「鉄道の旅人」さんのブログ一覧
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2020年08月07日 23:48 コメント 6 件 下北交通大畑線②…動態保存と幻の大間線
さて2001年(平成13年)3月をもって廃止となった下北交通大畑線ですが、その後鉄道の趣味を持つ航空機関連会社の社員の集まりの働きかけによって大畑線で走っていたキハ85(旧国鉄キハ22)3両が旧大畑駅で動態保存されることになりました(=゚ω゚)ノ 旧大畑駅舎は下北交通バスの大畑出張所となっており、バスの待合室に使われております。そして構内はそのまま残っており、ここで毎年5月~10月の第三日曜日に大畑線キハ85動態保存会が定期運転会を開いております。でも今年度はコロナの影響で当分開催未定だそうです( ;∀;) 現在の大畑駅周辺は1枚目の写真ようになっております。(駅舎と列車の写真は自前です(=゚ω゚)ノ) 実は大畑線はあのマグロで有名な大間まで建設の計画があったようなんです( ..)φ 下北半島は明治時代日本の国防上重要な地点で軍港があった陸奥湾側の大湊まで1921年(大正10)に鉄道が開業していました。 そして大間にあった海軍の要塞強化に伴う資材運搬用として、むつ市の下北駅から大間までを結ぶ鉄道として計画されたのです。その第1期として開業したのが大畑線(下北~大畑間)でした。 大畑から北の下風呂というところまでも着工して路盤の大半が完成したのですが1943年(昭和18)に戦時中の資材不足のために工事中止となりました。 その後、大間から対岸の北海道函館市の戸井というところまで鉄道による海底トンネルで結ぶ計画もあったのですが、地質的に不適切だったことから現在開業している西側ルートとなって大間線は幻となってしまいました( ;∀;) 現在でも下風呂付近までは所々にアーチ橋等の遺構が残っていて、下北半島北の果てにある下風呂温泉街にあったアーチ橋は整備されて遊歩道となっており駅ホーム風の休憩場には足湯があって観光資源となっています。 3枚目の写真は1991年8月24日に大間に訪問した時のものです。 結局は青函トンネルは津軽半島側からアプローチして完成したものですが、距離が近いということで野辺地から下北通って大間に至り、海底トンネルで函館と結ぶ計画もあったわけです。こちらに決まっていたとしたら、下北半島が今とはまた変わっていたのかもしれません(=゚ω゚)ノ
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2020年08月04日 22:44 コメント 2 件 下北交通大畑線①…本州最北端だった鉄道
青森県の下北半島…… 現在ここを走る鉄道路線は野辺地から分岐して大湊までのJRの大湊線だけとなっております。 かつては大湊の一つ手前である下北駅から下北半島を縦断して津軽海峡側に出て大畑という町まで結ぶ下北交通大畑線という鉄路が存在しておりました(=゚ω゚)ノ 下北交通大畑線 1939年(昭和14)に国鉄大畑線として下北ー大畑間18㎞が開業しました。 乗客の減少等により、1980年に国鉄再建法が成立すると第一次特定地方交通線に指定されました。これは赤字なので国鉄としては引き受けられないから、どうするかはその地域で話し合って決めてくださいという事です。 地方によっては第三セクター会社を設立して鉄道経営を引き継いだり、鉄道を諦めてバス転換をしていました。 大畑線の場合はバス転換になりかけてなりかけていたところ、野辺地ー七戸間の鉄道路線を持つ南部縦貫鉄道が大湊線とセットでの経営ということで手を伸ばしてきました。 その動きをみて下北半島を地盤とする下北バスが自分たちの地盤を脅かされると危機感をいだいて、下北交通と名前を変えて1985年(昭和60)に鉄道路線として大畑線を引き継ぎました。 特定地方交通線に選定された路線で、鉄道経営となったところは第三セクタ―会社設立して運営しているですが、この下北交通はバス会社が鉄道経営を引き継いだ唯一の例でがゴザイマスφ(..) 当然鉄道経営のノウハウは無いのでバス事業で関係のあった京浜急行電鉄の指導を受けていたとのこと。 ですが、その後の経営は厳しくて車両や施設の老朽化も相まって2001年(平成13)に廃止となってしまいました( ;∀;) 僕が訪れたのは1991年8月24日と1994年の4月12日の2回になります。と、いう事は写真の人物は約30年程前の僕でございます(#^.^#) 田名部駅からは観光スポットである恐山に行くバスがあったり、終着の大畑駅では又更に下北半島の先である大間まで行くバスが出ています。 では次回のブログも下北交通大畑線関連の話です、実は大畑駅から大間までも鉄道を作る計画があったのです(=゚ω゚)ノ
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2020年07月31日 23:16 コメント 7 件 聞いたことがありそな、タイトルですな。
このところコロナ感染者がまた増加傾向にあって不安な気持ちが再び芽生えてきている今日この頃ですね(;^ω^) やはり初心にかえって手洗いうがいを忘れないように心がけるしかないのでしょう。 コロナウィルスの影響で大打撃を受けている交通関係、観光業がある中で5月に僕のブログで銚子電鉄の奮闘ぶりを書いたことがありました。そして再度銚子電鉄に関するニュースがありましたので、今回またブログで書いてみることにします(=゚ω゚)ノ さて銚子電鉄はコロナウィルスの影響でかなりの減収になってしまい、ぬれ煎餅等の副業で頑張っています。 「まずい棒」という商品を生み出したり、アパレル業界にも進出したりと鉄道以外の色々な業界に進出したりしました。 そして今回新たな業界に進出したのですが、それがなんと「映画」でございます \(^o^)/ タイトルは「電車を止めるな!」です、何だかよく似たタイトルの映画がありましたよね( *´艸`) そう、低予算ながらも大ヒットした映画「カメラを止めるな!」にあやかっております。銚子(ちょうし)だけに「超C(ちょうしー)級映画」と銘打っているのです(^^)/ この映画の興収は老朽化した変電所の改修に使われるとのことなので映画をヒットさせてその資金を稼ぎたいところでありますね。 物語としては、イベントとして企画された「お化け屋敷電車」で心霊現象を演出していたはずが本当に心霊現象が起こって…… そこから物語が展開していくようです(=゚ω゚)ノ 本当は昨年の夏公開予定だったんですが、更に作り込んで時間をかけた事とコロナ禍の影響で2020年8月末の公開となりました。 取り敢えず現在5ヶ所での上映が決まっているそうですが、上映してくれる映画館を募集しているのだそうです。 (その5ヶ所とは千葉で二ヶ所、あと秋葉原と函館と上越市です。) 興味を抱いた方は「電車を止めるな」のホームページがありますのでチェックしてみて下さいな(=゚ω゚)ノ 今のところ、中部地方で上映する予定がないのが残念ですね… コロナ禍で上映が難しくなる可能性もありますが、愛知県下で上映されるようでしたら見に行ってみたいものです♪ ※なお今回の写真の素材は、全てネットから引用しました(=゚ω゚)ノ
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2020年07月28日 23:52 コメント 10 件 いつの間にか、最古参になってしまった…
以前のブログで名鉄のブルーリボン賞受賞車両として取り上げました車両に6000系というのがありました。 本日はその6000系の話をしてみることにします(=゚ω゚)ノ 6000系というと1976年(昭和51)から運用が始まった名鉄では戦後初と言ってもいい本格的な通勤用の電車でアリマス。 それまで名鉄はライバルがマイカーだったことからゆったり座って行けるということを売りにするために2扉でクロスシート(枕木方向に椅子が並ぶもの)にこだわった電車を運用していました。 ところがオイルショック以降鉄道を利用する人が急増して、2扉クロスシートの電車では対応しきれなくなってきたことから製造されたわけです( ..)φ 本格的な通勤電車といっても、そこは2扉クロスシートにこだわり続けた名鉄です、側面は特急電車を思わせるような連続窓を採用します。 そして車内は窓にカーテンをつけて車端部以外はクロスシートにしています。車内も特急電車を思わせるような雰囲気にしています。 このことが登場時は画期的なものだったということで1977年(昭和52)に通勤電車として初めてのブルーリボン賞を受賞しました\(^o^)/ この電車は1985年(昭和60年)まで増備が続けられたので、例えば連続窓だったのを開閉式に変更したといった色々なバリエーションが存在しています。 この6000系のクロスシートなんですが、乗降がスムーズになるように通路の幅を広くとったためなのかシートの幅が狭くなっております。その上座り心地が良いという印象がありませんでしたね(;^ω^) そんな評判を聞いたのかどうかは知りませんが、1985年ごろからロングシート(線路の方向に席が並ぶもの)に変更されていきました。 この6000系は我が町を通る瀬戸線にもやってきたことがあり、銀色ボディの4000系に統一される前まで活躍しておりました。 現在でも名鉄の色々な線区で活躍してオリマス(=゚ω゚)ノ 登場して今年で44年… 気が付くと名鉄の最古参車両になっていました(・_・) 車体が更新されたものもあるので、まだまだ活躍してくれることでしょう。 ※尚1枚目の写真だけ、カタログから引用しました。
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2020年07月24日 22:38 コメント 1 件 尾張旭駅のむかしといま
僕の住んでいる尾張旭市の中心駅が名鉄瀬戸線尾張旭駅でアリマス(=゚ω゚)ノ 現在の尾張旭駅は橋上駅でホームが2面3線あり、付近に車庫があるため折り返しの電車も設定されていて瀬戸線の中では規模が大きい駅となっております。 周辺にあるのは市役所等の行政施設・公共施設や住宅街といったところでしょうか。 尾張旭駅は1905年(明治38)4月に瀬戸自動車鉄道の開業時に、当時の東春日井郡新居村に設置されたことから「新居」駅として開業しました。 1922年(大正11)4月に「旭新居」駅に改称しました。 1970年(昭和45)12月に尾張旭市制施行されて翌1971年(昭和46)11月に「尾張旭」駅となりました。そして1994年(平成6)10月に現在地に移転して橋上駅化されて、翌1995年(平成7)には急行停車駅に昇格しました。 さて開業時の駅は現在地より100m程名古屋寄りにありまして、昭和に入ってからオシャレな2階建ての駅舎に建て替えられました。当時の瀬戸電気鉄道は沿線の観光地化を目指していたらしく、瀬戸電沿線に尾張三大弘法が建立されたり江戸時代初めごろに築造されたため池である維摩池には池畔にヨーロッパ風の愛宕食堂が営業していて、池にはボートや屋形船が浮かんでいたとのこと(・_・) ちなみに尾張三大弘法とは第一番が小幡緑地公園内に、第二版は良福寺(印場元町)に第三番は退養寺の東の丘にある新居の弘法像です。三ヵ所の中では新居の弘法さんが一番大きいですね。 旭新居の駅舎ですが、尾張旭市制施行された頃に取り壊されてしまいました。この頃僕は幼稚園ぐらいだったと思いますが、かすかにこの駅舎があったことは覚えています。このあと1984年までは駅舎があったところは更地でありホームだけの駅でした。 この旭新居の駅舎を確かめたく、写真を探していたのですがご覧の通り見事見つけることができました(^ω^) 尾張旭には観光地のイメージは無かったので昭和初期の頃は観光地化していたことは意外に感じましたね。 以前、周辺は田んぼて囲まれていた尾張旭駅でしたけど駅も大きくなってガラっと変わりました。 それでも自然に親しむことができて住みやすい尾張旭でございます\(^o^)/
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2020年07月21日 21:48 コメント 19 件 2020年の尾張旭市田んぼアートは…
今年も尾張旭市の田んぼアートの時期がやってきましたよ~(^^)/ ここ数年、この時期に僕のブログで尾張旭市の田んぼアートの作品を紹介してたのですが…… 今年は新型コロナウィルス感染拡大防止のために、2020年(令和2)の田んぼアートは中止になってしまい紹介することができなくなりました( ;∀;) 尾張旭市では、JAあいち尾東が主催となって尾張旭市制40周年である2010年(平成22)から実施しています。 城前町の田んぼが会場となっており、直ぐ近くにある城山公園旭城4階展望室から最もきれいに見えるように設計されています。 田んぼアートは農業保全事業の一環として、田んぼや畑といった農地に目を向けてもらって農業に興味を持ってもらうことを目的としているとのこと。 毎年テーマを決めて、尾張旭イメージキャラクター「あさぴー」を中心としたイラストを描いております。JAあいち尾東による指導・管理のもと、近くの名古屋産業大学の皆さんにご協力をいただいて、市とJAと大学が連携して田植えと稲刈りを実施しています。 2020年度の各地の田んぼアートは実施している所もあるようですが、やはり新型コロナウィルス感染拡大防止のために中止になったりするところもあるようです。ちなみに一番有名な青森県の田舎館村の田んぼアートは今年中止なんだそうです(=_=) 2021年(令和3)は素晴らしい尾張旭市田んぼアートの作品が見ることができるように、コロナに怯えない生活ができることを祈りたいものです(・_・) では今回は2010~2019年の作品を並べてみましたのでご覧になってみてくださいまし(=゚ω゚)ノ
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2020年07月17日 23:10 コメント 13 件 名鉄北アルプス号物語(=゚ω゚)ノ
ちょっと前の僕のブログで名鉄のブルーリボン賞受賞車両の話をしていた時に8000系という気動車が登場していました。 これは以前名鉄が特急「北アルプス号」としてJR高山本線に乗り入れるために製造された列車でした。 2001年(平成13) に廃止されましたが、今回はJR高山線本線に乗り入れていたこの列車の話をしてみましょう。 名鉄の高山線乗り入れは戦前から始まっているようです。 遡ること1932年(昭和7)10月から柳橋ー下呂間で直通運転が開始されました。当時の最新鋭電車が柳橋から押切町を通って鵜沼まで自力で走ってから、高山線の客車列車に併結されて蒸気機関車で牽引されていきました。 その後富山まで運転されるようになりましたが、1943年(昭和18)頃には戦況が悪化して乗り入れは中止になります。 そして1965年(昭和40)に高山線直通用のキハ8000系が製造されて、神宮前―高山間に準急「たかやま」として運転が開始されました。翌1966年(昭和41)は急行「たかやま」となり、この年ブルーリボン賞を受賞しました。運転区間も高山から飛騨古川まで延長されました。 1970年(昭和45)には「北アルプス」に改称されて、運転区間を飛騨古川から富山を通り越して富山地鉄の立山まで直通運転を行うようになったんです。(4月~11月の季節運転で冬季は飛騨古川まで、三つの鉄道会社をまたぐというとても珍しいものです。) そして1976年(昭和51)には特急に昇格しました♪ 1984年(昭和59)には立山乗り入れは廃止となって飛騨古川までの運行に戻ります。 1989年(平成元)にJRが高山本線の特急列車に新型車両が導入されるとさすがに外見や性能において見劣りするようになり、名鉄も8500系という新型車両を導入しました。 それから2001年(平成13)には「北アルプス号」は廃止となり名鉄の高山線直通の歴史もこれにて終わってしまいました( ;∀;) 8000系はそのまま廃車でしたが、8500系はこのあと福島県の会津鉄道で活躍してから今ではマレーシアのボルネオ島で走っているとのこと… ちょっと変わり者だった列車と言えるでしょう、結構好きな列車でした。また是非復活してほしいものです(=゚ω゚)ノ ※なお今回の写真は全てネットからです。
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2020年07月14日 22:05 コメント 13 件 お寺参りに御朱印帳、鉄道巡りに鉄印帳♪
最近ですが「御朱印」を集めるのが流行っていますね。 「御朱印」とは、神社・寺院において、参拝者向けに押印される印章・印影のことです。そしてそれをもらうために使用する帳面を「御朱印帳」といいます。 「御朱印」は参拝した証としてもらうものという気がします。そんな自覚が無く横柄な態度を取る方も中に入るので困ったものですが(;^ω^) そしてお城の「御朱印」版である「御城印」なるものもでてきましたね。 そして2020年7月10日からは鉄道の「御朱印」版である「鉄印」を集める「鉄印帳」が販売されました\(^o^)/ これは全国の参加する40社の第三セクター鉄道が用意した「鉄印」なるものを集める旅をしてもらおうというものです。 「鉄印」はスタンプやプリント、手書きと色々とあります(2枚目のコラージュ写真にそのイメージがあります)。 鉄印帳に記載されている40社全ての鉄印をそろえると希望者にシリアルナンバー入りの「鉄印帳マイスターカード」を発行するとのこと(なお、これは有料です)。 将来的に鉄印帳や鉄印帳マイスターカードを提示すると特典が付加される計画があります。 なお鉄印を集めるためには鉄印帳を購入(2,200円)して、各鉄道会社の指定窓口で乗車券を提示して記帳料(300円)を支払うともらうことができます。 なお鉄印帳の販売場所、鉄印の受付場所や時間等の詳細は各鉄道会社で異なりますのでそれぞれのホームページで確認してくださいまし。読売旅行、日本旅行では鉄印帳にかかわる旅行商品も販売されるとのこと(=゚ω゚)ノ 「御朱印」に比べれば堅苦しいものでもなく、「鉄印」にはそれぞれの鉄道会社が練りに練ったもので特徴出ているので集めてみるのもたのしそうですね(●^o^●) まだまだコロナが落ち着いたとは言えませんし、大雨による災害で不通の鉄道もありますが地方鉄道が活性化するきっかけとなってほしいものです(・_・) 実は明石教室のmasakisiさんも本日付のブログで「鉄印帳」のことを取り上げておりまして話題が被ったわけですが、鉄道の話題で内容が被るなんて滅多にないことなので敢えて同じ話題で話させていただきました(≧▽≦) ※なお今回の写真等の素材は全てネットから拾って編集させていただきました。
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2020年07月10日 21:13 コメント 4 件 名鉄のローレル賞受賞車両(=゚ω゚)ノ
では今回のブログはローレル賞を受賞した名鉄電車の紹介でゴザイマス(=゚ω゚)ノ 1枚目の写真 左側がモ600形電車です。以前廃線になった岐阜の美濃町線をブログで話をした時に紹介しました。1970年(昭和45)に美濃町線から各務ヶ原線の名鉄岐阜駅に直通運転するために製造された電車です。美濃町線が600V、各務ヶ原線が1500Vと架線の電圧が異なるため両方に対応できる機能を搭載しています。 ちなみにこの時のブルーリボン賞は該当車無しでした。 右側は100系電車です。1979年(昭和54)に豊田線(赤池ー梅坪間)が開業した際に名古屋地下鉄と相互乗り入れするために製造された名鉄初の4扉のロングシート車です。 この時のブルーリボン賞は江ノ電の1000形という電車でした。 2枚目の写真 左側はモ800形電車です、これも廃線になった美濃町線をブログで話をした時に紹介したものです。モ600形と同様各務ヶ原線直通運転するために異なる架線の電圧に対応できる機能を搭載してオリマス。そしてモ600形とは異なり部分低床車というバリアフリーにも対応しております。制約の多い路面電車タイプなのに色々と機能を盛り込んでいる所が評価されたのでしょう。 この時のブルーリボン賞はJR九州885系という特急電車です。 右側は2000系電車「ミュースカイ」です、中部空港アクセス特急として製造されたものですね。車体は従来の名鉄のイメージとは異なり、「空の青さ、雲の白さ、海の透明感」をイメージした塗装となってオリマス。 そして、カーブをスピード落とすことなく通過するための「振り子式」という機能がありますが、この電車は「車体傾斜制御装置」という「振り子式」とは別のカーブをスピード落とすことなく通過できる機能が搭載されています。 そしてこの時のブルーリボン賞は小田急50000系という白いロマンスカーでした。 3枚目の写真は名鉄がローレル賞を受賞した電車の車内の写真を集めたものです(=゚ω゚)ノ さて前回と今回で名鉄がブルーリボン賞とローレル賞を受賞した車両を紹介してみました。 こうして振り返ってみると名鉄の車両って色々なことを意欲的に採用している気がしますね~、またワクワクさせる車両を登場させてほしいものです(^ω^)
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2020年07月07日 22:08 コメント 11 件 名鉄のブルーリボン受賞車両(=゚ω゚)ノ
さて、前回のブログで優秀な鉄道車両に贈られるブルーリボン賞・ローレル賞の話をしました。 今回のブログは、僕にとって一番身近な鉄道会社である名鉄に限定して先ずはブルーリボン賞を受賞した車両の話をしてみることにします。 名鉄は4車種が受賞していまして、添付写真にそって紹介します(=゚ω゚)ノ 1枚目の写真 左側は7000系電車「パノラマカー」です。 名鉄を代表する電車で、日本初の前面展望電車でございます。因みに小田急ロマンスカーの前面展望電車登場は1963年(昭和38)で翌1964年(昭和39)にブルーリボン賞を受賞しています。 右側は8000系気動車です。(小さい写真のみネットから拝借) 名鉄は戦前から高山本線に乗り入れをしていて、戦時中は中断されていたのだが1965年(昭和40)から再開しました。 その時に乗り入れ専用列車として作られたのがこれなんです。 2枚目の写真 左側は6000系電車といいます。(写真はカタログから) 名鉄初の本格的な通勤用電車として登場しました。ラッシュアワーでもスムーズに乗降できるように片側3扉として、通勤用電車はロングシート(線路方向に椅子が並ぶもの)が一般的だったのを沢山の人が座れるようにとクロスシート(枕木方向に椅子が並ぶもの)としました。 通勤用電車では初のブルーリボン賞受賞です。 右側は8800系電車「パノラマDX」といいます(小さい写真のみネットから拝借)。 観光特急用としてパノラマカーよりも豪華な設備とし、日本で初めて最前部の展望席を上にあげて運転席を下にしたものです。 これらの車両の中では6000系のみ現在でも走ってオリマス(=゚ω゚)ノ ところで名鉄の代名詞といわれる「パノラマカー」なんですが、製造当初は踏切事故が多かったらしくて対策として先頭車に「油圧緩衝式ダンパー」というクッションみたいなものを取り付けて衝突時の衝撃を吸収するものを取り付けました。そのダンパーの性能が良すぎて踏切で立ち往生したダンプカーを吹っ飛ばしたことがあるそうです、ちょっとびっくりΣ(・ω・ノ)ノ! そんな逸話があったことから、「パノラマカー」は一部の方に「ダンプキラー」と呼ばれております( *´艸`) 次回のブログは名鉄のローレル賞受賞車両を取り上げます(=゚ω゚)ノ
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