メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
野上電鉄②…高野山への延伸計画もあった。
2020年09月25日 22:00
さて、今回の3枚のコラージュ写真は野上電鉄終着駅の登山口駅でございます
(=゚ω゚)ノ
登山口駅は1928(昭和3)年に紀伊野上駅から路線を延長して生石口駅(おいしぐち)として開業、1958(昭和33)年に登山口駅に改称されています。
ここは野上電鉄の路線バス登山口営業所も兼ねておりました。
1枚目の写真に登山口駅舎とその駅舎内の写真を添付しました。
窓口や改札口の古い感じが何というか懐かしさを感じる気がしますね、最近では改札口にある駅員さんが立つ枠の部分を取っ払って改札口がスッキリしている駅がほとんどになりましたので、この風景を滅多に見ることがなくなってしまいました。
2枚目にこの日に乗車した電車を撮影したものです。野上電鉄の車両はほとんどが昔に阪急電鉄や阪神電車を走っていた電車なんですが、僕が乗ってきたのは富山地鉄射水線で使われた車両でした。
なお、野上電鉄は高野山の付近まで延伸する計画があったようです。実際に登山口駅から東へ4.7㎞先の神野市場という所までは1930(昭和5)年までに着工されました。
しかし株主の中で反対の声もあって対立するようになり、工事は中止になったそうです。完成した橋脚もありましたが、それらは放置されて残っているらしいですね。
野上電鉄の廃止後の登山口駅跡地は野上電鉄のバス事業を引き継ぎ野上電鉄線の代行バスを運行する大十バスの本社と車庫が立っております。
車庫の裏側に回ってみると、わずかにホームの形跡を見ることができるのだそうです。
実際に神野市場まで延伸が完成し、その勢いで高野山付近まで延伸が叶うようなことがあったら今とはまた状況が変わってきたのかしらんと考えてしまう今日この頃です。
では、次回も野上電鉄の話になります(=゚ω゚)ノ
(=゚ω゚)ノ
登山口駅は1928(昭和3)年に紀伊野上駅から路線を延長して生石口駅(おいしぐち)として開業、1958(昭和33)年に登山口駅に改称されています。
ここは野上電鉄の路線バス登山口営業所も兼ねておりました。
1枚目の写真に登山口駅舎とその駅舎内の写真を添付しました。
窓口や改札口の古い感じが何というか懐かしさを感じる気がしますね、最近では改札口にある駅員さんが立つ枠の部分を取っ払って改札口がスッキリしている駅がほとんどになりましたので、この風景を滅多に見ることがなくなってしまいました。
2枚目にこの日に乗車した電車を撮影したものです。野上電鉄の車両はほとんどが昔に阪急電鉄や阪神電車を走っていた電車なんですが、僕が乗ってきたのは富山地鉄射水線で使われた車両でした。
なお、野上電鉄は高野山の付近まで延伸する計画があったようです。実際に登山口駅から東へ4.7㎞先の神野市場という所までは1930(昭和5)年までに着工されました。
しかし株主の中で反対の声もあって対立するようになり、工事は中止になったそうです。完成した橋脚もありましたが、それらは放置されて残っているらしいですね。
野上電鉄の廃止後の登山口駅跡地は野上電鉄のバス事業を引き継ぎ野上電鉄線の代行バスを運行する大十バスの本社と車庫が立っております。
車庫の裏側に回ってみると、わずかにホームの形跡を見ることができるのだそうです。
実際に神野市場まで延伸が完成し、その勢いで高野山付近まで延伸が叶うようなことがあったら今とはまた状況が変わってきたのかしらんと考えてしまう今日この頃です。
では、次回も野上電鉄の話になります(=゚ω゚)ノ
