メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
名鉄北アルプス号物語(=゚ω゚)ノ
2020年07月17日 23:10
ちょっと前の僕のブログで名鉄のブルーリボン賞受賞車両の話をしていた時に8000系という気動車が登場していました。
これは以前名鉄が特急「北アルプス号」としてJR高山本線に乗り入れるために製造された列車でした。
2001年(平成13) に廃止されましたが、今回はJR高山線本線に乗り入れていたこの列車の話をしてみましょう。
名鉄の高山線乗り入れは戦前から始まっているようです。
遡ること1932年(昭和7)10月から柳橋ー下呂間で直通運転が開始されました。当時の最新鋭電車が柳橋から押切町を通って鵜沼まで自力で走ってから、高山線の客車列車に併結されて蒸気機関車で牽引されていきました。
その後富山まで運転されるようになりましたが、1943年(昭和18)頃には戦況が悪化して乗り入れは中止になります。
そして1965年(昭和40)に高山線直通用のキハ8000系が製造されて、神宮前―高山間に準急「たかやま」として運転が開始されました。翌1966年(昭和41)は急行「たかやま」となり、この年ブルーリボン賞を受賞しました。運転区間も高山から飛騨古川まで延長されました。
1970年(昭和45)には「北アルプス」に改称されて、運転区間を飛騨古川から富山を通り越して富山地鉄の立山まで直通運転を行うようになったんです。(4月~11月の季節運転で冬季は飛騨古川まで、三つの鉄道会社をまたぐというとても珍しいものです。)
そして1976年(昭和51)には特急に昇格しました♪
1984年(昭和59)には立山乗り入れは廃止となって飛騨古川までの運行に戻ります。
1989年(平成元)にJRが高山本線の特急列車に新型車両が導入されるとさすがに外見や性能において見劣りするようになり、名鉄も8500系という新型車両を導入しました。
それから2001年(平成13)には「北アルプス号」は廃止となり名鉄の高山線直通の歴史もこれにて終わってしまいました( ;∀;)
8000系はそのまま廃車でしたが、8500系はこのあと福島県の会津鉄道で活躍してから今ではマレーシアのボルネオ島で走っているとのこと…
ちょっと変わり者だった列車と言えるでしょう、結構好きな列車でした。また是非復活してほしいものです(=゚ω゚)ノ
※なお今回の写真は全てネットからです。
これは以前名鉄が特急「北アルプス号」としてJR高山本線に乗り入れるために製造された列車でした。
2001年(平成13) に廃止されましたが、今回はJR高山線本線に乗り入れていたこの列車の話をしてみましょう。
名鉄の高山線乗り入れは戦前から始まっているようです。
遡ること1932年(昭和7)10月から柳橋ー下呂間で直通運転が開始されました。当時の最新鋭電車が柳橋から押切町を通って鵜沼まで自力で走ってから、高山線の客車列車に併結されて蒸気機関車で牽引されていきました。
その後富山まで運転されるようになりましたが、1943年(昭和18)頃には戦況が悪化して乗り入れは中止になります。
そして1965年(昭和40)に高山線直通用のキハ8000系が製造されて、神宮前―高山間に準急「たかやま」として運転が開始されました。翌1966年(昭和41)は急行「たかやま」となり、この年ブルーリボン賞を受賞しました。運転区間も高山から飛騨古川まで延長されました。
1970年(昭和45)には「北アルプス」に改称されて、運転区間を飛騨古川から富山を通り越して富山地鉄の立山まで直通運転を行うようになったんです。(4月~11月の季節運転で冬季は飛騨古川まで、三つの鉄道会社をまたぐというとても珍しいものです。)
そして1976年(昭和51)には特急に昇格しました♪
1984年(昭和59)には立山乗り入れは廃止となって飛騨古川までの運行に戻ります。
1989年(平成元)にJRが高山本線の特急列車に新型車両が導入されるとさすがに外見や性能において見劣りするようになり、名鉄も8500系という新型車両を導入しました。
それから2001年(平成13)には「北アルプス号」は廃止となり名鉄の高山線直通の歴史もこれにて終わってしまいました( ;∀;)
8000系はそのまま廃車でしたが、8500系はこのあと福島県の会津鉄道で活躍してから今ではマレーシアのボルネオ島で走っているとのこと…
ちょっと変わり者だった列車と言えるでしょう、結構好きな列車でした。また是非復活してほしいものです(=゚ω゚)ノ
※なお今回の写真は全てネットからです。
