メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
みかんと木材を運搬した鉄道(=゚ω゚)ノ
2020年09月18日 23:46
前回のブログで、和歌山県御坊にある紀州鉄道の話をしました。今回も和歌山県の鉄道の話です。
ただこの路線は廃線となっております(>_<)
御坊市より少し北に向かったところある有田郡有田川町にある藤並という駅からかつて内陸に向かって金屋口という駅まで営業キロ5.8㎞の有田鉄道というローカル私鉄が走っておりました(=゚ω゚)ノ
有田鉄道(ありだてつどう)は沿線で取れたみかん等の農産物を港のある湯浅まで運ぶために設立されました。1915年(大正4)に海岸ー下津野間が、1916年(大正5)に下津野―金屋口間が開業して全通しました。現在の紀勢本線がこの地まで延びてくる前のことでした。
その後1926年(大正15)に紀勢本線が藤並まで開通し有田鉄道も駅を作って接続を図り、1927年(昭和2)には湯浅まで延伸されました。藤並ー湯浅間が並行路線となると戦時下の1944年(昭和19)に休止となってレールが撤去されました。そんないきさつがあったためなのか、1950年(昭和25)から有田鉄道線が湯浅まで乗り入れるようになって1959年(昭和34)には正式に海岸ー藤並間が廃止になりました。
それから次第にみかん等の農産物はトラック輸送に切り替わっていき、1984年(昭和59)で貨物営業が廃止されました。
そして旅客列車の本数も段々と減少し、休日は運休で代替バスを運行という感じでした。2001年(平成13)11月からはなんと一日2往復という状況になりました。(ちなみに並走するバス区間は17往復でございます(;^ω^))
結局2002年年末で有田鉄道は廃止となってしまいました( ;∀;)
廃線後は一部が自転車専用道になったようで途中駅は休憩ポイントとして一部が残っているようです。
そして終着の金屋口駅は周辺が整備されて、2010年(平成22)3月20日に有田川鉄道公園としてオープンしました(=゚ω゚)ノ
かつて有田鉄道を走っていた車両が動態保存されていて体験乗車をすることができる日があり、公園内の鉄道交流館では有田川町の風景を再現した大ジオラマがあって鉄道模型も走っています。
この有田川町の地に、かつてみかん等の輸送に貢献した鉄道があったんだよと伝えていく施設ができて何よりだなと感じました、訪問の機会ができたらいいなぁと思いますね(●´ω`●)
ただこの路線は廃線となっております(>_<)
御坊市より少し北に向かったところある有田郡有田川町にある藤並という駅からかつて内陸に向かって金屋口という駅まで営業キロ5.8㎞の有田鉄道というローカル私鉄が走っておりました(=゚ω゚)ノ
有田鉄道(ありだてつどう)は沿線で取れたみかん等の農産物を港のある湯浅まで運ぶために設立されました。1915年(大正4)に海岸ー下津野間が、1916年(大正5)に下津野―金屋口間が開業して全通しました。現在の紀勢本線がこの地まで延びてくる前のことでした。
その後1926年(大正15)に紀勢本線が藤並まで開通し有田鉄道も駅を作って接続を図り、1927年(昭和2)には湯浅まで延伸されました。藤並ー湯浅間が並行路線となると戦時下の1944年(昭和19)に休止となってレールが撤去されました。そんないきさつがあったためなのか、1950年(昭和25)から有田鉄道線が湯浅まで乗り入れるようになって1959年(昭和34)には正式に海岸ー藤並間が廃止になりました。
それから次第にみかん等の農産物はトラック輸送に切り替わっていき、1984年(昭和59)で貨物営業が廃止されました。
そして旅客列車の本数も段々と減少し、休日は運休で代替バスを運行という感じでした。2001年(平成13)11月からはなんと一日2往復という状況になりました。(ちなみに並走するバス区間は17往復でございます(;^ω^))
結局2002年年末で有田鉄道は廃止となってしまいました( ;∀;)
廃線後は一部が自転車専用道になったようで途中駅は休憩ポイントとして一部が残っているようです。
そして終着の金屋口駅は周辺が整備されて、2010年(平成22)3月20日に有田川鉄道公園としてオープンしました(=゚ω゚)ノ
かつて有田鉄道を走っていた車両が動態保存されていて体験乗車をすることができる日があり、公園内の鉄道交流館では有田川町の風景を再現した大ジオラマがあって鉄道模型も走っています。
この有田川町の地に、かつてみかん等の輸送に貢献した鉄道があったんだよと伝えていく施設ができて何よりだなと感じました、訪問の機会ができたらいいなぁと思いますね(●´ω`●)
