「鉄道の旅人」さんのブログ一覧
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2020年11月17日 21:41 コメント 12 件 新幹線と接続する路線のつもりでしたが…
3つ前のブログで名鉄竹鼻線の話をしたのですが、竹鼻線が大須駅まであった頃に江吉良駅から分岐をして新幹線の岐阜羽島駅に隣接する新羽島駅までを結ぶ1.3kmの路線である羽島線が開業しています。 竹鼻線と結びついている羽島線、今回はその羽島線のお話です(=゚ω゚)ノ 羽島線は新幹線岐阜羽島駅と岐阜市内とを結ぶのが目的ですが、実は近鉄が羽島・岐阜まで進出してくる話があって、それに対抗するために計画された路線でもあります。 1963(昭和38)年に名鉄が申請した、当時は休業中だった江吉良駅から岐阜羽島までのルートの計画が認可されてからは近鉄は羽島・岐阜の進出を諦めたようです(・_・) ところが用地買収が難航して着工が1975(昭和50)年となり、開業したのは認可されてから19年後の1982(昭和57)年でした。開業当初は新岐阜~新羽島間のほとんどの電車を直通運転として毎時急行2本、普通2本が設定されました。ちなみに急行電車は岐阜まで22~25分ほどの所要時間だったようです。そして竹鼻線は大須から岐阜までの直通が無くなり、途中の羽島市役所前までの折り返し運転となりました。 開業当初は新幹線接続の役割はあったと思いますが、当時の国鉄からJRとなり東海道本線の名古屋~岐阜間の本数等が充実してくると1時間にひかりとこだまが2本止まる岐阜羽島まで出るより、のぞみ・ひかり・こだまが1時間に10数本止まる名古屋駅に出る方が便利になってきたので、今では羽島から岐阜市内までの通勤路線となった感じがあります。現在の本数は1時間に4本で全て普通電車、朝夕は名鉄岐阜までの直通がありますが他は笠松~新羽島間の運転となります。 運転は笠松~新羽島ですが、路線名は一応笠松~江吉良間が竹鼻線で江吉良~新羽島間は羽島線となります。 1枚目のコラージュ写真は開業当時のもので、2枚目のコラージュ写真は先日羽島まで行った時に撮影してきたものです。 開業当初は有人駅だった新羽島駅は、現在無人駅となってしまいました。 3枚目のコラージュ写真は羽島市の中心地に近い羽島市役所前駅の羽島線開業当初と最近の写真です。この駅は羽島線が開業するまでは羽島駅と名乗っていました。 新幹線接続から役割は変わりましたが、羽島線は竹鼻線と共に走り続けています(=゚ω゚)ノ
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2020年11月13日 22:07 コメント 16 件 お千代保稲荷 お参りの仕方(=゚ω゚)ノ
お千代保稲荷のお参りというのが、他の神社とはチョット違ったお参りの仕方になります。 添乗員として仕事で行った時に、こんなお参りの仕方をするのだなと初めて知りました。最初は稲荷神社だからなのかと思いましたが、豊川稲荷や伏見稲荷はこんな方法ではないので多分お千代保稲荷独特のものだと思います。 なお、お千代保稲荷ではお守りやお札の販売や朱印帳の記帳はしていないとのことです。 では、添付写真を参照しながら読んでいってくださいな(=゚ω゚)ノ お千代保稲荷に参拝する時は、東鳥居から南鳥居へと続く長い参道の途中にお社に続く巨大な鳥居があって、そこからですと正式な参拝方法に従ってスムーズに参拝ができます。 そして鳥居をくぐると直ぐに手水舎があるので、ここで手を清めていきます。 お千代保稲荷はお賽銭ではなく油揚げを奉納します。その奉納する油揚げが手水舎の近くの売店でロウソクとセットで販売されているので購入しておきます(一セット50円) 売店から階段を上ると朱色の献灯所がありますので、ここに購入したロウソクを立てます。更に奥に進むと提灯が飾られた拝殿があるので、そこに油揚げを奉納してお願い事をするというわけです。 拝殿の後ろには霊殿があって、ここでは皆さんが名刺を挟んで商売繁盛をお祈りします。 僕も添乗員の仕事で行った時に名刺を挟んで商売繁盛を祈りましたね!(^^)! さて拝殿の右側に何かの石がおいてあります、これは「重軽石」と言って願い事が叶うかどうかを占う石なのだそうです。 やり方は簡単です、 ①普通に持ち上げて重さを確認する。 ②次に、「願い事が叶うなら重くなってください」とか「願い事がかなうなら軽くなってください」とお祈りします。 ③もう一度石を持ち上げて、思い通りの重さになっていれば願いは叶う。 というもの、お参りが終わったら話のタネにやってみるのもいいかもしれません(^ω^) それから社務所の方も覗いてみると、おさがりの油揚げが置いてあることがあります。ひと家族2袋までという制限でお持ち帰りをすることが出来ます。 1袋にたくさん油揚げが詰まっていますのでかなりの量です。 ちょっと変わったお参りの仕方があり、参道では食べ歩きも楽しめるお千代保稲荷なのであります(=゚ω゚)ノ
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2020年11月10日 21:09 コメント 9 件 商売繁盛の神様である「おちょぼさん」
岐阜県海津市にある千代保稲荷神社、地元ではお千代保稲荷と呼ばれることが多く、通称「おちょぼさん」と親しまれている稲荷神社です。 名鉄竹鼻線が大須駅まであった頃はここからお千代保稲荷までバスが出ていたわけです。現在は新幹線の岐阜羽島駅から海津市のコミュニティバスでお千代保稲荷まで行くことができます。 お千代保稲荷は商売繁盛・家内安全のご利益がある神社として知られておりまして、年間200万人が参拝しています。 その由来は平安時代に遡ります。 八幡太郎源義家の六男、義隆が分家をする際に「森」の姓を授かり、「千代代々に保っていけ」と祖神と宝剣と義家の肖像画をもらいました。 その後今から550年程前の室町時代に、義隆の子孫である森八海がこの里を開墾して義家から伝わる祖神を祀ったのが神社の始まりです。 正式な神社名である千代保稲荷神社というのは、分家の際に言われた「千代代々に保っていけ」が由来となっています( ..)φ 商売繁盛の神様だけあって企業関係者や自営業者の参拝が多く、正月はもちろんのこと月末月初めは参拝客が多くなります。 月末月初めの参拝客が多いのは「今月も商いがよくできました、ありがとうございました。来月もよろしくお願いします。と商売繁盛のお礼参りをするためなのだそうです。 そしておちょぼさんと言えば参道に並ぶ色々なお店でショッピングや食べ歩きが楽しめマス♪ 特に名物である串カツは焼きたての物が店頭で並べられて、店前で立ち食いするのが醍醐味なのでございます(●^o^●) それから草餅も名物となっているようです、他にも川魚料理が楽しめる店があったりします。 では次回のブログでお千代保稲荷ならではのお参りの仕方があるので紹介します(=゚ω゚)ノ 追伸…ちなみに今回の写真は添乗員の仕事でお千代保稲荷に行った時に撮影してきたものです。ブログで披露するタイミングを失っていたものが今回めでたく日の目をみることができました~~~\(^o^)/ 次回もその写真を使います。
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2020年11月06日 21:06 コメント 7 件 お千代保稲荷への参詣路線でした…
先日岐阜県の羽島市に行く用事があって名鉄を使って行ってきました。名鉄名古屋からですと岐阜行きの電車に乗って笠松という所で竹鼻線という路線に乗り換えです。 そう言えばこの路線は一部廃線になっているのです。 そこで今回は名鉄竹鼻線についてちょっと紹介をしてみることにします(=゚ω゚)ノ 名鉄竹鼻線は、織物の地場産業で活気づいていた羽島地区の要望がきっかけで1921(大正10)年6月に新笠松(現在の竹鼻線西笠松)ー竹鼻間が開業しました。 名鉄本線にある笠松駅は現在に至るまで何回か移転をしています。当時は美濃電気軌道という会社が岐阜から笠松までの路線を先に開業させていて、竹鼻鉄道の新笠松駅とは離れていました。 そこで竹鼻鉄道が開業した3か月後の9月に新笠松に乗り入れをして駅名を笠松と改称しました。 そして1929(昭和4)年4月に竹鼻鉄道は竹鼻から先の大須まで開業しました。1930(昭和5)年8月に美濃電が合併により名岐鉄道となって1935(昭和10)年4月に岐阜ー名古屋間のルートを開業させた時に新笠松駅を開業させているのですが、これまた竹鼻鉄道の笠松駅とは離れていたので1936(昭和11)年5月に接続させて笠松と改称し、今までの笠松駅は西笠松と改称され現在に至ります。 その後は1935(昭和10)年8月に名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併して現在の名鉄が誕生し、1943(昭和18)年に竹鼻鉄道は名鉄と合併して名鉄竹鼻線となりました。 名鉄は愛知と岐阜の中小私鉄が合併を繰り返して誕生しただけに歴史を語りだすととても複雑になります(;^ω^) 終着駅だった大須の近くには名古屋にある大須観音の本家があったとのこと。1612(慶長17)年に徳川家康が名古屋にお堂を移動させて、その後の移転跡に村民らが現在のお堂をたてたらしいですね。 そして大須駅は日本三大稲荷の一つであるお千代保稲荷への路線バスと接続していました。 そして2001(平成13)年9月で江吉良ー大須間が廃止になってしまいました( ;∀;) 廃線後は羽島市のコミュニティバスに転換されております。 江吉良駅から牧野駅跡まで廃線跡を歩いてみました。牧野駅のホームが残っていましたね。いくつか駅跡は残っているようです。 では次回は、お千代保稲荷の話をしてみることにします(=゚ω゚)ノ
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2020年11月03日 22:18 コメント 17 件 旭城のコスモス畑
このところ、プレミアブログでコスモス畑の風景を写真にアップされる方をよく見かけます、ホントに秋という感じになりましたね。 それを見ていて僕は、そう言えば尾張旭にもコスモス畑があるなと思いだして見に行ってみました。 てなワケで501回目のブログは僕の地元尾張旭のはなし〜(=゚ω゚)ノ 場所は城山公園の旭城前、すぐ横を通る城山街道沿いにあります。 ここは尾張旭の田んぼアートと田んぼイルミネーションの会場でもあるのです。 この場所でコスモス栽培を始めたのは1991(平成3)年からのことです。それまでこの旭城の南側一体が田んぼとなっていて稲が栽培されていましたが、1990(平成)2年に耕作が放棄されて休耕田となりました。そこで当時の尾張旭農協(現在のJAあいち尾東)が景観作物としてコスモスを栽培し始めたのがきっかけなんだそうです。 その後田んぼを引き受けてくれる耕作者が現れて稲の栽培もするようになりました。 でもこのコスモスの栽培が市民の間に定着していたので規模を縮小して現在の城山街道沿いだけコスモス栽培が継続されるようになったとのこと。 今では秋の風物詩として多くの市民に親しまれています(●´ω`●) 遠くから旭城を眺めると赤みがかかった色の畑が見えます、これがコスモス畑で近づいてみるといい香りがします♪ 満開で見頃をむかえている綺麗なコスモス畑でございます(=゚ω゚)ノ 3枚目の添付写真、コラージュなく1枚にしてみました。 いかがでしょうか(#^^#) コスモスが終わると田んぼイルミネーションの準備といったところでしょうか。 今年の田んぼイルミネーションは、その苗を植えるイベントが11月下旬に開催されます。田んぼアートは中止になりましたが、田んぼイルミネーションは開催されるようですな(^ω^)
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2020年10月30日 21:27 コメント 21 件 祝、今回でブログ500回目\(^o^)/
わたくし鉄道の旅人は2013(平成25)年5月にパソコンの知識をしっかり身につけようと市民講座を始め、そしてその年の11月5日にプレミアクラブで初めてのブログを書きました。 そして時は流れて本日2020年10月30日(金)、記念すべき500回目のブログとなりました\(^o^)/ 取り敢えずは旅ブロガーにあこがれ、鉄道と旅の話をテーマに書いております。(そんな風に思えないという記事もあるかも(;^ω^)) それから地元の事って意外と知らないかもと感じて催し物とか憩いの場所等にも注目しています。尾張旭にもこんなところがあったのか~、という発見ができて面白いものです。 遠くへ出かけるだけが能ではない、たまには地元を歩くのもイイかもと感じるようになりました♪ 添乗員の仕事につけた時はネタはどんどんたまるが更新する暇が無かったりしたこともありましたね。 今年に入ってからはコロナ禍の自粛期間等で気軽には出かけられず、スキャンを覚えて過去のフィルム写真からネタを拾っていきました。 プレミアクラブでブログを書かれる方の大多数は鉄道に興味のない方々と考えて鉄道の話をする時は分かりやすくて関心をもってもらうことを心掛けています。 時々鉄道好きの方とプレミアクラブで出会ったり、僕のブログを読んで鉄道に関心を持つようになったという声が聞かれるのでとても嬉しいですね(●^o^●) 最近はコメントを残していなくても読んでいる人がたくさんいるような気がしてそれも嬉しくなりますね。 これからも鉄道と旅にこだわったブログを書いていきますので、よろしくお願いしますm(__)m では本日の添付写真はについて(*・ω・)ノ 1枚目…第1回目のブログで使った写真を加工してみました(=゚ω゚)ノ この場所は何処かと言うと 2枚目…愛媛県の予讃本線下灘駅です。松山から普通列車で1時間程西に向かったところになります。瀬戸内海に沈む夕日は綺麗に見える海辺の駅として有名で、ポスターにも登場した駅です。 3枚目…第1回目のブログの写真が海の見える駅だったのにちなんで、手元にあった写真の中で海を眺めることが出来る駅の写真をコラージュにしてみました(=゚ω゚)ノ
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2020年10月27日 22:25 コメント 8 件 神話の里で鉄路の復活を望む(=゚ω゚)ノ
近くに出かけた話が続きましたが、ここで過去の写真を使った鉄分濃い目の話になります。 今回は九州の廃止になった鉄道のはなし… かつて宮崎県の北部延岡市から更に熊本県境近くにある西臼杵郡高千穂町まで結ぶ高千穂鉄道という鉄路がありました。 この路線が開業したのは1935(昭和10)年で国鉄日ノ影線として延岡ー日向岡元間が開業し、その後名前となった日ノ影まで1939(昭和14)年に延伸開業しました。 1972(昭和47)年にその先の高千穂まで延伸開業して高千穂線と改称されました。それからJR九州に引き継がれた後に1989(平成元)年第三セクターの高千穂鉄道に転換されます。 ところが2005(平成17)年9月の台風14号によって鉄道施設が甚大なる被害を受けて全線で運転休止となります。結局は多額の復旧費用がかかり、とても工面するのは無理ということで復旧は断念となって2008(平成20)年12月で正式に廃止となってしまいました( ;∀;) 実はこの高千穂線を引き継いで運行するため2006(平成18)年3月に神話高千穂トロッコ鉄道(株)が設立されましたが、資金力等に問題があって観光鉄道として運営されるようになり2008(平成20)年高千穂あまてらす鉄道と改称され現在に至ります。 最初は旧高千穂駅構内で手押しのトロッコから始まって、2013(平成25)年にはスーパーカートで現役時代は日本一の高さを誇った高千穂鉄橋までの運行が開始されました。2枚目の写真は2017(平成29)年3月から運行されている30人乗りのグランドスーパーカートという乗り物です。 屋根のない乗り物で、これが高さ105mの高千穂鉄橋を通るわけですからナマで橋の下に広がる景色を味わえるというのがウリモノなのです(=゚ω゚)ノ 今では沢山の観光客が訪れる高千穂の観光名所の一つになっています。 3枚目のコラージュ写真は1988(昭和63)年僕が高千穂駅に訪れた時のものです。この時高千穂駅から10分程歩いたバスターミナルから出発する高千穂を巡る定期観光バスというのに参加しました。天候が良くなかったことが残念でしたね。 高千穂あまてらす鉄道は今でも延岡までの復活を夢見つつ、高千穂鉄橋から眺める壮大な景色を楽しませてくれてオリマス(^^♪
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2020年10月23日 22:24 コメント 10 件 「上見やぁ~」、でなくて「ウエミーヤ」
では前回の続きでゴザイマス(=゚ω゚)ノ 久屋大通公園と同様、リニューアルオープンとなったテレビ塔の展望台にのぼってまいりました♪ ここで名古屋テレビ塔ついて紹介します。 名古屋テレビ塔は1954(昭和29)年に観光とテレビ放送用電波発信のために建てられました。日本初の集約電波鉄塔なんだそうです。 そして2005(平成17)年にはタワーでは初となる国の登録有形文化財に認定されています。それから2011(平成23)年にはテレビ用電波がアナログ放送からデジタル放送に切り替わり、集約電波塔としての役目は終わりました。 テレビ塔の存続が危ぶまれたものの、2019(平成31)年1月から全体改修工事が行われて今年2020(令和2)年9月にグランドオープンの運びとなったわけです( ..)φ 外見を変えること無く世界初の工法による免震装置の設置によって震度6程度の地震に耐えられるようになったのだそうです。 低層階の施設や展望台も一新されました、変わったところでは4階と5階がホテルになったことでしょうか。 さすがに実物の部屋は見ることはできませんが、検索して写真を見るとなかなかオシャレです♪ そして展望フロアも地上90mの屋内展望台のスカイデッキMIRAI360(ミライサンロクマル)と地上100mの窓のない吹き抜けの屋外展望台であるスカイバルコニーのエリアがあります。 3枚目のコラージュ写真がその展望フロアから眺めたものでございます。写真をかなりのアップにしても見づらくなってますが、一応主な建物は矢印で示しておきました。 天気が良かったので、かなり遠くの方まで見ることが出来て良い眺めでしたね(●´ω`●) なお展望台まではエレベーターがありますが、土日は屋外の階段も開放されております。ちなみに展望台料金は大人900円です。 そして本日のブログのタイトルですが、マスコットキャラクターが新たに登場していて名前が「ウエミーヤ」というのだそうです(1枚目のコラージュ写真参照)。 プロフィールもあって、性格は常に上向き志向、好きな言葉は向上心、特徴がテレビ塔を眺めすぎて上しか見られないのだそうです( *´艸`) 観光タワーとしてリニューアルされた名古屋テレビ塔…… 天気の良い日は展望台で名古屋を一望するのもいいものです♪
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2020年10月20日 23:58 コメント 11 件 Hisaya-odori Park
我が町を走る名鉄瀬戸線の終点は栄町という駅です(=゚ω゚)ノ それまでは名古屋城のお堀を通って、堀川というところまで走っていたのをお堀部分を廃止して、1978(昭和53)年に名古屋最大の繁華街に直結させたわけです。場所は名古屋のテレビ塔付近の地下にあります。 その時にテレビ塔付近の久屋大通公園と地下街も整備されて、地下街はセントラルパークと名付けられました。 そしてこのほど、名古屋テレビ塔と久屋大通公園周辺が再開発されて2020(令和2)年9月18日にRAYARD Hisaya-odori Park(レイヤード ヒサヤオオドオリパーク)としてオープンしたのです♪ 兼ねてから様子を見に行ってみたいと思っていたので、今日(10/20)ちょっと出かけてみました(=゚ω゚)ノ 行ってみると、散策路と緑の木々とさかえ川と名付けられた人工の川が流れていたのがすっかり様変わりしていました。 緑も入れつつ両サイドにはオシャレなお店がたくさん並んでおりました。 公園内に飲食店や売店を設けてその収益で講演の整備・維持管理を行う「Park-PFI」制度というのを用いた施設なのだそうです。今まで公園では敷地面積に対して2%しか売店等を作っていけなかったらしく、それが緩和されたという形でしょうか。 パークは4つのエリアに分かれていて… ZONE1は大型芝生広場のある学びの森ゾーン ZONE2は小径のそぞろ歩きを楽しむアーバンリゾートゾーン ZONE3はスポーツとアウトドアがテーマのコミュニケーションゾーン ZONE4は巨大水盤の広がる新たなシンボルゾーンとなっております。 この中には全部で35店舗あるのだそうです、スヌーピーでおなじみの「PEANUT Cafe」や軽井沢で人気のカフェレストラン「Eloise′s Cafe」、京都・三十三間堂近くにある老舗茶問屋直営のカフェ「茶匠 清水一芳園」、公園の最北部に「天狼院書店」といったお店がございます(=゚ω゚)ノ 平日でしたが、人手は結構多かったですね。 昼頃だったためか、人気の飲食店は混んでいて列ができているところもありました。 さて、せっかく名古屋テレビ塔まできたので展望台に上ってきました。その話は次回のブログで……(^ω^)
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2020年10月16日 23:30 コメント 13 件 中津川の栗きんとん話 付録(=゚ω゚)ノ
今日は思い付きで2本立てにしてしまいました(#^^#) 中津川のにぎわい物産館で手に入れたチラシでコラージュ写真を作ってみたので披露します(=゚ω゚)ノ 1枚目のものは前のブログの1枚目の写真でコラージュとして使ったものを無加工で添付しました。 そして2枚目のものは中津川市内の栗きんとんのお店14店舗が紹介されたチラシを使ってコラージュ写真にしてみました。 おそらくアップにしてもらえれば字を読むことが出来ると思います。 なお今回僕は「すや」を訪問して栗きんとんを購入、そしてにぎわい物産館にて「川上屋」の栗きんとんを購入しました。 中津川の有名どころで、おそらく全国にも知られているところでしょう( ..)φ なお、恵那にも「恵那川上屋」と「恵那寿や」というお店がございまして、色々調べてみるとどうやら中津川の「川上屋」と「すや」で働いていた人がのれん分けをしてもらって開いた店のようです。 せめて雰囲気だけでも味わって行った気分になってくださいな(=゚ω゚)ノ
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