「鉄道の旅人」さんのブログ一覧
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2020年10月16日 22:54 コメント 2 件 アレを求めて中津川にも行ってきました♪
前回のブログで恵那まで来たもう一つ目的があったと言いましたね。 その目的とは、恵那から少し先に位置する中津川の栗きんとんを味わいに行くことでした(^ω^) 恵那にも栗きんとんの店はあるのですが、以前八百津も中津川も栗きんとんの発祥の地説があると紹介したからにはやはり中津川まで足を延ばすべきということで行ってまいりました♪ 今回の写真は実際に撮影したものと現地で手に入れたパンフレット(1枚目の背景の写真)からです(=゚ω゚)ノ 駅を降りて先ずは駅前の栗きんとん発祥の地の碑を確認しました。碑には栗きんとんの簡単な歴史が刻まれており、最後の方に… 明治の中頃には既に「栗きんとん」を販売していたと言われ… とありました。 確か八百津は大正時代とあったので、両方を鵜呑みにすれば中津川の方が微妙に早いですかね(・_・) 中津川は沢山の和菓子店で栗きんとんが販売されてオリマス。取り敢えずは創業は元禄年間、初めは「酢」を販売していたという「すや」という和菓子店に行きました(2枚目のコラージュ写真)。 建物が如何にも老舗和菓子店という感じですね、「すや」の看板が何とも言えずいい雰囲気です♪ 栗きんとんは1個から販売していて248円(税込み)で3個購入しました(=゚ω゚)ノ その後は駅に戻り隣接する「にぎわいプラザ」1階にある「にぎわい特産館」へと行きました(3枚目のコラージュ写真)。 ここでは中津川の名産品が販売されているのですが、中津川市にある14店舗の栗きんとんが手に入り、しかも1個から販売してオリマス(同じく税込み248円で、ちなみに八百津のお店は1個税込み200円)。写真の右にあるのは1個売りのスペースです。 なお「風流」と「ささゆり」と名付けられたそれぞれの箱に7店舗の栗きんとんとお茶がセットになった「中津川栗きんとんめぐり」(税込み2,086円)というのもあります。 僕はここで「川上屋」の栗きんとんを3個購入です(=゚ω゚)ノ 帰路の電車内で味比べしまして、もちろんどちらも美味しいですが「すや」の方が甘さ控えめで僕は好みでした♪ 八百津にも中津川にも栗きんとんを求めて出かけていきました。今度は恵那かな? もちろん八百津や中津川にも今シーズン中に再び訪れてみたいものですね(^^♪
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2020年10月13日 21:19 コメント 13 件 鉄印帳を手に入れてきました(=゚ω゚)ノ
以前7月に僕のブログとイトーヨーカドー明石教室のmasakisiさんのブログで鉄印帳なるものを紹介いたしました。 地方の第三セクター鉄道を盛り上げようと2020年7月10日に初版が販売された鉄印帳。この企画に参加する第三セクター鉄道が設定した「鉄印」をこの鉄印帳に記帳してもらって集めていくというもの。寺社巡りで「御朱印」を集めるのが流行っていますが、これの鉄道版でアリマス(=゚ω゚)ノ 初版は5000部販売されて各社とも初日~一週間程で完売し、再販も8月18日から始まって好調な売れ行きのようです♪ はじめは紺色のみでしたが、9月からはそれに加えてピンク色、緑色、水色、黒色のものも登場しています。 そんな鉄印帳を遂に僕は手にしたのであります\(^o^)/ 鉄印帳が手に入る駅で我が家から一番近いところは愛知環状鉄道の瀬戸市駅だったのですが、ここは既に完売して次回の入荷日は未定でした。なので次に近い岐阜県恵那市の明知鉄道恵那駅の方に向かいました。 恵那駅のグッズ販売スペースに行くとありましたね~、鉄印帳が♪ 全色あると思いきや、基本の紺色はありませんでした。変わった色が欲しいと考えてピンク色を購入です(=゚ω゚)ノ 「鉄印」をもらうためには乗車券を提示の上、記帳代300円を支払う必要があり、明知鉄道を乗車するまでの時間はなかったので今回は明知鉄道の鉄印は諦めました。 ですが、愛知環状鉄道は帰路のルートに入っていたので瀬戸市駅下車時に愛知環状鉄道の鉄印をゲットです(^^)v 全部で40社あるのですが、全て集めると希望者は有料で「鉄印帳マイスターカード」というものを発行してくれます。 北は北海道の道南いさりび鉄道から南は九州の肥薩おれんじ鉄道までありますが、慌てることなくまったりと各地の第三セクター鉄道に訪問して鉄印を集めてみようかなと思ってオリマスる~(●´ω`●) さて、今回恵那まで来たのは鉄印帳だけが目的ではなかったのです。 それがどんな目的だったのかは、次回のブログでお話します(=゚ω゚)ノ
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2020年10月09日 21:45 コメント 15 件 尾張旭市の田んぼアートをまとめました♪
9月に行われたイベントはアルバム作成イベントでしたね。 プレミアブログでも届いた完成品を披露されている方がたくさんいらっしいます。 僕も9/10に尾張旭教室で行われたイベントに参加、アルバムを作成しました。そして注文まで完了したアルバムが10/2到着しましたので披露させていただきます(=゚ω゚)ノ 今回は僕のブログで紹介したことのある尾張旭市で開催される田んぼアートと田んぼイルミネーションの作品を一つにまとめてみました。 尾張旭市制40周年を記念して2010(平成22)年から始まった田んぼアートも10回目を迎え、冬の田んぼにも目を向けてもらって農業に興味を持っていただくため2013(平成25)年始まった田んぼイルミネーションも7回目を迎えました。 2020年の田んぼアートは中止に、田んぼイルミネーションの開催か中止の情報は今のところはないという状況です。 結構回を重ねてきていることでもあるので、尾張旭市の田んぼアートと田んぼイルミネーションのこれまでの作品を一つにまとめてみようと思い立った次第なのであります\(^o^)/ 出来上がったアルバムの一部をコラージュ写真として披露させていただきます。 1枚目の写真が表表紙と裏表紙、2枚目と3枚目の写真が中身の一部といったところでございます。 なおMyBook Galleryにて僕の作品を公開しているので、全部を見てみたいと思った方はそちらの方でご覧になってみてください。 ちなみに昨年と一昨年の作品も公開されていますので合わせてそちらもご覧いただくと大変嬉しいです(●^o^●) こちらから「鉄道の旅人」で検索してみてくださいな(=゚ω゚)ノ https://www.mybook.co.jp/gallery/ 尾張旭教室の方はアルバムを当分の間教室に預けているので直に見ることができます、ご覧になって下さいませ♡
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2020年10月06日 22:18 コメント 16 件 栗の季節です、アレを求めて再び八百津へ…
以前ブログで廃線になった名鉄八百津線の話をした時に「八百津が栗きんとん発祥の地説」の話をしました。 その時からずっと八百津の栗きんとんが気になってたので、9/26の日に栗きんとんを求めて再び八百津へと出かけてみました(=゚ω゚)ノ 明智光秀出生の地と言われている明智城址の最寄り駅である明智駅まで向かうと、そこからは名鉄八百津線の代替バスであるYAOバスに乗り換えます。 前回は八百津の市街地に入る手前の八百津駅跡があった場所である塩口というバス停で下車して帰りましたが、今回はその先の市街地の方へバスで6分程進み終点の八百津町ファミリーセンターまで行きました。 そしてそこから栗きんとんのお店を眺めに散策です(^^)/ 八百津には栗きんとんのお店が4軒あって、そのうちの3軒はこの市街地にかたまっております。3軒とも本町通りという道沿いにありまして、先ずは3軒の和菓子店を外から眺めました。(具体的な場所は9/8のブログに地図を載せているので、よろしかったら参照してみてください) 店名を紹介すると、緑屋老舗、亀喜総本家、梅屋とあります。この内緑屋老舗は1872(明治5)年の創業という歴史ある和菓子屋さんで、今からおよそ100年前に三代目の店主が地元の栗を使った和菓子を考案しました。それが栗きんとんの発祥だという説があるのです。 八百津が栗きんとんの発祥の地説はこのお店が元なのでアリマス(=゚ω゚)ノ さて3店舗を眺めてから、どうせなら味を比べてみようと思い立って3店舗の栗きんとんを購入してみようと店へと向かいました。ただ緑屋老舗の栗きんとんは14時ぐらいに入ってみると全て売り切れてしまっていたので手に入りませんでした、残念です。亀喜総本家と梅屋の栗きんとんは手に入りました。 さて明智駅まで戻って食べ比べをしてみました(=゚ω゚)ノ 何だかどちらも茶巾で一つ一つ絞って作ってマスというのが伝わってきますし、中津川に比べて栗の粒が粗い気がしました。 味は微妙に違う気がして、どちらも美味しいですが梅屋さんの方が甘さ控えめで口に含むととろけていくような感覚になりました。僕は梅屋さんの方が好みですね。 今度八百津に行くことが出来れば、是非緑屋老舗の栗きんとんを味わってみたいものです(●´ω`●)
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2020年10月02日 22:16 コメント 8 件 野上電鉄④…まとめ
では先ず今回の添付写真の説明を(=゚ω゚)ノ 1枚目の写真……野上電鉄の車両たちを改めてコラージュ写真にしてみました。 2枚目の写真……列車交換可能駅 紀伊野上駅での風景。 3枚目の写真……同じく列車交換可能駅 重根(しこね)駅での風景。 1枚目のコラージュ写真にあるネットから引用した電車の写真… これは車両の置き換えをするために大阪の水間鉄道から廃車になった車両を譲渡してもらったものです。 ところがこの車両の重量が野上電鉄線にある鉄橋には重すぎて耐えられないということがわかって営業運転することなく廃車となった電車なのです。5両譲り受けましたが、廃車するのにはお金かかってますから損したことになりますね(;^ω^) 施設も老朽化していたことから、補助金を当てにして近代化の計画を立てていたようです。 そして車両の方で野上電鉄初の冷房付き新車を導入する計画もしていたのですが、国からの補助金の打ち切りが1992年に決まってしまったことから全線廃止、会社自体も解散する方針となりました。 新車は発注の段階までいったらしいですが、当然キャンセルとなりました(;^ω^) 野上電鉄は累積赤字が数億あって、廃止になる前年度で2億ぐらいの赤字だったようです。そして施設を近代化する必要もありました。そんな状態で補助金が打ち切られたので廃止を決意したわけですね( ;∀;) 第三セクター会社設立等の方法も沿線自治体は模索したようで、実際に融資に名乗りをあげた地元企業もあったようですが、条件が合わずその話も実現はしなかったです。 そして1994年3月31日をもって鉄道路線が廃止、野上電鉄という会社も消滅を迎えてしまいました。 翌日からは野上電鉄のバス部門を引き継いだ「大十バス」が代替バスとして走るようになったということです。 訪問当時は廃止の約半年前、会社の細かい状況は知る由もなくやってきてローカルムードを味わって撮影して帰りました。改めてその時に撮影した写真を整理して振り返ってみると廃止までの経緯はかなりバタバタしていて良くない評判ばかりあったようで残念なことです。 廃線跡は遊歩道や公園に整備されたり道路の拡張に使われたりなどしています。 4回に渡って和歌山県に存在していた野上電鉄を紹介させていただきました(=゚ω゚)ノ
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2020年09月29日 22:32 コメント 6 件 野上電鉄③…ギャラリー
今回は適当に写真をコラージュしてみました♪ 1枚目の写真ですが、夜の日方駅でございます(=゚ω゚)ノ ここには車庫があって沢山電車がならんでいるのですが、その中で一両だけ目立つ車両がありました。 明治チョコレートの広告が車体一面に施されているこの車両の形式名がモハ20形24号といいます。 元々は阪神601形という阪神電車で前面の窓が5枚あるという珍しいものです。やってきた当初は他の車両同様上半分がクリーム色で下半分はオレンジでしたが、のちにこの明治チョコレート広告の塗装となったわけです。 実はこの電車、明治チョコレートのCMにも出演しておりました。この塗装は元に戻されること無く廃止を迎えました。 野上電鉄が廃止された後は阪神電鉄に返還されて尼崎プールセンター前駅近くの阪神の施設で阪神時代の旧塗装(茶色)のもどされて保存されているとのことです。 通常は公開されていないそうですが、公道から金網越しにみることが出来るらしいですね!(^^)! 2枚目の写真は日方駅にあった観光案内看板です、いかにもローカル線の駅にある看板という感じが何とも言えずたまらなかったので一枚で載せてみました♪ 3枚目の写真はそれぞれの駅で電車を撮影したものです。 ちなみに途中の駅は重根駅と紀伊野上駅の二ヶ所が交換可能な駅であり、駅員が配置されていました。 (その二つの駅の写真は次回のブログに添付します) この二駅と起点の日方、終点の登山口以外の駅が無人駅となっています。 では、次回のブログで野上電鉄編をまとめさせていただきます(=゚ω゚)ノ
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2020年09月25日 22:00 コメント 6 件 野上電鉄②…高野山への延伸計画もあった。
さて、今回の3枚のコラージュ写真は野上電鉄終着駅の登山口駅でございます (=゚ω゚)ノ 登山口駅は1928(昭和3)年に紀伊野上駅から路線を延長して生石口駅(おいしぐち)として開業、1958(昭和33)年に登山口駅に改称されています。 ここは野上電鉄の路線バス登山口営業所も兼ねておりました。 1枚目の写真に登山口駅舎とその駅舎内の写真を添付しました。 窓口や改札口の古い感じが何というか懐かしさを感じる気がしますね、最近では改札口にある駅員さんが立つ枠の部分を取っ払って改札口がスッキリしている駅がほとんどになりましたので、この風景を滅多に見ることがなくなってしまいました。 2枚目にこの日に乗車した電車を撮影したものです。野上電鉄の車両はほとんどが昔に阪急電鉄や阪神電車を走っていた電車なんですが、僕が乗ってきたのは富山地鉄射水線で使われた車両でした。 なお、野上電鉄は高野山の付近まで延伸する計画があったようです。実際に登山口駅から東へ4.7㎞先の神野市場という所までは1930(昭和5)年までに着工されました。 しかし株主の中で反対の声もあって対立するようになり、工事は中止になったそうです。完成した橋脚もありましたが、それらは放置されて残っているらしいですね。 野上電鉄の廃止後の登山口駅跡地は野上電鉄のバス事業を引き継ぎ野上電鉄線の代行バスを運行する大十バスの本社と車庫が立っております。 車庫の裏側に回ってみると、わずかにホームの形跡を見ることができるのだそうです。 実際に神野市場まで延伸が完成し、その勢いで高野山付近まで延伸が叶うようなことがあったら今とはまた状況が変わってきたのかしらんと考えてしまう今日この頃です。 では、次回も野上電鉄の話になります(=゚ω゚)ノ
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2020年09月22日 23:58 コメント 5 件 野上電鉄①…沿線の特産品を運ぶための鉄道
前回のブログで有田鉄道という和歌山県にあって廃止になった路線の話をしました。 今回も和歌山県にあって廃止になってしまった中小私鉄の話でして、名前を「野上電気鉄道」といいます(=゚ω゚)ノ 野上電鉄はJR海南駅の近くにある日方駅から山の方へ入って海草郡野上町(現在の紀美野町)にある登山口駅まで結ぶ営業キロ11.4㎞の路線でした。 野上町は棕櫚(しゅろ)というヤシ科の植物が栽培されて、それを原料としてたわしやロープなどの製品が製造されて特産品となっていました。その特産品を港のある日方町(現在の海南市)に運ぶために設立されました。 そして紀勢本線がこの地まで延びてくる前の1916(大正5)年2月4日に日方ー紀伊野上間が開業し、それから1928(昭和3)年3月29日には紀伊野上ー生石口(1958(昭和33)年に登山口に改称)開業しました。 この野上電鉄もモータリゼーションの影響で乗客減少や特産品がトラック輸送に切り替わり経営難となりました。それで昭和40年代には廃止の方針を出したのですが、当時のオイルショックによって鉄道が見直されるようになったことにより廃止が撤回されて沿線自治体の補助金を受けて存続したという経緯があります。 その後も経営は思わしくなく、1992(平成4)年に国の地方鉄道への補助金見直しによって支援打ち切り対象となり再度廃線の方針を示すようになりました。 結局1994(平成6)年3月限りで廃止となりました( ;∀;) ただ廃止直前は相当ひどい状態だったらしく、鉄道が廃止になっても会社としては残ることがほとんどですが、この野上電鉄はバス事業も大十バスに譲渡して会社自体が消滅してしまいました(/_;) 僕が訪問したのは1993(平成5)年9月4日と9月5日の2日間です。 今回は起点の日方駅の写真を中心にコラージュしてみました(=゚ω゚)ノ 日方駅はJRの海南駅と離れていて、海南駅から日方駅に行こうとすると遠回りする必要があったために1949(昭和24)年に日方駅から約100m先に乗り換え専用の駅である連絡口駅が開設されました。連絡口駅は日方駅の構内となるためこの区間だけの乗車はできなくなっております。 次回のブログも野上電鉄の話をさせていただきます(=゚ω゚)ノ
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2020年09月18日 23:46 コメント 9 件 みかんと木材を運搬した鉄道(=゚ω゚)ノ
前回のブログで、和歌山県御坊にある紀州鉄道の話をしました。今回も和歌山県の鉄道の話です。 ただこの路線は廃線となっております(>_<) 御坊市より少し北に向かったところある有田郡有田川町にある藤並という駅からかつて内陸に向かって金屋口という駅まで営業キロ5.8㎞の有田鉄道というローカル私鉄が走っておりました(=゚ω゚)ノ 有田鉄道(ありだてつどう)は沿線で取れたみかん等の農産物を港のある湯浅まで運ぶために設立されました。1915年(大正4)に海岸ー下津野間が、1916年(大正5)に下津野―金屋口間が開業して全通しました。現在の紀勢本線がこの地まで延びてくる前のことでした。 その後1926年(大正15)に紀勢本線が藤並まで開通し有田鉄道も駅を作って接続を図り、1927年(昭和2)には湯浅まで延伸されました。藤並ー湯浅間が並行路線となると戦時下の1944年(昭和19)に休止となってレールが撤去されました。そんないきさつがあったためなのか、1950年(昭和25)から有田鉄道線が湯浅まで乗り入れるようになって1959年(昭和34)には正式に海岸ー藤並間が廃止になりました。 それから次第にみかん等の農産物はトラック輸送に切り替わっていき、1984年(昭和59)で貨物営業が廃止されました。 そして旅客列車の本数も段々と減少し、休日は運休で代替バスを運行という感じでした。2001年(平成13)11月からはなんと一日2往復という状況になりました。(ちなみに並走するバス区間は17往復でございます(;^ω^)) 結局2002年年末で有田鉄道は廃止となってしまいました( ;∀;) 廃線後は一部が自転車専用道になったようで途中駅は休憩ポイントとして一部が残っているようです。 そして終着の金屋口駅は周辺が整備されて、2010年(平成22)3月20日に有田川鉄道公園としてオープンしました(=゚ω゚)ノ かつて有田鉄道を走っていた車両が動態保存されていて体験乗車をすることができる日があり、公園内の鉄道交流館では有田川町の風景を再現した大ジオラマがあって鉄道模型も走っています。 この有田川町の地に、かつてみかん等の輸送に貢献した鉄道があったんだよと伝えていく施設ができて何よりだなと感じました、訪問の機会ができたらいいなぁと思いますね(●´ω`●)
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2020年09月15日 23:59 コメント 5 件 親会社は不動産屋の鉄道会社でアリマス。
和歌山県に紀州鉄道という短いローカル線があるのを御存じでしょうか? 和歌山市から紀勢本線普通電車で南に約一時間少々下ったところに御坊市という所があります。そのJR御坊駅から分岐して西御坊駅までの営業キロ2.7㎞のミニローカル線でございます。 2002年(平成14)に千葉県にある営業キロが2.2㎞の芝山鉄道が開業するまでは、ケーブルカーをのぞき日本一営業キロの短い鉄道会社でした。 紀州鉄道は1928年(昭和3)に設立された御坊臨港鉄道が前身で、当時建設中だった紀勢本線が御坊の市街地から大きく外れたので、市街地まで鉄道を引くため町の有志が資金を出し合って設立したものです。 1931年(昭和6)に御坊駅ー御坊町(現在の紀伊御坊)、1932年(昭和7)に松原口(現在の西御坊)まで開業し、1934年(昭和9)に日高川まで開業し全通しました。 当初から赤字経営だったようですね、1960年代には廃止の噂が流れてきましたけど1973年(昭和48)に東京の磐梯電鉄不動産という所に御坊臨港鉄道は買収されて紀州鉄道となりました。 そして1989年(平成元)に西御坊ー日高川間が廃止されて現在にいたります(=゚ω゚)ノ 実は現在でも紀州鉄道は赤字経営ですが、廃線の噂は流れてきません。紀州鉄道は観光・リゾートホテル業を中心とした不動産部門で稼いでおります。 不動産会社が鉄道会社を買収したのは「鉄道」というネームバリューを手に入れたかったとのこと。「近鉄不動産」とか「東急不動産」等の多くの鉄道会社が不動産事業で成功しているのを見て、鉄道会社の不動産会社は信用されると感じて買収したらしいですね(゚д゚)! 地元からも愛されている路線ですし、赤字は数千万単位で済んでいるらしいですが看板代、広告代と思えばよいと考えているらしいです。廃線にする方が撤去費用等で損失が大きいと計算しているみたいですね。 僕が訪問したのは1993年(平成5)9月4日でした。キハ600という年季の入った車両にちっさな西御坊の駅舎が印象的でした。その後北条鉄道からキテツ1形がやってきて、現在では信楽高原鐡道からやってきたKR301とKR205という車両が運行されています。 営業キロ2.7㎞、所要時間約8分のミニ旅行ですが、また訪れてみたいものです♪
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