メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
お千代保稲荷への参詣路線でした…
2020年11月06日 21:06



先日岐阜県の羽島市に行く用事があって名鉄を使って行ってきました。名鉄名古屋からですと岐阜行きの電車に乗って笠松という所で竹鼻線という路線に乗り換えです。
そう言えばこの路線は一部廃線になっているのです。
そこで今回は名鉄竹鼻線についてちょっと紹介をしてみることにします(=゚ω゚)ノ
名鉄竹鼻線は、織物の地場産業で活気づいていた羽島地区の要望がきっかけで1921(大正10)年6月に新笠松(現在の竹鼻線西笠松)ー竹鼻間が開業しました。
名鉄本線にある笠松駅は現在に至るまで何回か移転をしています。当時は美濃電気軌道という会社が岐阜から笠松までの路線を先に開業させていて、竹鼻鉄道の新笠松駅とは離れていました。
そこで竹鼻鉄道が開業した3か月後の9月に新笠松に乗り入れをして駅名を笠松と改称しました。
そして1929(昭和4)年4月に竹鼻鉄道は竹鼻から先の大須まで開業しました。1930(昭和5)年8月に美濃電が合併により名岐鉄道となって1935(昭和10)年4月に岐阜ー名古屋間のルートを開業させた時に新笠松駅を開業させているのですが、これまた竹鼻鉄道の笠松駅とは離れていたので1936(昭和11)年5月に接続させて笠松と改称し、今までの笠松駅は西笠松と改称され現在に至ります。
その後は1935(昭和10)年8月に名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併して現在の名鉄が誕生し、1943(昭和18)年に竹鼻鉄道は名鉄と合併して名鉄竹鼻線となりました。
名鉄は愛知と岐阜の中小私鉄が合併を繰り返して誕生しただけに歴史を語りだすととても複雑になります(;^ω^)
終着駅だった大須の近くには名古屋にある大須観音の本家があったとのこと。1612(慶長17)年に徳川家康が名古屋にお堂を移動させて、その後の移転跡に村民らが現在のお堂をたてたらしいですね。
そして大須駅は日本三大稲荷の一つであるお千代保稲荷への路線バスと接続していました。
そして2001(平成13)年9月で江吉良ー大須間が廃止になってしまいました( ;∀;)
廃線後は羽島市のコミュニティバスに転換されております。
江吉良駅から牧野駅跡まで廃線跡を歩いてみました。牧野駅のホームが残っていましたね。いくつか駅跡は残っているようです。
では次回は、お千代保稲荷の話をしてみることにします(=゚ω゚)ノ
そう言えばこの路線は一部廃線になっているのです。
そこで今回は名鉄竹鼻線についてちょっと紹介をしてみることにします(=゚ω゚)ノ
名鉄竹鼻線は、織物の地場産業で活気づいていた羽島地区の要望がきっかけで1921(大正10)年6月に新笠松(現在の竹鼻線西笠松)ー竹鼻間が開業しました。
名鉄本線にある笠松駅は現在に至るまで何回か移転をしています。当時は美濃電気軌道という会社が岐阜から笠松までの路線を先に開業させていて、竹鼻鉄道の新笠松駅とは離れていました。
そこで竹鼻鉄道が開業した3か月後の9月に新笠松に乗り入れをして駅名を笠松と改称しました。
そして1929(昭和4)年4月に竹鼻鉄道は竹鼻から先の大須まで開業しました。1930(昭和5)年8月に美濃電が合併により名岐鉄道となって1935(昭和10)年4月に岐阜ー名古屋間のルートを開業させた時に新笠松駅を開業させているのですが、これまた竹鼻鉄道の笠松駅とは離れていたので1936(昭和11)年5月に接続させて笠松と改称し、今までの笠松駅は西笠松と改称され現在に至ります。
その後は1935(昭和10)年8月に名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併して現在の名鉄が誕生し、1943(昭和18)年に竹鼻鉄道は名鉄と合併して名鉄竹鼻線となりました。
名鉄は愛知と岐阜の中小私鉄が合併を繰り返して誕生しただけに歴史を語りだすととても複雑になります(;^ω^)
終着駅だった大須の近くには名古屋にある大須観音の本家があったとのこと。1612(慶長17)年に徳川家康が名古屋にお堂を移動させて、その後の移転跡に村民らが現在のお堂をたてたらしいですね。
そして大須駅は日本三大稲荷の一つであるお千代保稲荷への路線バスと接続していました。
そして2001(平成13)年9月で江吉良ー大須間が廃止になってしまいました( ;∀;)
廃線後は羽島市のコミュニティバスに転換されております。
江吉良駅から牧野駅跡まで廃線跡を歩いてみました。牧野駅のホームが残っていましたね。いくつか駅跡は残っているようです。
では次回は、お千代保稲荷の話をしてみることにします(=゚ω゚)ノ
ちあきさんこんにちは~(^^♪
現在の名鉄が存在していなくて、名古屋までも路線が繋がっていない頃に竹鼻鉄道として開通したものです。その後周辺の鉄道会社が変わって名古屋まで線路を新たに引いたような形になるので、接続する笠松駅の位置が今の場所に落ち着くまで何回か変わっていてホント複雑デス(;^ω^)
江吉良ー大須間の廃止後のこの区間は羽島市のコミュニティバスになりますが、お千代保稲荷は海津市という所にあって海津市のコミュニティバスが岐阜羽島駅からでています。確かに車で行く人の方が多いですね。
豊川稲荷には行ったことがあるのですね、ちなみにあと一つは京都の伏見稲荷でございます(=゚ω゚)ノ
現在の名鉄が存在していなくて、名古屋までも路線が繋がっていない頃に竹鼻鉄道として開通したものです。その後周辺の鉄道会社が変わって名古屋まで線路を新たに引いたような形になるので、接続する笠松駅の位置が今の場所に落ち着くまで何回か変わっていてホント複雑デス(;^ω^)
江吉良ー大須間の廃止後のこの区間は羽島市のコミュニティバスになりますが、お千代保稲荷は海津市という所にあって海津市のコミュニティバスが岐阜羽島駅からでています。確かに車で行く人の方が多いですね。
豊川稲荷には行ったことがあるのですね、ちなみにあと一つは京都の伏見稲荷でございます(=゚ω゚)ノ
masakisiさんこんばんは~(^^♪
色々な会社が合併して名鉄ができたこともあって、この竹鼻線については複雑な感じです。
始めは岐阜の市内線や揖斐線等を営業していた美濃電が笠松まで進出して、美濃電の協力で竹鼻鉄道が設立されて開業したようです。それから会社が変わるためか、笠松駅が今の場所に落ち着くまで次々と位置が変わるので複雑ですね。
お千代保稲荷は豊川稲荷、伏見稲荷と並んで日本三大稲荷の一つとされることがあるんですよ。
次回と次々回はお千代保稲荷を紹介するので鉄分が薄くなりますが、その次は名鉄羽島線を取り上げてみる予定です。
やはり竹鼻線を取り上げたら、話しておかなければなりませぬな。
色々な会社が合併して名鉄ができたこともあって、この竹鼻線については複雑な感じです。
始めは岐阜の市内線や揖斐線等を営業していた美濃電が笠松まで進出して、美濃電の協力で竹鼻鉄道が設立されて開業したようです。それから会社が変わるためか、笠松駅が今の場所に落ち着くまで次々と位置が変わるので複雑ですね。
お千代保稲荷は豊川稲荷、伏見稲荷と並んで日本三大稲荷の一つとされることがあるんですよ。
次回と次々回はお千代保稲荷を紹介するので鉄分が薄くなりますが、その次は名鉄羽島線を取り上げてみる予定です。
やはり竹鼻線を取り上げたら、話しておかなければなりませぬな。
鉄道の旅人さん
こんばんは
言われるように名鉄は広範囲にわたり合併を繰り返し
営業距離を伸ばしてきた鉄道会社ですね。
関西のように最終的にはグループ会社にはなっていますが
各社それぞれで発展した歴史と大部違いますね。
美濃電にしても揖斐線や美濃町線などの営業距離で
充分自社で成り立つように感じます。
豊川稲荷が有名ですがもうひとつ有名な稲荷神社が在ったとは
知りませんでした。これからも名鉄の廃線シリーズ?
楽しみにしています。
こんばんは
言われるように名鉄は広範囲にわたり合併を繰り返し
営業距離を伸ばしてきた鉄道会社ですね。
関西のように最終的にはグループ会社にはなっていますが
各社それぞれで発展した歴史と大部違いますね。
美濃電にしても揖斐線や美濃町線などの営業距離で
充分自社で成り立つように感じます。
豊川稲荷が有名ですがもうひとつ有名な稲荷神社が在ったとは
知りませんでした。これからも名鉄の廃線シリーズ?
楽しみにしています。
ひでさんこんばんは~(^^♪
名鉄はいつくかの会社の合併により、一時期近鉄に次いで総営業距離が私鉄第二位でしたけど俗にいう600v区間等をかなり切って私鉄第三位になってしまいましたね。
車両もバラエティーにとんでいましたけど、それぞれの路線にも特徴がありました。
竹鼻線は会社の合併の繰り返しのためなのか、起点の笠松駅が色々と移動していて複雑に感じます。
名鉄は支線でもパノラマカーが入ったりしていたのですが、竹鼻線は入ることができなかったみたいです。廃止された部分は単線で行き違い施設が無いので本数は1時間に2本が限界でした。
行き違い施設を作って本数増やせば良かったのではという気がします。
名鉄はいつくかの会社の合併により、一時期近鉄に次いで総営業距離が私鉄第二位でしたけど俗にいう600v区間等をかなり切って私鉄第三位になってしまいましたね。
車両もバラエティーにとんでいましたけど、それぞれの路線にも特徴がありました。
竹鼻線は会社の合併の繰り返しのためなのか、起点の笠松駅が色々と移動していて複雑に感じます。
名鉄は支線でもパノラマカーが入ったりしていたのですが、竹鼻線は入ることができなかったみたいです。廃止された部分は単線で行き違い施設が無いので本数は1時間に2本が限界でした。
行き違い施設を作って本数増やせば良かったのではという気がします。
cocoaさんこんばんは~(^^♪
そうです、お千代保稲荷は「おちょぼさん」と呼ばれて地元に親しまれています。
愛知の豊川稲荷、京都の伏見稲荷と並んで日本三大稲荷と呼ばれているとかいないとか(=゚ω゚)ノ
僕は羽島に親戚がいるので、子供の頃に遊びに行くとよく「おちょぼさん」まで連れて行ってくれました。
そして添乗員になって仕事で「おちょぼさん」に久々来て買い食いをしたんですよ♪
新幹線の羽島駅から名鉄岐阜までの名鉄線がありますよん、これについてはお千代保稲荷の話が終わったら詳しく話すのでお楽しみに♪
ちなみに現在お千代保稲荷まで行くには岐阜羽島駅から海津市のコミュニティバスを使います。
そうです、お千代保稲荷は「おちょぼさん」と呼ばれて地元に親しまれています。
愛知の豊川稲荷、京都の伏見稲荷と並んで日本三大稲荷と呼ばれているとかいないとか(=゚ω゚)ノ
僕は羽島に親戚がいるので、子供の頃に遊びに行くとよく「おちょぼさん」まで連れて行ってくれました。
そして添乗員になって仕事で「おちょぼさん」に久々来て買い食いをしたんですよ♪
新幹線の羽島駅から名鉄岐阜までの名鉄線がありますよん、これについてはお千代保稲荷の話が終わったら詳しく話すのでお楽しみに♪
ちなみに現在お千代保稲荷まで行くには岐阜羽島駅から海津市のコミュニティバスを使います。
鉄道の旅人さん今日は
名鉄竹鼻線の歴史を学びました
子供の頃は、バラエティー豊かな車両を日常的に見る事が出来る名鉄沿線の方が羨ましかったです
第一線で活躍していたパノラマカーだけでなく、ご紹介下さった竹鼻線や他の支線や岐阜市内線を、味のある旧型車両が中京地区を隈なく走っている印象を持っていました
いくつかの会社が合併したという歴史を示す様に、路線図が複雑だとも感じていました
合併を繰り返して長い総延長になり、そしてごく最近に一部の路線の経営分離によりその距離が若干縮まったという、その点で名鉄は、私にとってより馴染みがある近鉄ともイメージが重なります
次回のお話も楽しみにしております
名鉄竹鼻線の歴史を学びました
子供の頃は、バラエティー豊かな車両を日常的に見る事が出来る名鉄沿線の方が羨ましかったです
第一線で活躍していたパノラマカーだけでなく、ご紹介下さった竹鼻線や他の支線や岐阜市内線を、味のある旧型車両が中京地区を隈なく走っている印象を持っていました
いくつかの会社が合併したという歴史を示す様に、路線図が複雑だとも感じていました
合併を繰り返して長い総延長になり、そしてごく最近に一部の路線の経営分離によりその距離が若干縮まったという、その点で名鉄は、私にとってより馴染みがある近鉄ともイメージが重なります
次回のお話も楽しみにしております
鉄道の旅人さん こんばんは
お千代保稲荷と聞くと、懐かしいです。
おちょぼさん、おちょぼさんって言いますよね。
日本三大稲荷ですか?
最近は行ってないけど。
お正月には初詣でで、賑わいますね。
たくさんのお店があるので、楽しめます。
よくお揚げを買ってお供えしたような。
買い食いもしましたね。
竹鼻線に乗ったことないけど、新幹線の羽島駅から新岐阜駅へ名鉄が走っていますね。
その途中に笠松駅があって、竹鼻線が出ていたように思うけど。
最近乗ってないのでわかりませんが。
どうなっているのかな?
お千代保稲荷へ行くには今はコミュニティバス?
時代の流れなんですね。
お千代保稲荷と聞くと、懐かしいです。
おちょぼさん、おちょぼさんって言いますよね。
日本三大稲荷ですか?
最近は行ってないけど。
お正月には初詣でで、賑わいますね。
たくさんのお店があるので、楽しめます。
よくお揚げを買ってお供えしたような。
買い食いもしましたね。
竹鼻線に乗ったことないけど、新幹線の羽島駅から新岐阜駅へ名鉄が走っていますね。
その途中に笠松駅があって、竹鼻線が出ていたように思うけど。
最近乗ってないのでわかりませんが。
どうなっているのかな?
お千代保稲荷へ行くには今はコミュニティバス?
時代の流れなんですね。
コメント
7 件