「鉄道の旅人」さんのブログ一覧
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2021年01月19日 21:34 コメント 10 件 ふるさと銀河線友の会で銀河線を応援♪
以前僕のブログで、くりはら田園鉄道のことを取り上げた時に応援するための組織「くりでんサポータズクラブ」が作られて会員を募っていたという話をしたことがあります(2020/11/24のブログです)。 応援する組織を作って会員を集めるという形式のものが当時の第3セクター鉄道会社でいくつかあったようです。 ちほく高原鉄道ふるさと銀河線にも、応援するための組織が作られました。 それが「ふるさと銀河線友の会」というものです(=゚ω゚)ノ 1枚目のコラージュ写真が「ふるさと銀河線友の会」の入会案内のチラシでございます。「くりでんサポーターズクラブ」は1年ごとに更新でしたが、「ふるさと銀河線友の会」は一般会員3,000円、賛助会員10,000円を一度払えばokとなります。 僕は確か第三セクターに転換後に訪問が叶い、置戸町の役場で入会の申し込みをしたものです(●´ω`●) 2枚目の写真は特典であるふるさと銀河線テレホンカード付の会員証とふるさと銀河線会報である「友の会通信」です。 会員証はしっかりとした紙で出来てます、会員の名前や沿線市町村の代表的な風景、そして最後のページにはテレホンカードが入っています。(テレホンカードも懐かしい響きですネ) そして11駅に設置された記念スタンプの台紙スペースがあって、全て集めると記念品がもらえるという特典もありました。 「友の会通信」は第1回目のもので、当時の社長であり北見市長である久島正氏のあいさつ文や地域のイベント、銀河線に関する新聞記事が掲載されています。 そして上常呂、日ノ出、訓子府、置戸、陸別、愛冠、本別、池田の各駅に線路型のモニュメントが設置されて、希望する駅のモニュメントに自分の名前が登録されるという特典もあるのです。 僕は松山千春さんの出身地の足寄を希望しました。そして実際に足寄駅に自分の名前を見に行った様子が3枚目のコラージュ写真です、自分の名前が刻まれているのを見て感激しましたね♪ 友の会入会案内に友の会会則があってこんなことが書かれていました。 この会は、全国の方々がふるさと銀河線のファンになり「ふるさと銀河線」が永遠に走り続けてほしいという願いをこめ、この鉄路を支援することを目的とします…と この文を読んでいると叶わなかったことが空しく感じるものです(´・ω・`)
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2021年01月15日 21:08 コメント 19 件 神戸の老舗の甘納豆屋が設置した駅です♪
JR池北線からちほく高原鉄道へとなって、唯一新設された駅がありました。 その駅名は「岡女堂」といいます(=゚ω゚)ノ 岡女堂駅は1989(平成元)年に池北線がちほく高原鉄道ふるさと銀河線になったあとの1995(平成7)年9月に開業しました。 岡女堂の本別工場のそばをふるさと銀河線が通っていたので、そこに隣接する形で岡女堂が費用を負担して駅が作られたわけです。 岡女堂は1855(安政2)年創業の神戸の甘納豆の老舗です。創業の頃はぜんざい屋で、創業者がぜんざいを火にかけ過ぎたことから偶然甘納豆が誕生してそれが主力商品になったようですね。 それがなぜ北海道の本別町に工場ができたかというと、本別町は豆王国と言われるほど豆づくりが盛んな町なのだそうで、豆の縁によって本別町に岡女堂の工場の誘致の話があって移転が決定し、1991(平成3)年に工場の機能すべてが移転完了しました。 駅も岡女堂の工場も国道242号線に面していましたが、そちら側には出入口は無く反対側にありました。岡女堂駅の入口も岡女堂の工場敷地内にあるので、駅に行くには敷地を横切る必要があります。 この駅にはふるさと銀河線で数回立ち寄ったことがあります、売店には色々な種類の豆製品があったり、「おかめ」コレクションが展示されている豆ドームという建物があったり、駅の側には一寸法師のモデルともいわれる少彦名神を祀った豆神社があったりと結構楽しめたりします。 岡女堂独自のものだと思いますが、ふるさと銀河線のマグカップが販売されていたので購入した思い出があります(=゚ω゚)ノ そんな駅も設置された岡女堂は現在どうなっているかと言うと、ふるさと銀河線が廃線になる頃に岡女堂は経営破綻してしまいました。そのあと本別工場は十勝豆工房から合同会社豆やとかちと経営が移管されて「岡女堂本家」として今でも営業しているとのこと。 ふるさと銀河線の廃線後には国道242号線側にも入口ができました。 江戸時代に生まれた関西の老舗の味が、今でも北の大地の北海道本別町で引き継がれているようですね(●´ω`●)
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2021年01月12日 21:34 コメント 6 件 足寄と聞くと、あの有名人が思い浮かぶ♪
ふるさと銀河線が通っていた沿線自治体に足寄郡足寄町があります。 足寄町は十勝の東北部に位置していて東西66.5km、南北48.2kmで面積が1408.04k㎡で2006(平成18)年までは日本最大の面積を持つ市町村でした。ちなみに地名の由来はアイヌ語の「エショロ・ペツ」(沿って下る川)からきています。 東には阿寒摩周国立公園の南西部にあたる雌阿寒岳とオンネトーという湖があり、名産品に2,3mほどの長さになるラワンぶきがありますね。 ふるさと銀河線は足寄町の真ん中あたりを南北に走っていました。 足寄町にふるさと銀河線の駅は7つあって、そのなかで中心駅だったのが足寄駅です(=゚ω゚)ノ 開業したのは1910(明治43)年9月のことです。1989(平成元)年に北海道ちほく高原鉄道に転換後、1994(平成6)年に「道の駅 あしょろ銀河ホール21」を併設した新駅舎となりました。2006(平成18)年のふるさと銀河線の廃止後も道の駅として機能しており、2011(平成23)年にリニューアルオープンしています。あとで調べてみると、ホームの部分は埋められて一部分銀河線のモニュメントを残したり、道の駅の隣に旧足寄駅を再現した観光施設が作られたりしているようですね。 「足寄」と聞くと真っ先に松山千春さんを思い浮かべます、僕らぐらいの世代でしたら夢中になった方は多いと思います(^ω^) 松山千春さんは1977(昭和52)年1月にシングル「旅立ち」でデビューして、1978(昭和53)年8月に出した5枚目のシングル「季節の中で」が大ヒットしてからずっと第一線で活躍しているミュージシャンですね♪ 実は松山千春さんの生家がチョットした観光地となっていて、僕が初めて行ったのは学生時代に北海道に来た時です。駅から歩いてもそれほどかからない所にあって田んぼの中の一軒家で本人のイラストが描かれたデカい看板があったことを思い出します(●´ω`●) 現在の状況を3枚目のコラージュ写真にしています。2度目の訪問時は当時の看板は3分の1ぐらいの大きさとなり、今ではその横に現在の千春さんのイラスト看板があるようです。道の駅となった旧足寄駅にも松山千春さんのギャラリーがあります。 松山千春さんによって足寄町が有名になった気がしますね(^ω^)
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2021年01月08日 21:54 コメント 13 件 秘境駅㉑
ではでは、ふるさと銀河線のネタ話をさせていただきます。 先ずはカレンダー作品の9月のデザインに取り入れている、秘境駅と言われた「川上駅」の話です(=゚ω゚)ノ 川上駅は北海道足寄郡陸別町字利別川上62という所にあったちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅でございます。北見から置戸まで来ると置戸から小利別、川上、分線、陸別と駅があり足寄方面に向かう形になります。 この駅は木材資源の搬出が目的で1920(大正9)年に開業しました。駅名の由来が利別川の上流、つまり川上にあることからとのこと。森林関係の仕事に携わっていた方々がいたという事だと思いますが、1924(大正13)年は駅周辺に市街地があって市街地人口150人、周辺人口1,350人、総戸数300戸あったという記録があるそうです。そして1923(大正12)年の記録では年間29,000人の利用があったとのこと。 その後原生林伐採が殆んど終わってしまった感じになったのか段々と土地を離れる人が増え、木材需要も低迷し昭和30年代後半には周辺はほぼ無人地帯となっていたみたいですね。配置されていた駅員も1962(昭和37)年に無人化となりました。 1枚目と2枚目で川上駅の写真をコラージュでまとめてみました(=゚ω゚)ノ 国道が通る駅前周辺に民家等は一切ありません、この駅の歴史を知らない人であれば何故こんなところに駅があるのかホントに疑問に思ってしょうがない気がしますね(;^ω^) 2006(平成18)年のふるさと銀河線廃止後も暫くこの駅舎は残っていたのですが現在では解体されています。貴重な開業当初からの建物だっただけに保存はできなかったのかなと残念でなりません( ;∀;) 3枚目のコラージュ写真なんですが、北海道は板切れが敷かれたホームだけの簡素な板切れホームの駅がたくさんあります。おそらく本州ではこんな感じの駅はそうそう見ることが出来ない気がします。 一部ですが、ふるさと銀河線にあった板切れホームの駅をコラージュ写真にしてみました(=゚ω゚)ノ ぽつぽつと民家が見られる所や工場や牧場以外何もない所、北海道の原野しか見えない所と様々な駅があります。 では、次回もふるさと銀河線の話をさせていただきます( ..)φ
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2021年01月05日 22:25 コメント 17 件 2021年のカレンダー作品を披露…その②
では本日2本目のブログです、カレンダー作品の7月~12月を披露させていただきます(=゚ω゚)ノ 1枚目…7月と8月ですが、2001/7/30~2001/8/5までの1週間国鉄時代以来26年ぶりにSLが走りました。それにちなんで、ふるさと銀河線を走るSLの絵葉書をスキャンして使ってみました。関連グッズも販売されて、そのうちの一つで木のパーツを組み立てて作るSLもあって購入したことがあります。 8月にその写真がありますが、この写真だけが僕のオリジナル写真となります(;^ω^) 2枚目…9月は置戸ー陸別間にある「川上」という駅です。この駅は秘境駅として名の知れたところでゴザイマス。この区間は6往復あるのですが、そのうち3.5往復が停車します。元々の列車の本数は多い方ではないですが、停車する列車が更に少なくなっていて到達難易度の高い駅です。 10月は絵葉書の中から秋を感じさせるものを選んでスキャンして使ってみました。 3枚目…11月は置戸駅の写真を集めてみました。上の2枚は国鉄時代からの木造駅舎で1996(平成8)年に一番下にある写真の2階建てで「おけとコミュニティホールぽっぽ」という施設が併設された駅舎となりました。林業が昔から盛んで、それを生かして「オケクラフト」という木を使った食器等の生産が有名です。(ちなみに「オケクラフト」の写真はネットからです) 僕はこの名称は「オケトクラフト」だと思っていましたが、正しくは「オケクラフト」みたいですね。 12月ですが、自分が撮影した写真で冬っぽいものを選んでつくってみました。 以上、ブログ2本使って僕がイベントで作成したカレンダーを紹介させていただきました(#^^#) また来年のカレンダーのネタを集めないとなりませぬな。 僕にとって思い出深い北海道の廃止路線の話をさせていただいたので、次回のブログから数回使ってふるさと銀河線の話をもう少しさせていただくことにします(=゚ω゚)ノ
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2021年01月05日 22:24 コメント 4 件 2021年のカレンダー作品を披露…その①
では昨年の11月に教室イベントで作成した僕の2021年カレンダー作品を2本立てのブログで披露させていただきます、先ずは前半の1月~6月です。 その前に、題材となったちほく高原鉄道ふるさと銀河線について簡単にご説明しましょう(=゚ω゚)ノ 道央の帯広の隣町で十勝ワインで有名な池田から北上し、本別町、足寄町、陸別町、置戸町、訓子府町を結んでオホーツク海側の北見市を結ぶ営業距離140km、駅が全部で33駅ある路線でした。元々は国鉄池北線といいまして1910(明治43)年に池田から陸別まで開業し、1911(明治44年)に北見まで開業しました。1989(平成元年)にJRから第三セクター化されてちほく高原鉄道となって開業しました。 しかし2006(平成18)年に廃止となっています( ;∀;) それでは写真の紹介です(=゚ω゚)ノ 1枚目…1月はふるさと銀河線の駅を並べました。夜空がきれいに見える地域であることから星に関連した取り組みをしていたことにちなみ夜空をバックにしてみました。これも表紙と同じように星座の形に出来なかったのが少し悔やむところデス。 2月は陸別駅です。陸別町は日本一しばれる町をウリとしており、2月にその寒さを逆手に取って「しばれフェスティバル」という盛大なイベントが開催されます。それで陸別関係の写真を2月にしてみました。ちなみに一番上の花火の写真はネットからで、上から2番目の写真は絵葉書からです。-30℃近くにになる夜をかまくらの中で一晩過ごす極寒体験というのも行われます。 2枚目…3月はちほく高原鉄道の本社と北見駅に停車中の車両です。ホームはJR北見駅内にあって改札も同じでした。 4月は絵葉書の中から春っぽい写真をスキャンして作ってみました。 3枚目…5月は上が広郷という無人駅で列車が去っていくところで、下が池田駅近くの公園からの撮影です。 6月は足寄駅のものをメインに並べてみました。一番上の駅舎は国鉄時代の足寄駅でふるさと銀河線となって塔の様なものが立つ新しい駅舎になりました。足寄と言えばラワンフキと松山千春さんですね、この足寄駅の一角に松山千春コーナーがあってラワンフキを持った松山千春さんのパネルと一緒に記念写真を撮ることが出来ます。 ではその➁(6月~12月)に続きます(=゚ω゚)ノ
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2021年01月01日 20:45 コメント 19 件 新年の挨拶をさせていただきます。
皆様、新年明けましておめでとうございます<m(__)m> 今年はいつもの更新曜日と元旦が重なったので、早速新年の挨拶をさせていただきます。 昨年は3回目のブログマスターに選ばれて、殿堂入りをすることができました。そして今まで真剣に狙って入賞を果たせなかったデジカメ写真コンテストに入賞することができました。 今年からは、ブログマスターの対象者から外されるわけですが今まで通り火曜と金曜の週2回のブログ更新は続けるつもりでいます。 内容もこれまで通り鉄道や旅行を意識したブログを書いていきます。デジカメ写真コンテスト、今年も入賞を目指したいですね(=゚ω゚)ノ 昨年はめでたくなる年になるようにと願いを込めて和歌山にある南海電鉄加太線を走る「めでたいでんしゃ」を題材に年賀状を作成してブログの写真に添付しましたね。 今年は丑年ということで、東急電鉄のこどもの国線(長津田ーこどもの国間3.4km)を走る電車の中で牛のラッピングを施した電車があるのでそれを題材に年賀状を作成して添付して見ました(=゚ω゚)ノ (残念なことに自前の写真ではなくネットから拝借したものです(;^ω^)) 牛のラッピング電車を登場させたのはこどもの国という施設の中に牧場もあったことから思いついたみたいですね。車内も牧場風のラッピングが施されてオリマス♪ この電車は2020年3月までの運行予定が好評だったことで運行が継続されているんです。ちなみにひつじのラッピングを施した「ひつじでんしゃ」も走ってマス。 では次回のブログでは以前から取り上げていた通り、僕が教室イベントで作成した2021年カレンダーを披露させていただきます。 今回のカレンダーの題材は北海道に住んでいた時によく乗りに行っていた第三セクターのちほく高原鉄道ふるさと銀河線です。 この路線は2006(平成18)年4月に廃止されているので現在は存在していない路線です。当時僕が撮影したフィルム写真や販売していた絵葉書、そしてネットからも少々写真を拝借して作成しました。3枚目にそのカレンダーの表紙だけを添付させていただきました。 今年はコロナが収束することを祈りたいものです。 ではでは、皆様本年もよろしくお付き合いをしてくださいませ<m(__)m>
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2020年12月29日 21:01 コメント 16 件 それでは、飯田線について(=゚ω゚)ノ
飯田線は愛知県豊橋市の豊橋駅と長野県上伊那郡辰野町の辰野駅を結ぶ路線距離195.7㎞あるJR東海の路線になります。 駅の数が起点の豊橋と終点の辰野を含めると94駅あります。終点の辰野駅はJR東日本の駅で、それ以外はJR東海の駅です。 豊橋ー飯田間に特急「ワイドビュー伊那路」号が2往復、飯田ー長野間に快速「みすず」号が一往復以外は普通電車となります。中には豊橋から辰野までの直通の普通電車が3往復程アリマス(=゚ω゚)ノ 飯田線の前身は私鉄4社がそれぞれ独自で建設したものが繋がったものでして、最初は豊橋から始まりました。 1896(明治29)年に豊川稲荷への参拝客の輸送目的で豊川鉄道が設立されて1900(明治33)年に吉田(現豊橋)ー長篠(現大海)が開通、その後豊川鉄道の子会社である鳳来寺鉄道により1923(大正12)年三河川合まで開通しました。 長野県側は木曽谷との中央本線誘致に失敗した伊那谷の有志が集まって伊那電気軌道を設立し、1909(明治42)年辰野ー伊那松島間を開通させました。その後は小刻みに開業を重ねて1923(大正12)年に飯田まで開通、そして1927(昭和2)年に天竜峡まで開通しました。 残りの三河川合ー天竜峡は1927(昭和2)年に豊橋市が中心となり三信鉄道が設立され、1937(昭和12)年に開業して豊橋ー辰野間が一本につながったワケです。 それから1943(昭和18)年に国鉄がこれらの私鉄4社を買収して国鉄飯田線が誕生、1987(昭和62)年の国鉄民営化後はJR東海が引き継いで現在に至ります(=゚ω゚)ノ 飯田線で思い出すのが秘境駅です。 2枚目と3枚目の写真に飯田線の全駅名と秘境駅と呼ばれる駅に印をつけて、その中で行ったことがある秘境駅の写真を添付してみました。 「秘境駅」の明確な定義はないのですが、提唱者である牛山隆信氏が秘境度、雰囲気度、列車到達難易度、外部到達難易度、鉄道資産指数をポイントにして総合評価によってランキングを毎年出しているのでそのランキングに入っている駅を記載してみました。ですので人によって感じ方が異なると思います、僕もあの駅はとても秘境感あるけどランキングに入ってないんだたぁと思うものもありました。 では2020年の僕のブログは本日で終わりです。 皆様良いお年をお迎えください<m(__)m>
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2020年12月25日 21:25 コメント 10 件 秘境駅⑳
さて今回訪れた飯田線の3ヵ所の秘境駅の3ヵ所目でございます。 本日は「金野(きんの)駅」です、駅名看板を触ると金運が授かるという話もあるみたい(=゚ω゚)ノ 金野駅は1932(昭和7)年に開業した駅です。駅の場所は飯田市千栄という所にありますが、駅名の由来となった金野は駅を降りて米川を渡ったエリアの事をいいます。 泰阜村となる金野集落はこの金野駅からは3.5㎞ほどあって、歩いて1時間程かかるとのこと。当初は金野の集落の要望で駅が出来たらしく、集落から駅までの道を銀座通りと言われたらしいです。 金野駅は1面1線のホームで駅舎は無く、駅前がチョットした広場となっていて周辺には民家は一切ございません。飯田線にある秘境駅としては珍しく(?)駅前まで車で来ることができます。 米川橋までくると水の流れる音が聞こえてきます、この周辺も紅葉真っ盛りの時期に訪問すると見応えがあるところのように思えます。 この駅も秘境感満載なのですが、2011年に金野駅から集落に向かう道を歩いて20分のところにIターンでやってきた夫婦が「ジジ王国」と名付けたレストラン&宿泊施設をオープンさせて運営していました。 これは確か所ジョージさんの番組で紹介していた記憶があります。ところが現在は旦那さんが亡くなって休業しているらしいという情報があって気になっていました。 歩いて片道20分程だし、次の電車までかなり余裕があったので建物だけでも拝んでみようと見に行きました。車が一台やっと通ることが出来る山道を歩くこと20分程、無事ジジ王国の建物に辿り着きましたけど、人の気配は全くありませんでした。 大自然の中の魅力的な宿泊施設という感じなので、いつか再開することをのぞみたいものですね(._.) ではこれにて、今回訪れた飯田線の3つの秘境駅の話は終わりです。飯田線にはまだまだ魅力的な秘境駅があります(●´ω`●) 次回は2020年の締めのブログになりますね、飯田線の駅の話をしたので今度は飯田線そのものの話をしてみるつもりでいます(=゚ω゚)ノ
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2020年12月22日 21:53 コメント 14 件 秘境駅⑲
ではでは、前回に引き続き飯田線の秘境駅の話でゴザイマス(=゚ω゚)ノ 今回は為栗駅です、これは「してぐり」と読みます、豊橋駅から普通電車で約3時間程度かかります。 秘境駅として有名ですが、難読駅名としても有名ですね。 為栗駅は1936(昭和11)年8月に開業した駅です。珍しいこの名前の由来は「為(して)」は水を意味する「湿(しと)」が変化したもので、「栗(くり)」は「刳(えぐる)」に由来します。 つまり「水にえぐられた場所」となり、「水」は天竜川のことなので「天竜川によってえぐられた場所」ということになります。( ..)φ 駅の開業時には為栗という集落が存在していたのですが、戦後の1952(昭和27)年にこの駅の下流に平岡ダムが完成したために為栗の集落は沈んでしまって、今では駅付近に民家が一軒のみという状況になっております。 目の前を天竜川が流れておりまして、対岸に行くには駅から見える「天竜橋」という吊り橋を渡っていかなくてはなりません。 他に道は無いので車ではこの駅に行くことはできないわけです。吊り橋の近くに駐車スペースがあったのでそこまでは行くことができます。 近くに「信濃恋し」という天竜川の流れによってできた景勝地があるそうです。天竜川の急流が岸壁とぶつかり合って川の流れを一旦上流に押し戻すようにえぐられた場所なんです。 海上交通が盛んな昔信濃の国から天竜川を下って、この為栗の地に入った時に一旦戻る様子が「信濃の国が恋しい」と戻っていく形になることから「信濃恋し」と呼ばれるようになったとか(=゚ω゚)ノ 前回の千代駅は春に行きたいなぁと言いましたけど、この為栗駅は秋が良いですね~♪ 訪問の時期が11月終わりだったので紅葉が終わりかけでしたが、真っ盛りの時期にくれば眺めながら散策するだけで時が過ぎるのを忘れてしまうのではないでしょうか(●´ω`●) 天竜橋という吊り橋から駅の全景を見ることができ、通過する 特急電車を撮影することが出来ました♪ あとは新緑の季節もいいかもしれませんね(●´ω`●) 今度訪問出来た時は「信濃恋し」まで足を運んでみたいものです(^ω^)
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