メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
くりはら田園鉄道③栗原電鉄時代に訪問
2020年11月27日 21:44



僕がくりはら田園鉄道を訪問したのは1992(平成4)年3月のこと、経営がまだ移管されていない栗原電鉄時代でした。
細倉鉱山が閉山し、1990(平成2)年に鉱山跡を利用したテーマパークである細倉マインパークがオープンして細倉駅が200m移設されて「細倉マインパーク前」と改称されて2年後になりますね(・_・)
当時はまだ走っていた夜行列車を使って、早朝にJR東北本線の石越駅に到着して駅舎を出た正面にあった栗原電鉄石越駅に向かって行って一番電車で終点の細倉マインパーク前駅へと向かいました。終点に到着した後は何度も電車で行き来したり一駅分歩いてみたりと色々とやってみたものでした。
今回のコラージュ写真は、
1枚目……起点の栗原電鉄石越駅です。くりはら田園鉄道に変わった時は入口の「栗原電鉄」の表示が「くりはら田園鉄道」に変わっただけで駅舎自体はそのままでした。グッズの案内に囲まれた切符売り場の前で記念写真を撮りました。
この駅は廃止前の2001(平成13)年に無人化されています。
2枚目…終点の細倉マインパーク前駅と旧細倉駅です。朝早かったので細倉マインパークには行くことはありませんでした。
駅が移転してからも、旧駅がこの様に残っていてホームにも入ることが出来たので旧細倉駅のホームから電車を撮影してみました。この旧駅舎とホームは鉄道全線廃止になるまで残っていたらしいです。
3枚目……当時乗った電車でございます。
上のM15形という電車は1955(昭和30)年に線路幅が762mmから1067mmに変わった時に導入されたものです。
導入当時としては最新設計の車両であり、地方鉄道の電車としては最新のデラックス車だったという栗原電鉄オリジナルでございます。車内が意外とオシャレな感じがすると思うのは僕だけでしょうか(^ω^)
下のM18形という電車は1991(平成3)年に福島県のローカル私鉄である福島交通からやってきたものです。
1995(平成7)年にくりはら田園鉄道に社名変更時に既に紹介している気動車に変更しているので、その時点でこれらの電車は引退をしております。
それでは次回のブログで廃止後の話をしまして、くりはら田園鉄道の話をしめることにします(=゚ω゚)ノ
細倉鉱山が閉山し、1990(平成2)年に鉱山跡を利用したテーマパークである細倉マインパークがオープンして細倉駅が200m移設されて「細倉マインパーク前」と改称されて2年後になりますね(・_・)
当時はまだ走っていた夜行列車を使って、早朝にJR東北本線の石越駅に到着して駅舎を出た正面にあった栗原電鉄石越駅に向かって行って一番電車で終点の細倉マインパーク前駅へと向かいました。終点に到着した後は何度も電車で行き来したり一駅分歩いてみたりと色々とやってみたものでした。
今回のコラージュ写真は、
1枚目……起点の栗原電鉄石越駅です。くりはら田園鉄道に変わった時は入口の「栗原電鉄」の表示が「くりはら田園鉄道」に変わっただけで駅舎自体はそのままでした。グッズの案内に囲まれた切符売り場の前で記念写真を撮りました。
この駅は廃止前の2001(平成13)年に無人化されています。
2枚目…終点の細倉マインパーク前駅と旧細倉駅です。朝早かったので細倉マインパークには行くことはありませんでした。
駅が移転してからも、旧駅がこの様に残っていてホームにも入ることが出来たので旧細倉駅のホームから電車を撮影してみました。この旧駅舎とホームは鉄道全線廃止になるまで残っていたらしいです。
3枚目……当時乗った電車でございます。
上のM15形という電車は1955(昭和30)年に線路幅が762mmから1067mmに変わった時に導入されたものです。
導入当時としては最新設計の車両であり、地方鉄道の電車としては最新のデラックス車だったという栗原電鉄オリジナルでございます。車内が意外とオシャレな感じがすると思うのは僕だけでしょうか(^ω^)
下のM18形という電車は1991(平成3)年に福島県のローカル私鉄である福島交通からやってきたものです。
1995(平成7)年にくりはら田園鉄道に社名変更時に既に紹介している気動車に変更しているので、その時点でこれらの電車は引退をしております。
それでは次回のブログで廃止後の話をしまして、くりはら田園鉄道の話をしめることにします(=゚ω゚)ノ
masakisiさん続きます(=゚ω゚)ノ
ちなみに栗原電鉄の形式はMが電動車、Cが制御車で数字は車体の長さを表すとのこと。
M15は旧若柳駅と石越町にあるちゃちゃワールドいしこしに保存されているようですね、旧若柳駅のものはネットの写真で確認しましたけど、中にも入ることが出来て綺麗にされているようです。
ED20が保存されているところの一つに細倉マインパーク前駅跡があるんですが、ここはなぜか駅舎が解体されていないらしいんですよね。駅舎の中には入れないらしいですけど…
次回のブログではその旧若柳駅の話もいたしますのでお楽しみに(=゚ω゚)ノ
ちなみに栗原電鉄の形式はMが電動車、Cが制御車で数字は車体の長さを表すとのこと。
M15は旧若柳駅と石越町にあるちゃちゃワールドいしこしに保存されているようですね、旧若柳駅のものはネットの写真で確認しましたけど、中にも入ることが出来て綺麗にされているようです。
ED20が保存されているところの一つに細倉マインパーク前駅跡があるんですが、ここはなぜか駅舎が解体されていないらしいんですよね。駅舎の中には入れないらしいですけど…
次回のブログではその旧若柳駅の話もいたしますのでお楽しみに(=゚ω゚)ノ
masakisiさんこんにちは~(^^♪
使っていた夜行列車というのは、確か急行「八甲田」ですね。
この頃は周遊券が発売されていたではないですか、東北のワイド周遊券を使用しました。東北は「八甲田」と「津軽」の夜行急行が当時走っていたので、それを使って宿代を節約しながら東北を旅行していました。
この時は一ノ関(小牛田だったかもしれません)ではなかったかと思いますが、そこで降りて始発の普通電車に乗り換えて石越に入ったものです(^ω^)
気が付いたら書ききれなくなったので次へ(=゚ω゚)ノ
使っていた夜行列車というのは、確か急行「八甲田」ですね。
この頃は周遊券が発売されていたではないですか、東北のワイド周遊券を使用しました。東北は「八甲田」と「津軽」の夜行急行が当時走っていたので、それを使って宿代を節約しながら東北を旅行していました。
この時は一ノ関(小牛田だったかもしれません)ではなかったかと思いますが、そこで降りて始発の普通電車に乗り換えて石越に入ったものです(^ω^)
気が付いたら書ききれなくなったので次へ(=゚ω゚)ノ
鉄道の旅人さん
こんばんは
1990年頃の夜行列車というと何でしょう?
北斗星ですか?
でも早朝に着いて始発で行動されるところは、尊敬いたします。
私でしたら駅のベンチで一休みしてからとなるところです。
M15形は今でも保存されて、ナニワ工機の車両としては他に
あまり残っていないのでは、貴重なものですね。
またM15に連結用として運転台の付いたトレーラー車の
C15も保存されているそうで、それにED20はED18の台車
をナローから狭軌に変えたもので3両すべてが保存されているとか
本当に興味の沸いてくるくりはら田園鉄道です。
こんばんは
1990年頃の夜行列車というと何でしょう?
北斗星ですか?
でも早朝に着いて始発で行動されるところは、尊敬いたします。
私でしたら駅のベンチで一休みしてからとなるところです。
M15形は今でも保存されて、ナニワ工機の車両としては他に
あまり残っていないのでは、貴重なものですね。
またM15に連結用として運転台の付いたトレーラー車の
C15も保存されているそうで、それにED20はED18の台車
をナローから狭軌に変えたもので3両すべてが保存されているとか
本当に興味の沸いてくるくりはら田園鉄道です。
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