メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
足寄と聞くと、あの有名人が思い浮かぶ♪
2021年01月12日 21:34



ふるさと銀河線が通っていた沿線自治体に足寄郡足寄町があります。
足寄町は十勝の東北部に位置していて東西66.5km、南北48.2kmで面積が1408.04k㎡で2006(平成18)年までは日本最大の面積を持つ市町村でした。ちなみに地名の由来はアイヌ語の「エショロ・ペツ」(沿って下る川)からきています。
東には阿寒摩周国立公園の南西部にあたる雌阿寒岳とオンネトーという湖があり、名産品に2,3mほどの長さになるラワンぶきがありますね。
ふるさと銀河線は足寄町の真ん中あたりを南北に走っていました。
足寄町にふるさと銀河線の駅は7つあって、そのなかで中心駅だったのが足寄駅です(=゚ω゚)ノ
開業したのは1910(明治43)年9月のことです。1989(平成元)年に北海道ちほく高原鉄道に転換後、1994(平成6)年に「道の駅 あしょろ銀河ホール21」を併設した新駅舎となりました。2006(平成18)年のふるさと銀河線の廃止後も道の駅として機能しており、2011(平成23)年にリニューアルオープンしています。あとで調べてみると、ホームの部分は埋められて一部分銀河線のモニュメントを残したり、道の駅の隣に旧足寄駅を再現した観光施設が作られたりしているようですね。
「足寄」と聞くと真っ先に松山千春さんを思い浮かべます、僕らぐらいの世代でしたら夢中になった方は多いと思います(^ω^)
松山千春さんは1977(昭和52)年1月にシングル「旅立ち」でデビューして、1978(昭和53)年8月に出した5枚目のシングル「季節の中で」が大ヒットしてからずっと第一線で活躍しているミュージシャンですね♪
実は松山千春さんの生家がチョットした観光地となっていて、僕が初めて行ったのは学生時代に北海道に来た時です。駅から歩いてもそれほどかからない所にあって田んぼの中の一軒家で本人のイラストが描かれたデカい看板があったことを思い出します(●´ω`●)
現在の状況を3枚目のコラージュ写真にしています。2度目の訪問時は当時の看板は3分の1ぐらいの大きさとなり、今ではその横に現在の千春さんのイラスト看板があるようです。道の駅となった旧足寄駅にも松山千春さんのギャラリーがあります。
松山千春さんによって足寄町が有名になった気がしますね(^ω^)
足寄町は十勝の東北部に位置していて東西66.5km、南北48.2kmで面積が1408.04k㎡で2006(平成18)年までは日本最大の面積を持つ市町村でした。ちなみに地名の由来はアイヌ語の「エショロ・ペツ」(沿って下る川)からきています。
東には阿寒摩周国立公園の南西部にあたる雌阿寒岳とオンネトーという湖があり、名産品に2,3mほどの長さになるラワンぶきがありますね。
ふるさと銀河線は足寄町の真ん中あたりを南北に走っていました。
足寄町にふるさと銀河線の駅は7つあって、そのなかで中心駅だったのが足寄駅です(=゚ω゚)ノ
開業したのは1910(明治43)年9月のことです。1989(平成元)年に北海道ちほく高原鉄道に転換後、1994(平成6)年に「道の駅 あしょろ銀河ホール21」を併設した新駅舎となりました。2006(平成18)年のふるさと銀河線の廃止後も道の駅として機能しており、2011(平成23)年にリニューアルオープンしています。あとで調べてみると、ホームの部分は埋められて一部分銀河線のモニュメントを残したり、道の駅の隣に旧足寄駅を再現した観光施設が作られたりしているようですね。
「足寄」と聞くと真っ先に松山千春さんを思い浮かべます、僕らぐらいの世代でしたら夢中になった方は多いと思います(^ω^)
松山千春さんは1977(昭和52)年1月にシングル「旅立ち」でデビューして、1978(昭和53)年8月に出した5枚目のシングル「季節の中で」が大ヒットしてからずっと第一線で活躍しているミュージシャンですね♪
実は松山千春さんの生家がチョットした観光地となっていて、僕が初めて行ったのは学生時代に北海道に来た時です。駅から歩いてもそれほどかからない所にあって田んぼの中の一軒家で本人のイラストが描かれたデカい看板があったことを思い出します(●´ω`●)
現在の状況を3枚目のコラージュ写真にしています。2度目の訪問時は当時の看板は3分の1ぐらいの大きさとなり、今ではその横に現在の千春さんのイラスト看板があるようです。道の駅となった旧足寄駅にも松山千春さんのギャラリーがあります。
松山千春さんによって足寄町が有名になった気がしますね(^ω^)
ひでさんこんばんは~(^^♪
確かに北海道は本州とは風景や国鉄・JRの雰囲気が違っている気がしますね。
その違った雰囲気はとても魅力的でした♪
本州と同じ感覚で北海道旅行と距離感覚がやはりおかしくなりますね。学生時代、北海道の国鉄路線はいまの3倍ぐらいあって周遊券というフリーきっぷや夜行列車もあったのでそれらを使って約一か月弱滞在して旅行したものです。
ひでさんも千春さんの歌を聞かれていたんですね♪
CMで初めて「季節の中で」を聞いた時はぞくっとして感動ものでした。そうそう映画の中で多くの北海道の駅登場しますけど、「鉄道員」の舞台となった幌舞駅(本当は幾寅駅)に行ったことがあります♪
確かに北海道は本州とは風景や国鉄・JRの雰囲気が違っている気がしますね。
その違った雰囲気はとても魅力的でした♪
本州と同じ感覚で北海道旅行と距離感覚がやはりおかしくなりますね。学生時代、北海道の国鉄路線はいまの3倍ぐらいあって周遊券というフリーきっぷや夜行列車もあったのでそれらを使って約一か月弱滞在して旅行したものです。
ひでさんも千春さんの歌を聞かれていたんですね♪
CMで初めて「季節の中で」を聞いた時はぞくっとして感動ものでした。そうそう映画の中で多くの北海道の駅登場しますけど、「鉄道員」の舞台となった幌舞駅(本当は幾寅駅)に行ったことがあります♪
鉄道の旅人さん今晩は
北海道の国鉄・JRの駅や風景や車両は、本州とスケールが違うので、私はほんの少し外国の雰囲気も感じてしまいます
一度だけ北海道旅行したことがありましたが、本州と同じつもりで計画を立てても、道中を動き回るうちに距離感が狂う様に感じていました
西日本におりますので、同じ遠出の旅行でも九州の方が機会が多かったですが、いつか二度目の北海道訪問を実現させたいです
やっぱり千春さんですよね
「旅立ち」「季節の中で」は小学高学年で、多感な時代の良い思い出として蘇ります
他にも、ドラマ「北の国から」や「黄色いハンカチ」や「鉄道員」など多くの映画で、北海道の鉄道が登場しますね
北海道の国鉄・JRの駅や風景や車両は、本州とスケールが違うので、私はほんの少し外国の雰囲気も感じてしまいます
一度だけ北海道旅行したことがありましたが、本州と同じつもりで計画を立てても、道中を動き回るうちに距離感が狂う様に感じていました
西日本におりますので、同じ遠出の旅行でも九州の方が機会が多かったですが、いつか二度目の北海道訪問を実現させたいです
やっぱり千春さんですよね
「旅立ち」「季節の中で」は小学高学年で、多感な時代の良い思い出として蘇ります
他にも、ドラマ「北の国から」や「黄色いハンカチ」や「鉄道員」など多くの映画で、北海道の鉄道が登場しますね
cocoaさんこんばんは~(^^♪
北海道の地名はほとんどがアイヌ語からきています。ちなみにオンネトーは「年老いた沼」あるいは「大きな沼」なのだそうです。阿寒湖、摩周湖もアイヌ語からきているみたいですが諸説あります。
東西に長い足寄町の真ん中あたりをふるさと銀河線は走っているので、東端の雌阿寒岳とオンネトーの方は走ってなかったんです。
タクシーやレンタカーを使わないといけない所でございます(;^ω^)
そうなんです、松山千春さんは足寄町出身なんです♪
旧足寄駅から生家まで、ちゃんと案内板も出ているんですよ。僕も改めて足寄に行って確かめてみたいものです(●´ω`●)
北海道の地名はほとんどがアイヌ語からきています。ちなみにオンネトーは「年老いた沼」あるいは「大きな沼」なのだそうです。阿寒湖、摩周湖もアイヌ語からきているみたいですが諸説あります。
東西に長い足寄町の真ん中あたりをふるさと銀河線は走っているので、東端の雌阿寒岳とオンネトーの方は走ってなかったんです。
タクシーやレンタカーを使わないといけない所でございます(;^ω^)
そうなんです、松山千春さんは足寄町出身なんです♪
旧足寄駅から生家まで、ちゃんと案内板も出ているんですよ。僕も改めて足寄に行って確かめてみたいものです(●´ω`●)
鉄道の旅人さん こんばんは
足寄と言うのはアイヌ語から来ているんですね。
北海道の地名はアイヌ語から来ているところが意外と多いのでは?
オンネトーなどもひょっとして。
阿寒湖、摩周湖と聞くと懐かしいです。
雌阿寒岳とオンネトーの辺りを、ふるさと銀河線が走っているのですか?
松山千春さんが北海道出身であることは知っていたけど。
「足寄」なんですね。
いつかもう一度ゆっくり旅をしたいものです。
足寄と言うのはアイヌ語から来ているんですね。
北海道の地名はアイヌ語から来ているところが意外と多いのでは?
オンネトーなどもひょっとして。
阿寒湖、摩周湖と聞くと懐かしいです。
雌阿寒岳とオンネトーの辺りを、ふるさと銀河線が走っているのですか?
松山千春さんが北海道出身であることは知っていたけど。
「足寄」なんですね。
いつかもう一度ゆっくり旅をしたいものです。
masakisiさんこんばんは~(^^♪
masakisiさんも千春さんの生家に行かれたことがあるのですね♪
千春さんの「季節の中で」という曲を聞いて感激して好きになりました、学生時代に生家までたどり着いた時は感激しました、そうそう中島みゆきさんとも親交がありますね。
現在本人は札幌に住んでいて、こちらの生家は親類の方が住んでいらっしゃるようです。
CDが売れなくなってきた時代、目立たなくなってきましたがコンサートを開けば即売り切れになるほどで人気は衰えてはない気がします、中島みゆきさんもそうですよね。
ホント65才はまだ老け込む年ではないので、まだまだ千春節を聞かせてほしいものです♪
masakisiさんも千春さんの生家に行かれたことがあるのですね♪
千春さんの「季節の中で」という曲を聞いて感激して好きになりました、学生時代に生家までたどり着いた時は感激しました、そうそう中島みゆきさんとも親交がありますね。
現在本人は札幌に住んでいて、こちらの生家は親類の方が住んでいらっしゃるようです。
CDが売れなくなってきた時代、目立たなくなってきましたがコンサートを開けば即売り切れになるほどで人気は衰えてはない気がします、中島みゆきさんもそうですよね。
ホント65才はまだ老け込む年ではないので、まだまだ千春節を聞かせてほしいものです♪
鉄道の旅人さん
おはようございます。
松山千春さんデビュー当時よく覚えています。
何年か後に北海道を旅行したとき、道沿いに大きな松山千春の家と書いた看板が
立っていて駐車場があって、見学しました。
その後中島みゆきさんと親しくいつも名前を年下なのに呼び捨てしていたことも
思い出しました。
一時政治活動に力を入れていたこともありましたが、今もお元気で活躍されている
ようで今月末にはCDもでるそうで、65才はまだ老ける年でも無いですしね。
おはようございます。
松山千春さんデビュー当時よく覚えています。
何年か後に北海道を旅行したとき、道沿いに大きな松山千春の家と書いた看板が
立っていて駐車場があって、見学しました。
その後中島みゆきさんと親しくいつも名前を年下なのに呼び捨てしていたことも
思い出しました。
一時政治活動に力を入れていたこともありましたが、今もお元気で活躍されている
ようで今月末にはCDもでるそうで、65才はまだ老ける年でも無いですしね。
コメント
6 件