「鉄道の旅人」さんのブログ一覧
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2020年12月18日 21:34 コメント 17 件 秘境駅⑱
秘境駅とは… 自然以外は何も無い山奥や原野にあって人家や人の気配を感じさせないような駅のことをそう呼んでいます。 この「秘境駅」という言葉は鉄道ファンである牛山隆信さんという方が、「秘境駅へ行こう」という本を出してから使われるようになりましたね。 さて、このテーマで僕がブログを書くのは今回で18回目で、2018年2月6日にアップした三重県にあるJR名松線伊勢鎌倉駅の記事以来の約2年10ヶ月ぶりになります。 久々でしたので、改めて「秘境駅」という言葉を説明してみました(#^^#) 今回は11月下旬に久々に添乗員の仕事をしたのですが、それは長野県飯田から彦根までの日帰りバスツアーでした。その時飯田で一日お休みがあったので飯田線の秘境駅を3ヶ所訪れることができました。 その秘境駅たちを本日から3回にわたって紹介いたします(=゚ω゚)ノ 今回の写真は千代駅でゴザイマス。 豊橋からは普通電車で揺られること約3時間半ほど、天竜峡駅の一つ手前の駅です。開業したのは1932(昭和7)年になります。 「千代」という名前が縁起が良いということで人気があるようですね。 1面1線のホームに引き込み線が見えますが、これは1953(昭和28)年~1966(昭和41)年までそばを流れる天竜川での砂利を運搬するためにつかわれたものなのだそうです。 ホームを豊橋側に歩いて行くと沢が流れております。そして飯田側に歩いて行くと一軒の民家がありました。30分程さらに歩くと幾つかの集落があるようです。 そして線路を挟んだ向かい側に畑があり、大きな木があったので見てみると桜のようで花が幾つか咲いていました。 この駅は春になってからお昼時にお弁当持参で来て待合室に座って景色を眺めながら過ごしてみると良さそうだなと思いましたね~、長閑な風景でゴザイマス(●´ω`●)
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2020年12月15日 21:07 コメント 15 件 尾張旭Xmasキャンドルナイト2020
先週土曜日の12/12に第9回あさひ冬フェスタのメインイベントと言うべき「Xmasキャンドルナイト」が尾張旭駅前にて開催されました。 既に9回目となるので、もう尾張旭の冬の風物詩といっても過言ではないかもしれません(^^♪ ですが、今年はコロナ禍という状況… 冬になって感染者が増加するという傾向になっています(;^ω^) なので今年はエリアが区切られ入口が三ヵ所設けられて、その入口で検温と名前と電話番号を用紙に書いてリストバンドをもらうという形で開催されていました。 会場にステージが設けられて色々なイベントが行われる中、進行役の方は「蜜にならないように、ソーシャルディスタンスを保ってください!」とステージ上のイベントの合間に呼び掛けておりましたね(・_・) 僕が行ったのは17時近くからで、16時からセレモニー等が始まっていました。 ステージでは地元のダンススクールのストリートダンスが行われていましたね。そのあと「森羅特装修羅場スター」という尾張旭市のご当地ヒーローショーが開催されていましたけど、そこでも「コロナ禍」をテーマにストーリーが繰り広げられたという… そして会場には市内の保育園の子供たちが描いたホルダーに入ったキャンドルが約400本飾られていました。(2枚目の写真に注目してください(=゚ω゚)ノ) そして12/1(火)から来年の1/28(木)まで三郷駅を除く名鉄瀬戸線の尾張旭市内の駅3ヶ所で駅前イルミネーションが開催されていて、利用者の目を楽しませてくれます(3枚目の写真(=゚ω゚)ノ) 今年のキャンドルナイトは開催されないのではという気がしていたので、開催されて良かったです。 来年はコロナ禍が気になることなく開催されることを望みたいものです(・_・)
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2020年12月11日 21:06 コメント 10 件 尾張旭市制50周年と名鉄がコラボしてた♪
田んぼイルミネーションの話の時に尾張旭は市制50周年を迎えたという話をしていますが、今回の話は名鉄も尾張旭市制50周年を祝ってくれたんだなぁという話です(=゚ω゚)ノ 名鉄では11/23に尾張旭駅で記念の出発式が10:52発車の普通栄町行き電車により開催されました(1枚目の写真)。 電車には記念のヘッドマークが貼られていまして、この記念のヘッドマーク付きの電車は12月下旬まで走っているとのことです。 なお尾張旭市内にある印場駅が復活して25周年となることも記念してオリマス(=゚ω゚)ノ そして尾張旭市制50周年記念&印場駅復活25周年記念入場券セットというのも発売されて、僕は手に入れてきました(2枚目の写真)。 5枚で1セットとなって850円でした、尾張旭の前の駅名「旭新居」の入場券があったり、昔の駅舎の写真があったりしてとても懐かしいですね(●´ω`●) そしてこの記念入場券セットには市制記念券の引換券がついており、尾張旭駅からも見えるスカイワードあさひにて市制記念券と交換してくれます。それから入場券セットの5枚と市制記念券を合わせると尾張旭市制50周年のロゴマークが出来上がる仕組みとなっております(3枚目の写真) 尾張旭市は1970(昭和45)年12月1日に東春日井郡旭町から尾張旭市へと市制施行されて今年で50年目となります。 色々な記念イベントを計画していたようですが、コロナ禍で中止になったものもありました。 そして印場駅は1905(明治38)年4月2日に開業して、1944(昭和19)年に休止となりました。その後1969(昭和44)年4月5日に廃止となりますが、1995(平成7)年12月22日に旧駅の位置よりやや西寄りの所に復活して現在に至ります。 それにしても印場駅が復活したのはついこの間だと思っていたら25年経過していたとはびっくりでしたΣ(・ω・ノ)ノ! 緑が多くて住みやすい我がふるさと尾張旭市でゴザイマス、これからも住みやすい街づくりを進めていただきたいものですね(●^o^●)
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2020年12月08日 21:19 コメント 16 件 彦根のアイドルに会いました(=゚ω゚)ノ
今日のブログは、二本立てにさせていただきましょう\(^o^)/ 彦根城の天守閣を久々に見てきたうえに、彦根のアイドルにもあってまいりました(^^♪ そのアイドルとは、彦根のゆるキャラである「ひこにゃん」でゴザイマス(●^o^●) 動くひこにゃんをナマで見たのは初めてですけど可愛かったですよん♪ 仕事に行った2日間ともひこにゃんに会ってきました。ちなみに今回の添付写真は1枚目と2枚目は彦根城天守閣前で、3枚目は彦根城博物館です。 ひこにゃんは毎日彦根城下のどこかに出没しているようです。 そのスケジュールはひこにゃんの公式サイトがあるので、会うためには確認をして時間をあわせることが可能です。 他の場所にも登場する時があるので、それも公式サイトで確かめることができます(=゚ω゚)ノ ひこにゃんは2007(平成19)年開催された「国宝・彦根城築城400年祭」を㏚するために2006(平成18)年4月13日に登場しました。ちなみにこの日はひこにゃんの誕生日となっていて、ひこにゃんの特別住民票を公式サイトで見ることができます。 ひこにゃんのモデルは招き猫だそうで、この招き猫というのは彦根藩井伊家2代目当主である井伊直政公をお寺の門前で手招きをして雷雨から救ったと伝えられる招き猫なのです。 その招き猫が井伊軍団のシンボルである赤備えの兜をかぶったキャラクターがひこにゃんなのです!(^^)! 彦根城下町に行く時はひこにゃんの公式サイトで登場場所と時間を確認して合わせて会いに行ってみるのもいいかもしれませんね。 この時も時間を合わせて会いに来た人が結構いらっしゃいました。 また彦根城に行く機会があったときは、ひこにゃんに会えるタイミングで来ることが出来ればいいなぁと思う今日この頃です(●^o^●)
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2020年12月08日 21:18 コメント 11 件 久々に仕事をしてきました(=゚ω゚)ノ
11月末の話ですが、添乗員関係のツテで2日間だけですが添乗員の仕事をしてきました(=゚ω゚)ノ ただ、このあとコンスタントに仕事が入ってくるというわけにはまだまだいかないようなので悩む日々が続くことでしょう(;^ω^) 場所は彦根城界隈でございます、彦根城を中心に城下町風に再現した夢京橋キャッスルロードや大正時代風の建物が並ぶ四番町スクエアなど色々と見どころがあるところです。 久しぶりの彦根城ということで、天守閣に上ってみました。坂が多いのでとても良い運動になりますな(^^; 彦根城は1604(慶長9)年から着工されました。 関ケ原の合戦後に徳川四天王と言われた井伊直政が石田三成の佐和山城と旧領が拝領されたあと徳川家康が居城を佐和山城から移すように命じられてから、直継の代となって現在の彦根山に決定して着工されたものです。 天守閣は大津城から移築されたと言われていて、1606(慶長11)年に完成したようですが表御殿の造営や城郭の改造等で全てが完成したのが1622(元和8)年とされています。 彦根城は明治に入って解体の危機に見舞われたのですが、1878(明治11)年に明治天皇の命により解体は間逃れたので現在でも江戸時代の天守閣を見ることができるワケです。 ちなみに江戸時代から天守閣が残っているお城というのは全国で12ヶ所あります。 名前をあげていくと… 弘前城(青森)、松本城(長野)、丸岡城(福井)、犬山城(愛知)、彦根城(滋賀)、姫路城(兵庫)、松江城(島根)、備中松山城(岡山)、丸亀城(香川)、松山城(愛媛)、宇和島城(愛媛)、高知城(高知)の12ヵ所となっております(=゚ω゚)ノ 天守閣にも上ってみました。 入口入るといきなり90度近い階段がありました。 江戸時代から残っている天守閣だけあって、さすがノンバリアフリー構造でゴザイマスな(;^ω^) 最上階に上がると琵琶湖がきれいに見えました。天守閣の周辺は紅葉が見頃でしたね、写真では写りが悪かったですが。 あとは記念写真用でしょうか、赤備えの兜が展示されていました。 久しぶりの彦根城、仕事に便乗して見学しました。 そう言えば隅から隅まで見てなかったり、玄宮園という庭園や博物館を見てなかったので、今度はその辺もじっくり見たいものです(^ω^)
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2020年12月04日 21:05 コメント 15 件 尾張旭市田んぼイルミネーション 2020
さて、この時期の尾張旭と言えば、田んぼイルミネーションです♪ 2020年はコロナ禍により、毎年夏に行われる尾張旭市の田んぼアートは中止になってしまいましたが田んぼイルミネーションの方は11/21(土)から開催されてオリマス(=゚ω゚)ノ 田んぼイルミネーションとは… 冬にも田んぼに目を向けてもらい、農業に興味を持ってもらうことを目的に旭城南側の田んぼで実施されているものです。 尾張旭市が防災協定を締結している石川県輪島市の「あぜのきらめき」という事業を参考に2013(平成25)年から実施されているものです。 「あぜのきらめき」とは輪島市に白米千枚田という棚田があって、そこをペットボタルというLED装置を使ってイルミネーションが行われる事業のことです( ..)φ そのペットボタルというLED装置がこの尾張旭市田んぼイルミネーションに使われています。 2020(令和2)年度田んぼイルミネーションのタイトルは「みんなでお祝い市制50周年」デス(=゚ω゚)ノ 実は1970(昭和45)年12月に尾張旭市となって今年で50周年なんですよね~♪ 今年の田んぼイルミネーションが3枚目の写真となります。毎年のように旭城4階展望台からの眺めでゴザイマス。 例年は3,000本ほどのペットボタルですが、今年は5,300本ほど使用しているのでいつになく鮮やかな気がします(●^o^●) でも残念なことに2020(令和2)年をもって田んぼイルミネーションはファイナルとなるらしいです。 何故なのかは詳細不明ですが新たなイベントを思案中なのでしょうか(._.) 田んぼイルミネーションは12/25(金)まで開催されているので、お近くの方は見に行かれてはいかがでしょうか。 そして尾張旭市ではこの時期に「あさひ冬フェスタ」と題して市内各地でイベントを開催していますので、コロナ対策はしっかりして出かけてみるのも良いかもしれません(●^o^●)
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2020年12月01日 21:50 コメント 3 件 くりはら田園鉄道④廃線後
先ずは本日のコラージュ写真の説明から(=゚ω゚)ノ 1枚目…1992(平成4)年に訪問した時の栗原電鉄時代の若柳という駅です。ここには車両基地と本社があります。 2枚目…廃止後の若柳駅です、グーグルマップを背景にしてコラージュ写真にしてみました。 くりはら田園鉄道公園として整備されています。 3枚目…1992(平成4)年の栗原電鉄時代の訪問時に撮影したものをコラージュ写真にしてみました。 くりはら田園鉄道は2007(平成19)年3月で全線が廃止となり、代替交通機関として栗原市民バスがくりはら田園線として現在運行されています。 廃線後は若柳と細倉マインパーク前以外の駅舎は解体されているようですが、線路は所々に残っているようです。 若柳駅は栗原市が鉄道公園として整備されて2010(平成22)年にオープンしました。若柳駅舎は撤去された沢辺駅の部材を活用して往時の姿に復元されました。そして2017(平成29)年4月に営業当時の貴重な資料を展示する「くりでんミュージアム」が開業しました。 これでくりはら田園鉄道公園は「くりでんミュージアム」「くりでんアトラクションゾーン」「くりでん芝生広場」というエリアで構成されるようになりました。ミュージアムでくりでんの歴史を知り、アトラクションゾーンで動態保存をされている気動車の乗車体験をして、芝生広場で遊んだりできます。 くりでんが廃止されて今年で13年になりますが、くりでんの車両をモチーフにしたくりでんグッズが現在でも充実させているようで面白そうです(●^o^●) 1921(大正10)年地元の有力者の働きかけにより栗原軌道(株)設立されて石越ー沢辺間が開業し、その後順調に鉱山がある細倉まで延伸して好調となりました。その後はモータリゼーションの影響や鉱山の閉山で利用客が減少、第三セクターとなって頑張りましたけど2007(平成19)年で90年近い歴史を閉じてしまったくりはら田園鉄道ですが、若柳駅跡地がくりはら田園鉄道公園として整備されたので歴史はこのあとも語り継がれていくことでしょう。 今度はくりはら田園鉄道公園に訪れて栗原電鉄時代の訪問時を思い出し、サポーターズクラブ会員時に叶わなかった気動車との触れ合いを実現されてみたいものです(●´ω`●)
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2020年11月27日 21:44 コメント 3 件 くりはら田園鉄道③栗原電鉄時代に訪問
僕がくりはら田園鉄道を訪問したのは1992(平成4)年3月のこと、経営がまだ移管されていない栗原電鉄時代でした。 細倉鉱山が閉山し、1990(平成2)年に鉱山跡を利用したテーマパークである細倉マインパークがオープンして細倉駅が200m移設されて「細倉マインパーク前」と改称されて2年後になりますね(・_・) 当時はまだ走っていた夜行列車を使って、早朝にJR東北本線の石越駅に到着して駅舎を出た正面にあった栗原電鉄石越駅に向かって行って一番電車で終点の細倉マインパーク前駅へと向かいました。終点に到着した後は何度も電車で行き来したり一駅分歩いてみたりと色々とやってみたものでした。 今回のコラージュ写真は、 1枚目……起点の栗原電鉄石越駅です。くりはら田園鉄道に変わった時は入口の「栗原電鉄」の表示が「くりはら田園鉄道」に変わっただけで駅舎自体はそのままでした。グッズの案内に囲まれた切符売り場の前で記念写真を撮りました。 この駅は廃止前の2001(平成13)年に無人化されています。 2枚目…終点の細倉マインパーク前駅と旧細倉駅です。朝早かったので細倉マインパークには行くことはありませんでした。 駅が移転してからも、旧駅がこの様に残っていてホームにも入ることが出来たので旧細倉駅のホームから電車を撮影してみました。この旧駅舎とホームは鉄道全線廃止になるまで残っていたらしいです。 3枚目……当時乗った電車でございます。 上のM15形という電車は1955(昭和30)年に線路幅が762mmから1067mmに変わった時に導入されたものです。 導入当時としては最新設計の車両であり、地方鉄道の電車としては最新のデラックス車だったという栗原電鉄オリジナルでございます。車内が意外とオシャレな感じがすると思うのは僕だけでしょうか(^ω^) 下のM18形という電車は1991(平成3)年に福島県のローカル私鉄である福島交通からやってきたものです。 1995(平成7)年にくりはら田園鉄道に社名変更時に既に紹介している気動車に変更しているので、その時点でこれらの電車は引退をしております。 それでは次回のブログで廃止後の話をしまして、くりはら田園鉄道の話をしめることにします(=゚ω゚)ノ
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2020年11月24日 21:17 コメント 4 件 くりはら田園鉄道② サポーターズクラブ
栗原電鉄時代は三菱マテリアルが支援をしていましたが、1993(平成5)年に栗原電鉄沿線自治体の5町に経営が移管されて第三セクター鉄道となりました。 そして1995(平成7)年になり電車から気動車となって、社名が「くりはら田園鉄道」となったワケです(=゚ω゚)ノ そして1994(平成6)年12月にくりはら田園鉄道を将来にわたって維持・発展をさせていくために「くりでんサポーターズクラブ」という応援団が結成されました。 内容としては1枚目のコラージュ写真を参照です(=゚ω゚)ノ ちなみにこれは2回目の募集内容でございます。この様な感じで1年ごとに会員を募集し、会費の金額に応じてオリジナル優待乗車券や沿線地域の特産品詰め合わせが送られるというものです。 そして会報による沿線地域のニュースやイベント等の情報提供があります。 それに加えて年一回、申し込みされた方の中から抽選でプレゼントが当たるという特典もついていました。 僕は第1回目の募集から最後の募集となった12回目まで2,000円又は3,000円を払って会員になっておりました。 そして会員証と優待乗車券やくりでんグッズや1枚目のコラージュ写真の募集案内の中にあるCDをもらったことがあります。そして一回だけですが抽選にも当たりました。 2枚目のコラージュ写真に会員証、3枚目のコラージュ写真に創刊号の会報を添付しました(=゚ω゚)ノ 会員証はくりでんの歴史や沿線の観光案内があってしっかりしたものです、優待乗車券付きとなります。 会報は沿線のイベント情報等が中心のものです。 僕は1992(平成4)年3月に栗原電鉄時代に訪問したあと、くりでんサポーターズクラブ発足して毎年会費を払いながら再び訪問する機会をうかがっていたのですが、それは叶わぬ夢となってしまいました( ;∀;) 次回は僕が栗原電鉄の時に訪問した写真を中心としたお話になります(=゚ω゚)ノ
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2020年11月20日 23:31 コメント 4 件 くりはら田園鉄道①社名が6回変わりました
今回から、かつて宮城県の登米市石越町にある石越駅と栗原市の細倉マインパーク前駅を結んでいたくりはら田園鉄道の話を4回にわたってさせていただきます。 先ずはその歩みから… くりはら田園鉄道は1921(大正10)年に①栗原軌道(株)として石越ー沢辺間が開業し、翌1922(大正11)年には岩ケ崎(栗駒)まで延長されました。当時は蒸気動力で線路幅が762mmというものでした。 この頃は1890(明治23)年に東北本線が岩手県の一ノ関まで開通していたのですが、東北本線は当時の登米郡や栗原郡の中心地を外れたところを通っていて鉄道の恩恵を受けることが出来ないと危機感を抱いた地元の有力者中村小次郎という方が各方面に働きかけて栗原軌道(株)を設立して線路を引いたとのこと。 1941(昭和16)年に②栗原鉄道(株)と社名変更したあと、1942(昭和17)年には鉱山の町である細倉まで延長されました。鉱山があると鉱石輸送で鉄道が引かれるというパターンがほとんどですが、くりはら田園鉄道の場合は逆なんです。 ここからの歩みは社名変更年を中心に箇条書きにしてみます… 1950(昭和25)年 全線電化完成 1955(昭和30)年 線路幅が1067mmとなり③栗原電鉄(株)に社名変更。 1964(昭和39)年 陸前乗合自動車(株)と合併して④宮城中央交通(株)と社名変更。 1969(昭和44)年 自社のバス部門が分離されたのにともない⑤栗原電鉄(株)に社名を変更。 1987(昭和62)年 細倉鉱山の閉山により貨物輸送も廃止。 1990(平成2)年 細倉鉱山跡を利用したテーマパークである細倉マインパークがオープンしたのに伴い、従来の細倉駅を200m延長して細倉マインパーク前駅と改称して最寄り駅とする。 1995(平成7)年 ⑥くりはら田園鉄道と社名変更、電車から気動車となる。 2007(平成19)年 鉄道全線廃止( ;∀;) というワケで、発足から廃止まで会社名が6回変更しています(=゚ω゚)ノ 2枚目と3枚目のコラージュ写真は、くりはら田園鉄道となって導入されたディーゼルカーでございます。レトロ調の気動車を自社で3両新製、予備車として名鉄から2両のディーゼルカーをいただきました。 では次回もくりはら田園鉄道の話です。
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