メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
今は真夏だけど、真冬の北海道の話
2020年08月14日 23:59
梅雨が明けてからは、連日暑い日が続きますよね(~_~;)
そこで少しでも涼しさを感じていただきたく、真冬の北海道オホーツクの話をしてみることにします。
もちろん鉄道がらみの話でございます\(^o^)/
国鉄の末期にジョイフルトレインと言って、既存の車両を団体列車や豪華列車等に改造されたものが登場しました。
1984年(昭和59)には高知県の予土線で国鉄では初めて「清流しまんと号」と名付けられたトロッコ列車が走りだして、ここから国鉄→JRのエリアでトロッコ列車が広がっていきました。
そして1990年(平成2)に北海道の釧網本線知床斜里ー網走間にトロッコ列車が走るようになりました。これは速度がのろいということとトロッコをあわせて「ノロッコ」号と名付けられました。
オホーツクの流氷と極寒をナマで感じていただくというのがコンセプトでしたね。
実は僕、「ノロッコ号」の運転日初日に乗車してオリマス。
当初は旧型客車や貨物の貨車等を改造したものでレトロ感あって、速度も名前の通り遅かったのでホントにオホーツクの極寒を生で感じることができたものでしたね。
(1枚目の写真、素材は自前です)
そして1999年(平成11)に新型車両による運行が始まりました。新型車両にも乗車経験あるのですが、乗り心地は良かったのですが旧型車両に比べると速度は速い感じがして以前のレトロ感があまりなくなった気がしましたね。
(2枚目の写真、素材はネットからの引用)
それから牽引する機関車の老朽化による廃車のために冬の必要数を確保することが難しくなってきたことから、2016年(平成28)で運行終了となってしまいました( ;∀;)
ちなみにくしろ湿原ノロッコ号は運転されております。
ですが人気列車だけに地元では存続の強い要望があったことで2017年からは普通列車用ディーゼル車2両にラッピングを施して「流氷物語号」として運行されるようになりました。
(3枚目の写真、こちらの素材もネットから引用)
車内では地元ボランティアによる観光案内やグッズの車内販売が行われているそうです。
今JR北海道は大変なことになってきていますが、釧網本線のオホーツク側ではこんな取り組みをして頑張っております。
釧網本線を世界遺産に!という動きもあるようですので頑張ってほしいですね。
そこで少しでも涼しさを感じていただきたく、真冬の北海道オホーツクの話をしてみることにします。
もちろん鉄道がらみの話でございます\(^o^)/
国鉄の末期にジョイフルトレインと言って、既存の車両を団体列車や豪華列車等に改造されたものが登場しました。
1984年(昭和59)には高知県の予土線で国鉄では初めて「清流しまんと号」と名付けられたトロッコ列車が走りだして、ここから国鉄→JRのエリアでトロッコ列車が広がっていきました。
そして1990年(平成2)に北海道の釧網本線知床斜里ー網走間にトロッコ列車が走るようになりました。これは速度がのろいということとトロッコをあわせて「ノロッコ」号と名付けられました。
オホーツクの流氷と極寒をナマで感じていただくというのがコンセプトでしたね。
実は僕、「ノロッコ号」の運転日初日に乗車してオリマス。
当初は旧型客車や貨物の貨車等を改造したものでレトロ感あって、速度も名前の通り遅かったのでホントにオホーツクの極寒を生で感じることができたものでしたね。
(1枚目の写真、素材は自前です)
そして1999年(平成11)に新型車両による運行が始まりました。新型車両にも乗車経験あるのですが、乗り心地は良かったのですが旧型車両に比べると速度は速い感じがして以前のレトロ感があまりなくなった気がしましたね。
(2枚目の写真、素材はネットからの引用)
それから牽引する機関車の老朽化による廃車のために冬の必要数を確保することが難しくなってきたことから、2016年(平成28)で運行終了となってしまいました( ;∀;)
ちなみにくしろ湿原ノロッコ号は運転されております。
ですが人気列車だけに地元では存続の強い要望があったことで2017年からは普通列車用ディーゼル車2両にラッピングを施して「流氷物語号」として運行されるようになりました。
(3枚目の写真、こちらの素材もネットから引用)
車内では地元ボランティアによる観光案内やグッズの車内販売が行われているそうです。
今JR北海道は大変なことになってきていますが、釧網本線のオホーツク側ではこんな取り組みをして頑張っております。
釧網本線を世界遺産に!という動きもあるようですので頑張ってほしいですね。
