「鉄道の旅人」さんのブログ一覧
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2020年09月11日 23:59 コメント 10 件 写真撮る時、意識するようになりました♪
さてわたくし、最近のパソコン市民講座ではパソコン資格の講座ではなく趣味的講座を受けております。 その手始めに受講したのが「デジタル写真マスター講座」でした(^^)/ その11項目からなる「デジタル写真マスター講座」先月で終わり、ただ今「脳トレおとなプログラミング講座」というのに手を出し始めました( ..)φ 以前フィルム写真スキャンしてデジタル化する項目があって興味深かったという話をしたことがありますが、今回は撮影のコツを教えてくれるという講座もあったという話をしてみることにします(=゚ω゚)ノ 「ワンランク上の撮影術」という項目でカメラの特徴とか、撮影する時の構図等を教えていただくという内容で、おそらく「フォト散歩」で似たようなことをやっているのではと推測します、撮影時にとても参考になりますね。 そう言えば、最初は電車そのものを撮るとか駅舎を撮ることしか考えてなかったけど最近はこの角度が良いとか、電車を撮影する時に構図を想像して撮影してみるということを意識するようになったので、やはり意識して撮影することは大事だと思いながら受講しておりました( ..)φ 例えば僕の場合ですが、2枚目に最近訪問した名鉄広見線顔戸という駅で撮影したものをコラージュしたので見て下さい。 この時は先ず「顔戸」という駅だと分かることと、電車全体を入れてみたいと考えて色々とアングルを探したわけです。 その結果踏切から撮影するのが良さそうと判断して挑戦したのが上に並んだ三枚の写真です、流石に駅の名前が判別できて電車全体を入れることは無理でしたね。 そして反対側からくる電車で「顔戸」という駅の名前を入れて撮影できるなと思って撮影したのが下の二枚の写真でした。 再度訪問して更に良い角度を探してみたいものです(=゚ω゚)ノ 電車を撮影するのに憧れる撮影方法があります、それは「流し撮り」という方法です。 これは被写体を追いかけるようにカメラを動かして撮影する手法です、この場合はカメラで電車を追っていくわけですね。 3枚目に僕が挑戦した流し撮りの写真を添付しました。左側の写真は背景がブレてスピード感が何とか出ているのではないでしょうか。 本格的な一眼レフを抱えて、鉄道写真を撮ることに憧れている今日この頃ですのでまだまだ精進したいですね(#^.^#)
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2020年09月08日 23:59 コメント 13 件 八百津vs中津川 どっちが発祥の地⁉
前々回、前回のブログで廃線となった名鉄八百津線の話をしたわけですが、その際確認するために八百津町関係のことを色々と検索して調べるのですが気になることが八百津町観光協会のホームページに書いてありました。 書いてあったこととは… 「栗きんとん発祥の地は八百津……(=゚ω゚)ノ」 というもの。 栗きんとんと言えば、中津川のイメージがあります。 中津川駅前には「栗きんとん発祥の地」という石碑がたっているほどで、たくさんの和菓子店があります。僕は八百津で栗きんとんのイメージは全くと言っていいほどありませんでした。 今回は栗きんとんの話をしてみることにしましょう( ..)φ そもそも栗きんとんとは、2種類の形状があります… 和菓子の栗きんとんは蒸した栗に砂糖を加えて炊き、茶巾で絞って形成したものを指します。漢字で「栗金飩」と書くそうです。 おせち料理に入る栗きんとんは、くちなしの実を使って色鮮やかに仕上げるのが特徴とのこと。漢字で「栗金団」と書きます。 中津川市は県内有数の栗の産地で、江戸時代から中山道の宿場町として栄えたところです。その頃から栗菓子が色々と考えられて明治に入って「栗金飩」の原型が出来てきたようです。 一方八百津町は、創業が1872年(明治5)の「緑屋老舗」が大正時代になって三代目店主が栗を使った和菓子を考案、それが「栗金飩」の始まりという説があるそうです。 中津川市は沢山のお店がある中で「川上屋」と「すや」というお店が江戸時代から創業している有名どころですね、「川上屋」はよく耳にするお店でゴザイマス(^^)/ あと駅近くの「にぎわい特産館」にて市内14店舗の栗きんとんを7個と中津川産のお茶を詰め合わせた「栗きんとんめぐり」という季節限定商品があるそうですね、「風流」「ささゆり」の二種類があって、一箱税込2,067円とのことです。 あと八百津町と中津川市のゆるキャラを添付してみました(中津川市は複数あるようです)。ちなみにこの二つのゆるきゃらの頭の形は「栗きんとん」なんだそうです( *´艸`) 今回八百津町に栗きんとん発祥説があるということを初めて知ってびっくりしましたが真相はまだ謎のように思います。 これから「栗金飩」の季節真っ盛りです、八百津の栗金飩を買いにまた出かけてみようかしらん(^ω^)
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2020年09月04日 22:17 コメント 10 件 名鉄八百津線②…現在の旧八百津駅周辺は?
前回のブログで、以前明智ー八百津間を走っていた名鉄八百津線の紹介をしました。 今回は先日現在の旧八百津駅付近に行ってきたので、その話をすることにします(=゚ω゚)ノ さて鉄道の廃線後は八百津町が東濃鉄道(”鉄道”と付きますがバス会社です)にバス運行を委託して「YAOバス」という名称で運行しています。 八百津町の中心地は名鉄八百津駅から少々歩かないといけないのですが、YAOバスは中心地まで乗り入れております。終点が八百津ファミリーセンターという、中央公民館、保健センター、産業会館、商工会からなる複合施設のあるところです。 鉄道時代は1時間に2本、明智ー八百津間は大人290円でしたが、YAOバスは1時間に1本で明智駅前ー塩口間(旧八百津駅の最寄りのバス停です)は大人350円と運賃は若干高くなっています。 ちなみに明智駅前から八百津ファミリーセンターまで乗車すると大人400円です(=゚ω゚)ノ では実際に現在の旧八百津駅付近はどうなっているのかというと、2枚目と3枚目の写真がその様子でございます。 ほとんど駅があったという形跡は無くなっていたのがビックリですΣ(・ω・ノ)ノ! 分譲地となって一戸建てが並んでいました。 2枚目の写真、廃止約一年前である2000/12/12の訪問と2020/8/27訪問の写真を並べてみました。上段は左端の緑のひさしがある家は廃止された当時からあることを考えると多分◯で囲んだあたりに駅舎があったと思われます。ロータリーのあたりには新しい家が建っております。 中段は◯で囲んだところに注目です(=゚ω゚)ノ この家と電柱は20年程経過してもあるのでほぼこの角度での撮影に間違いないでしょう。 下段も若干の位置の違いはありますがこんな感じになることでしょう。 住宅街となった旧八百津駅の明智寄りに数メートルだけ線路が残り「八百津駅跡」という記念碑があって、わずかにここに駅があったという痕跡が残されておりました。 ここはベンチでも置いて憩いの場にし、大きめの説明看板を立てて後世まで伝えてほしいですね(・_・) 名鉄八百津線が廃止されて来年で20周年になりますな。 復活も夢見たいものですが、せめて鉄路がここまで延びていたことを後世の人達に伝えていってほしいものです( ..)φ
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2020年09月01日 23:38 コメント 6 件 名鉄八百津線①…ダム建設に貢献した路線
さて、前回のブログで廃線の危機にある名鉄広見線新可児~御嵩間が開業100周年を迎えたと紹介しました。 その途中にある明智駅から、以前は八百津までに至る7.3㎞の名鉄八百津線という路線が延びておりました(=゚ω゚)ノ 名鉄八百津線は東美鉄道によって1930年(昭和5)4月30日に伏見口(現在の明智)~兼山間が、同年10月1日に兼山~八百津間が開通しました。 そして1943年(昭和18)3月に名古屋鉄道と合併して新広見~御嵩間と共に東美線となりました。その後1948年(昭和23)5月に新広見~御嵩間を広見線に統合して、伏見口~八百津間は八百津線と改称されたのであります( ..)φ 八百津駅から木曽川を上流に向かって行った蘇水峡付近に丸山ダム建設が計画され、資材運搬のために八百津から線路が延長されました。1943年(昭和18)に着工されて戦局のための工事中止を得て1952年(昭和27)軌道工事が完成して運用され、1954年(昭和29)に丸山ダムが完成して役目を終えた専用線は廃止となりました。 八百津町は風光明媚なところが沢山あり、観光地として注目されていたこともあってか名古屋方面からの直通特急が運転されていました。 パノラマカーも使われて、「蘇水湖号」という愛称の付いた電車が走るようになりました。 ですが昭和40年代後半になると道路整備が進んでマイカーが増加して利用客も減少していったとのこと… そして1984年(昭和59)合理化のために当時富士重工が開発していたLEカー(ライトエコノミーカー)というレールバスを八百津線に導入して電車運転を取りやめました。 それでも赤字は改善されること無く、2001年(平成13)9月で廃止となり71年の歴史に終止符が打たれてしまいました( ;∀;) 実は先日100周年を迎えた名鉄広見線新可児~御嵩間を訪問した際に、八百津駅周辺が現在どんな風になっているのかをちょっと見て参りましたので次回のブログでその話をさせていただきます(=゚ω゚)ノ
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2020年08月28日 23:59 コメント 8 件 1920年8月21日生まれの100歳!
本日のブログタイトル、何のことかと申しますと…… 愛知県の犬山から岐阜県の御嵩まで走る名鉄広見線、その中で廃線の危機を迎えて油断ができない新可児から御嵩までの区間が先日8/21に開業100周年を迎えたワケなんです♪ 8/27のことですが、久々に御嵩方面に出かけて鉄分補給をしてまいりました\(^o^)/ 名鉄広見線の新可児ー御嵩間は1920年(大正9)に新多治見から広見(現在の可児)まで来ていた東濃鉄道が広見から御嵩(現在の御嵩口)まで開業させたのが始まりです。 のちに新多治見ー広見間が国有化されて残りの広見ー御嵩間は新たに設立された東美鉄道に引き継がれました。ちなみに新多治見ー広見間は現在の太多線の一部でゴザイマス(=゚ω゚)ノ そして名古屋鉄道は1925年(大正14)に犬山から現在の日本ライン今渡まで延ばして「今渡線」が開通しました。 その後1929年(昭和4)に名古屋鉄道は広見まで延長して「広見線」となりました。それから1943年(昭和18)東美鉄道と名古屋鉄道が合併して東美鉄道の区間は「東美線」となり、1948年(昭和23)には新広見ー御嵩間が広見線に編入されたとのこと。 1952年(昭和27)には700m延伸されて「新」御嵩駅が開業して、今までの御嵩駅は御嵩口と改称されました。 名古屋方面からの直通電車が運転されていたのですが、乗客減少のためか段々と減便されて2008年(平成20)6月29日には新可児ー御嵩間で折り返しのワンマン運転が開始されました。 この時に有人駅だった明智駅、御嵩駅が無人化されました(._.) そんな経過を経て、2020年(令和2)8月21日に開業100周年を迎えたわけなんですね。 御嵩駅から徒歩5分ほどにある中山道みたけ館では開業100周年を記念してその歩みや、ゆかりのあるものを展示していました。きっぷ切りの体験なんかもできるというコーナーもあって面白いですね。パノラマカーの先頭に付いていた逆三角形の行先表示版が懐かしかったです(●´ω`●) 廃線の危機が続いている中、開業100周年を迎えることができて何よりであります。 未来に向けての100年までも広見線の新可児ー御嵩間が走り続けてほしいものです(=゚ω゚)ノ
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2020年08月25日 23:58 コメント 9 件 かつて旅客輸送をしていた貨物鉄道
岩手県の大船渡市に盛駅を起点として赤崎駅までの赤崎線と岩手石橋駅までの日頃市線を有する岩手開発鉄道という貨物専業の鉄道があります(=゚ω゚)ノ この岩手開発鉄道というのはかつて盛ー岩手石橋間3往復、盛ー日頃市間2往復の計5往復だけ旅客列車の設定がされておりました。 時期は忘れたのですが、一度だけ旅客営業時代に盛~日頃市間乗車した記憶があります。 確か本数の関係で時間が無くて岩手石橋までは行くことはかないませんでした(/_;) では岩手開発鉄道を紹介します(=゚ω゚)ノ この鉄道は岩手県大船渡港から内陸部を鉄道で結んで産業振興をはかり、沿線地域の開発を目的に沿線市町村並びに関係企業による第三セクター地方鉄道会社として1939年(昭和14)に設立されました。 かなり内陸にある釜石線の平倉駅まで結ぶ計画でしたが、太平洋戦争で工事が中断しました。戦後工事が再開し、1950年(昭和25)に盛から6㎞内陸に入った日頃市まで開業しました。 1957年(昭和32)に盛から海側のセメント工場のある赤崎まで開業しました。 そして石灰石が産出される大船渡鉱山近くにある岩手石橋まで1960年(昭和35)に延伸されてセメント工場向けの石灰石輸送が始まってから経営が上向きになってきたらしいです。 旅客輸送は盛から岩手石橋の日頃市線で開業当初から行われておりましたがあまり重視はしていなかったとのこと。 石灰石の輸送量は以前よりは半減しているものの私鉄では上位クラスの輸送量らしい、でも旅客輸送の赤字を埋めるところまではいかなかったからなのか1992年(平成4)に日頃市線旅客営業が廃止となってしまいました( ;∀;) 現在も貨物輸送が十数往復あるそうです、途中の猪川駅はなくなりましたが、長安寺駅と日頃市駅は列車交換のための信号所として駅舎もホームも残っているみたいです。終点の岩手石橋の駅舎は事務所として使われているようですね。 ちなみに計画をしていた釜石線の平倉駅まではあと20㎞ほどあります( ..)φ 旅客列車は無くなりましたが、貨物輸送でがんばる岩手開発鉄道でゴザイマス。 貨物列車を見に行くのも悪くないかも(=゚ω゚)ノ
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2020年08月21日 23:51 コメント 10 件 名鉄大曽根駅が生まれ変わりました。
先日、久々に瀬戸線に乗って主要駅である大曽根まで行ってきました(=゚ω゚)ノ 1983年(昭和58)に地上駅から高架化されて、その頃から高架した駅部分には色々なお店が入っていたのですが、この度耐震化工事をした上でお店を一新しました。 そして2020年(令和2)7月15日にμPLAT(ミュープラット)大曽根という商業施設としてオープンいたしました。その話を聞いていたので、取り敢えず散歩がてらに見に行ってみたワケです(^^♪ 1階にはファミリーマートや100円ショップダイソー、ツルハドラック等々、2階にはラーメン、居酒屋など全部で17店舗が入っております。 名鉄はこのところ駅に直結する商業施設の整備を進めていまして、名古屋鉄道のプラットホームから「ぷらっと」立ち寄れる場所という意味をこめて「μPALT(ミュープラット)」と名付けられています。 2014年(平成26)に名鉄金山駅の商業施設が「μPLAT(ミュープラット)金山」としてリニューアルオープンしたのを始めとして、2018年(平成30)9月に江南駅前、10月に常滑駅前にオープンしていて、2021年(令和3)3月には神宮前駅前にもオープンする予定です。 さて名鉄大曽根駅について簡単にご紹介を(=゚ω゚)ノ 1906年(明治39)に開業しました。そして現在のJR大曽根駅が1911年(明治44)に開業、1912年(大正元)には瀬戸電と中央本線との貨物連絡線ができて1926年(大正15)に瀬戸電気鉄道の本社として駅舎が新築されました。 そして1983年(昭和58)8月に大曽根駅付近の高架化が完成するまでこの駅舎は使われていました、とても渋い駅舎でしたね。小学生低学年の頃でしたか、駅前にアーケードの商店街があってたまに家族で買い物に出かけた記憶があります(●´ω`●) 現在の大曽根付近は地上駅の痕跡は全くなくなってしまいました。 JR、名鉄の他に地下鉄やガイドウェイバスであるゆとりーとラインが乗り入れており、歩いて15分程のところにナゴヤドームもあって乗り換え客等々で賑わう大曽根界隈であります(^^)/
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2020年08月18日 23:58 コメント 12 件 北の大地を走ったリゾートトレイン
前回のブログで北海道のオホーツクを走っていたノロッコ号の話をしました。 北海道で国鉄末期からJRへの移行にかけて、リゾート列車が6本作られて活躍していたことを思い出しましたので、今回はその列車を紹介していきます(=゚ω゚)ノ 1枚目の写真はイラストを交えたその6列車でございます。 ※なお今回の写真の素材はネットから引用させていただきました。 では2枚目の写真から番号に合わせて紹介します(^^)/ ①「アルファコンチネンタルエクスプレス」 1985年(昭和60)に登場したトマムにあるアルファホテル(現星野リゾートトマム)と新得のコンチネンタルホテル(現サホロリゾート)のタイアップで誕生した列車です。新造して約20年、改造して10年経過して老朽化が目立ってきたために1995年(平成7)に引退しました。 ②「フラノエクスプレス」 1986年(昭和61)に登場、「アルファコンチネンタルエクスプレス」が成功して、今度は富良野プリンスホテルとのタイアップで誕生しました。北海道で初のブルーリボン賞を受賞しています。1998年(平成10)引退。 ③「トマムサホロエクスプレス」 1987年(昭和62)に登場して札幌ートマム間のリゾート列車に使用されました。2002年(平成14)引退 以上の3列車は既存の列車を大改造したものでアリマス(=゚ω゚)ノ 3枚目の写真の列車たちは新造車両となります。 ④「ニセコエクスプレス」 1988年(昭和63)登場、新千歳空港駅からニセコ駅を結ぶスキー列車として作られました。2017年(平成29)引退。 ⑤「クリスタルエクスプレス トマム・サホロ」 1989年(平成元)登場、各方面に臨時特急列車として運用されました。2019年(令和元)引退。 ⑥「ノースレインボーエクスプレス」 1992年登場、「アルファコンチネンタルエクスプレス」の置き換えようとして計画されて各方面に臨時特急列車として運用されています。 現役で走っているのは⑥ノースレインボーエクスプレスのみとなりますが、一般の特急列車をマイナーチェンジした観光列車が来年できるので、それを期に引退してしまうかもしれませんね。そうなると一つの時代が終わったという感じですね。 JR北海道、また華やかにリゾート列車で彩ってほしいものです…
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2020年08月14日 23:59 コメント 7 件 今は真夏だけど、真冬の北海道の話
梅雨が明けてからは、連日暑い日が続きますよね(~_~;) そこで少しでも涼しさを感じていただきたく、真冬の北海道オホーツクの話をしてみることにします。 もちろん鉄道がらみの話でございます\(^o^)/ 国鉄の末期にジョイフルトレインと言って、既存の車両を団体列車や豪華列車等に改造されたものが登場しました。 1984年(昭和59)には高知県の予土線で国鉄では初めて「清流しまんと号」と名付けられたトロッコ列車が走りだして、ここから国鉄→JRのエリアでトロッコ列車が広がっていきました。 そして1990年(平成2)に北海道の釧網本線知床斜里ー網走間にトロッコ列車が走るようになりました。これは速度がのろいということとトロッコをあわせて「ノロッコ」号と名付けられました。 オホーツクの流氷と極寒をナマで感じていただくというのがコンセプトでしたね。 実は僕、「ノロッコ号」の運転日初日に乗車してオリマス。 当初は旧型客車や貨物の貨車等を改造したものでレトロ感あって、速度も名前の通り遅かったのでホントにオホーツクの極寒を生で感じることができたものでしたね。 (1枚目の写真、素材は自前です) そして1999年(平成11)に新型車両による運行が始まりました。新型車両にも乗車経験あるのですが、乗り心地は良かったのですが旧型車両に比べると速度は速い感じがして以前のレトロ感があまりなくなった気がしましたね。 (2枚目の写真、素材はネットからの引用) それから牽引する機関車の老朽化による廃車のために冬の必要数を確保することが難しくなってきたことから、2016年(平成28)で運行終了となってしまいました( ;∀;) ちなみにくしろ湿原ノロッコ号は運転されております。 ですが人気列車だけに地元では存続の強い要望があったことで2017年からは普通列車用ディーゼル車2両にラッピングを施して「流氷物語号」として運行されるようになりました。 (3枚目の写真、こちらの素材もネットから引用) 車内では地元ボランティアによる観光案内やグッズの車内販売が行われているそうです。 今JR北海道は大変なことになってきていますが、釧網本線のオホーツク側ではこんな取り組みをして頑張っております。 釧網本線を世界遺産に!という動きもあるようですので頑張ってほしいですね。
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2020年08月11日 23:59 コメント 6 件 民営鉄道が国鉄赤字路線を引き受ける
国鉄時代の1980年(昭和55)に国鉄再建法が成立して、廃止するべき路線の選定され廃止対象の第一次特定地方交通線が発表されます。鉄道を存続させた沿線は第三セクター会社を設立して運営するというのが殆んどでしたが、唯一民営鉄道が引き受けた路線があります。 それは青森県田舎館村のJR川部駅からリンゴと米の産地として知られる黒石駅を結ぶ6.2㎞の国鉄黒石線と言います(=゚ω゚)ノ 国鉄黒石線は1912年(大正元)に黒石軽便鉄道として開業し、1922年(大正11)に黒石線と改称されました。戦前は地域唯一の鉄道として賑わっていたようですが、1950年(昭和25)に弘前から津軽尾上まで来ていた弘南鉄道が黒石まで延長されると利用者は本数が多い弘南鉄道に流れていきました。 やがて国鉄再建法に基づき第一次特定地方交通線に指定されると、沿線自治体鉄路存続で動きました。結局1984年(昭和59)にライバル状態であった弘南鉄道が引き受けて転換されました。二つあった黒石駅は弘南鉄道の方に統一されています。 転換時は国鉄時代より好調で、あと一歩で黒字というところまできましたがその後は利用客は減少してしまい1998年(平成10)に廃止されてしまいました( ;∀;) JR奥羽本線の川部駅の所在地が田舎館村にあって弘南鉄道の駅にも田舎館という駅がありますが、田舎館村と言えば元祖田んぼアートとして有名なのではないでしょうか(^ω^) 1993年(平成5)に始まって2012年(平成24)には第二会場が設置されて翌年、付近に田んぼアート見学のための駅も開設されました。そして2016年(平成28)には冬の田んぼアートが始まっていて年々進化しているという印象です。 ちなみに今年2020年の田んぼアートはコロナ禍のために中止となってしまいました。 それからアート繋がりですが、弘南鉄道の田舎館駅の待合室には地元青森県平川市在住のアーティストであるGOMAさんが描いたアートがあるのです。 今年の5月のGWで完成させたとのこと、外から見ると古めかしい駅ですけど待合室に入ると隅から隅までアートが描かれていて驚くのではないでしょうかΣ(・ω・ノ)ノ! 引き受けた黒石線は上手くいかなかったですが、従来あった弘南鉄道の路線は頑張っております。 アートな田舎館が面白そうですね(^^♪
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