メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
下北交通大畑線①…本州最北端だった鉄道
2020年08月04日 22:44
青森県の下北半島……
現在ここを走る鉄道路線は野辺地から分岐して大湊までのJRの大湊線だけとなっております。
かつては大湊の一つ手前である下北駅から下北半島を縦断して津軽海峡側に出て大畑という町まで結ぶ下北交通大畑線という鉄路が存在しておりました(=゚ω゚)ノ
下北交通大畑線
1939年(昭和14)に国鉄大畑線として下北ー大畑間18㎞が開業しました。
乗客の減少等により、1980年に国鉄再建法が成立すると第一次特定地方交通線に指定されました。これは赤字なので国鉄としては引き受けられないから、どうするかはその地域で話し合って決めてくださいという事です。
地方によっては第三セクター会社を設立して鉄道経営を引き継いだり、鉄道を諦めてバス転換をしていました。
大畑線の場合はバス転換になりかけてなりかけていたところ、野辺地ー七戸間の鉄道路線を持つ南部縦貫鉄道が大湊線とセットでの経営ということで手を伸ばしてきました。
その動きをみて下北半島を地盤とする下北バスが自分たちの地盤を脅かされると危機感をいだいて、下北交通と名前を変えて1985年(昭和60)に鉄道路線として大畑線を引き継ぎました。
特定地方交通線に選定された路線で、鉄道経営となったところは第三セクタ―会社設立して運営しているですが、この下北交通はバス会社が鉄道経営を引き継いだ唯一の例でがゴザイマスφ(..)
当然鉄道経営のノウハウは無いのでバス事業で関係のあった京浜急行電鉄の指導を受けていたとのこと。
ですが、その後の経営は厳しくて車両や施設の老朽化も相まって2001年(平成13)に廃止となってしまいました( ;∀;)
僕が訪れたのは1991年8月24日と1994年の4月12日の2回になります。と、いう事は写真の人物は約30年程前の僕でございます(#^.^#)
田名部駅からは観光スポットである恐山に行くバスがあったり、終着の大畑駅では又更に下北半島の先である大間まで行くバスが出ています。
では次回のブログも下北交通大畑線関連の話です、実は大畑駅から大間までも鉄道を作る計画があったのです(=゚ω゚)ノ
現在ここを走る鉄道路線は野辺地から分岐して大湊までのJRの大湊線だけとなっております。
かつては大湊の一つ手前である下北駅から下北半島を縦断して津軽海峡側に出て大畑という町まで結ぶ下北交通大畑線という鉄路が存在しておりました(=゚ω゚)ノ
下北交通大畑線
1939年(昭和14)に国鉄大畑線として下北ー大畑間18㎞が開業しました。
乗客の減少等により、1980年に国鉄再建法が成立すると第一次特定地方交通線に指定されました。これは赤字なので国鉄としては引き受けられないから、どうするかはその地域で話し合って決めてくださいという事です。
地方によっては第三セクター会社を設立して鉄道経営を引き継いだり、鉄道を諦めてバス転換をしていました。
大畑線の場合はバス転換になりかけてなりかけていたところ、野辺地ー七戸間の鉄道路線を持つ南部縦貫鉄道が大湊線とセットでの経営ということで手を伸ばしてきました。
その動きをみて下北半島を地盤とする下北バスが自分たちの地盤を脅かされると危機感をいだいて、下北交通と名前を変えて1985年(昭和60)に鉄道路線として大畑線を引き継ぎました。
特定地方交通線に選定された路線で、鉄道経営となったところは第三セクタ―会社設立して運営しているですが、この下北交通はバス会社が鉄道経営を引き継いだ唯一の例でがゴザイマスφ(..)
当然鉄道経営のノウハウは無いのでバス事業で関係のあった京浜急行電鉄の指導を受けていたとのこと。
ですが、その後の経営は厳しくて車両や施設の老朽化も相まって2001年(平成13)に廃止となってしまいました( ;∀;)
僕が訪れたのは1991年8月24日と1994年の4月12日の2回になります。と、いう事は写真の人物は約30年程前の僕でございます(#^.^#)
田名部駅からは観光スポットである恐山に行くバスがあったり、終着の大畑駅では又更に下北半島の先である大間まで行くバスが出ています。
では次回のブログも下北交通大畑線関連の話です、実は大畑駅から大間までも鉄道を作る計画があったのです(=゚ω゚)ノ
