、江戸時代の建築様式を色濃く残す建物となっております。主屋から奥に進んでいくと茶室や土蔵もあります。 茶室は1903年(明治36)以降、土蔵は大正年間に建築されたと推定されております。このうちの「主屋」と「茶室」が御嵩町指定文化財となったとのことです。 入場は無料で、江戸時代の建築様式を残す貴重な資料館となっております( ..)φ さてこちらでも福寄せ雛が展示されているのですが、早速入口付近の窓の所でぶら下がっていて歓迎を受けました( *´艸`) 中に入ったところにも沢山いて歓迎を受けましたね。 主屋は靴を脱いで上がって、部屋を見学することが可能です。上がってみると展示物の周りには、こちらにも見学に来たひな人形がいっぱいいらっしゃいました!(^^)! こちらではノーマルに飾られたひな人形もございます。 ちょっとびっくりしたのは竹屋ではライブと寄席が開催されていて、こちらでは大勢のひな人形が楽しんでいたことです ヽ(^o^)丿 ライブは五人囃子がいる~と思って、よく見ると三人官女の一人が混ざっているところが「クスッ( *´艸`)」ときました。 どちらも大盛況のようですね♪ この後は町を散策してから、商家竹屋の案内人の方から世界遺産の京都の龍安寺の石庭の原型となったと言われる庭を有するお寺があると教えてもらったのでそちらへ向かいました。 その話は、次回のブログです(=゚ω゚)ノ
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2020年03月31日 21:13 コメント 12 件 お雛様も座っているばかりで逆に疲れますね
皆さん、「福寄せ雛」というのがあるのをご存知ですか…… 家庭の事情により、痛みや汚れのないのに不要とされて人形供養等で処分されるのが多くなってきたひな人形に再び活躍の場を作ろうと、名古屋の主婦が考案したものなのだそうです。 そして2011年(平成23)に初めて一般公開されました。 それから数えて今年は第10回めになります(=゚ω゚)ノ 名古屋市をはじめ、愛知県・岐阜県・鳥取県・フランスという地域で全25会場の開催となったそうです。 今回はその中で今年初参加となった岐阜県の御嵩町まで、その「福寄せ雛」を見に行ってまいりました(#^^#) 中山道の宿場町として栄えた御嵩町…… 全国で、その土地ならではのひな祭りが開催されているのですが御嵩町周辺も「御嶽宿・伏見宿のひなまつり」が毎年開催されていまして、今年からは「福寄せ雛」プロジェクトにも参加することとなったのです。 町を散策して、福寄せ雛の飾られている所を回ってきました。 今回の写真は御嵩町の歴史が学べるという「中山道みたけ館」にあった福寄せ雛のものです。 普通に飾られたひな人形もあったのですが、館内のところどころには沢山の福寄せ雛が展示されていましたので、それを2枚目と3枚目の写真にまとめてみました(=゚ω゚)ノ 麻雀をしていたお雛様やコロナウィルスの騒ぎもあって、マスクをしたお雛様がいました( *´艸`) 初めての福寄せ雛ということもあってか、御嵩町関連のパンフを持ちながら展示物を拝見していた方が(⁉)多くいらっしゃいましたね(≧▽≦) 僕も展示物を見たんですけど、パンフを見ながら展示物を見ているお雛様に目がいってしまって内容が全く入ってこなかったですね( *´艸`) 他にも撮影した「福寄せ雛」があるので、次回のブログでも紹介しますね(=゚ω゚)ノ
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2020年03月27日 21:35 コメント 7 件 お雛様ギャラリー 気になったお店♪
では(=゚ω゚)ノ 本日二本立てでいかせていただきますm(__)m さて、岩村の古い町並みには日用品販売や飲食店、お土産等のお店が色々と並んでいます。 今回は岩村土産にいかがですか?というものを販売しているお店2店舗を紹介します(=゚ω゚)ノ 松浦軒本店(1枚目のコラージュ写真) 創業1796年(寛政8)で、名物はカステーラです(カステラとは発音しないみたいですね)。 このカステーラは江戸時代に岩村藩専属医師である神谷雲澤先生が蘭学を学ぶために長崎に赴いた時にカステーラの製法も学んできたのだそうです。その方が岩村藩に帰ってきて松浦家に伝授されたものとのことです。 カステラはふわふわ感があって美味しいイメージがありますが、こちらのカステーラは若干固めな感じで庶民的な味がする気がします。 店舗の奥には、やはりひな人形が……Σ(・ω・ノ)ノ! 岩村醸造(2枚目のコラージュ写真) 創業1787年(天明7)、当時現在の蔵元である度會家が年貢として岩村城に納めていたお米を生かして造り酒屋を始めたのが起源なんだそうです。 酒蔵と店舗の間を酒や米の運搬に使われたトロッコの線路跡が店内に残っているのが印象的です。ここで販売される主力のお酒の銘柄が「女城主」といいます(=゚ω゚)ノ 今回はひな人形だけ拝見して帰ってきましたけど、次の機会の時は酒造見学して「女城主」を買って味わってみたいものです。 さて、この岩村の古い町並みの一部が朝ドラの「半分、青い」のロケで使われていましたね(3枚目のコラージュ写真) 恵那市岩村町…… 名古屋からさほど遠いこともなく古き良き時代を味わうことができる町ですね。 今回岩村城に上るところまではいかなかったですが、時間を作って再び行ってみたいものです。 そして古き良き時代の町並みもまた訪れる機会を作って、時を忘れて浸っていたいですね(●^o^●)
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2020年03月27日 21:33 コメント 0 件 お雛様ギャラリー いわむら城下町編♪
今回は昔からの雰囲気を伝える建物三ヵ所に展示されていたひな人形をそれぞれGIF動画にまとめてみました(=゚ω゚)ノ 先ず1枚目が柴田家「いわむら美術の館」です。 その名前の通り元々は柴田家の建物で、明治時代の典型的な住宅形態なのだそうです。 2003年(平成15)にいわむら美術の館として整備されて、当時の雰囲気を味わうことができると同時に岩村出身の画家である原田芳洲の作品が展示されております。 色々なひな人形が飾られていました、そしてこの地方では明治から大正にかけて土人形の生産地であり消費地だったらしく、土ひなを飾る風習があってその土人形も並べてありました。 2枚目は勝川家です。 屋号を「松屋」といい、江戸時代末期から台頭した商家です。岩村の子供たちが作ったねんどのひな人形が飾られていたり、御殿付きのひな人形、あと享保びなもありました。 ここには金魚と一緒にひな人形が飾ってあるスペースがありました。江戸時代ではひな人形と一緒に金魚を飾っていたとのこと。「金魚のように華麗に瑞々しく、悠々と人生を渡れるようにとの願い」や「金魚は富と幸運を招き、風水ではあらゆる災難を魚のため」などの説があったためだったとか。 3枚目は木村家です。 こちらは江戸時代中期から末期に栄えた問屋なんだそうで、藩が財政難になる度に御用金を調達して危機を救ってきたとのこと。 今回はお雛様をじっくり拝見させていただきましたが、建物としても貴重なものばかりなのでひな祭りの時期以外に行って建物をじっくり味わってみたいものです(^ω^)
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