「鉄道の旅人」さんのブログ一覧
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2021年02月09日 21:28 コメント 20 件 瀬戸市に「福よせ雛」がやってきた
そろそろひな祭りの季節がやってきます。 2021年も我が町尾張旭市の隣の瀬戸市では1/30(土)~3/7(日)まで「陶のまち瀬戸のお雛めぐり」が開催されております(=゚ω゚)ノ 「ひなミッド」や商店街に飾られるひな人形、そして飲食店ではお雛様にちなんだランチ&スイーツを食べることができる所があります。そして瀬戸焼のお雛様作り体験等もできたりします。 その話は後ですることにして、今回のブログでは別の話をすることになります(・_・) 皆さんは「福よせ雛」というものを御存じでしょうか? 何かの事情で飾ることが出来なくなって手放さなければならなくなったひな人形に第二の人生を歩んでいただこうと「日常生活を表現するひな人形」が名古屋の主婦によって考案されました。そして2009(平成21)年に日本で初めて発表されて2010(平成22)年に名古屋市文化のみち二葉館にて一般公開され、「福よせ雛」と名付けられました。 2021年で11回目を迎え、今年は奈良と広島が初参加をしているとのこと。 その「福よせ雛」が尾張瀬戸駅前の「パルティせと」という施設の1,2階にやってきているというワケです(=゚ω゚)ノ 「パルティせと」に行ってみると、先ず瀬戸市の観光案内所で瀬戸市の宣伝をしていましたね~♪ 総合案内所があったり、陶器作りの実演をしたり、瀬戸にある和菓子屋のお土産商品を宣伝していました。 総合案内所には瀬戸市のパンフらしきものや紙袋があったり、陶芸づくりの実演ではお雛様サイズのせとものがあったりととても小道具に凝ってオリマス( *´艸`) 他にも地元のラジオ局前ではマイクを持っていたり、クレープ屋さんではクレープを抱えていたりしていました。 そして瀬戸と言えば、最近藤井聡太二冠の出身地という事で話題となりましたけど、藤井聡太二冠を応援する「福よせ雛」もあったりとあちこちで活躍してオリマス(^^♪ 「福よせ雛」は愛知・岐阜・鳥取・広島・奈良の全27ヶ所で開催されているということなので他のところも見に行ってみたいですね。 お近くの方は感染症対策をして出かけてみてはいかがでしょうか。 「福よせ雛」を見てコロナ禍を吹き飛ばしたいものです(●^o^●)
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2021年02月05日 22:24 コメント 12 件 グー鉄して鉄分補給(=゚ω゚)ノ
皆さんはグーグルマップのストリートビューを使ったことありますか? Googlemapで目的地を探して、その周辺等の実際の写真を見ることが出来る機能ですよね。 昨年の初夏に深夜番組の「タモリ倶楽部」にてタモリさんを含む鉄道好きの著名人が集まってこのグーグルマップのストリートビューを使った遊びを紹介していましたね。 その遊びとはストリートビューに偶然撮影された鉄道車両を見つけだすというもので、名付けて「グー鉄」デス(=゚ω゚)ノ このプレミアクラブのブログでも、「タモリ倶楽部」で紹介されてからすぐにイトーヨーカドー明石教室のmasakisiさんが紹介されていました。 その時から僕もたまにですが、「グー鉄」をやっていました(^ω^) そしてスクリーンショットして写真をためていたので、今回のブログでは僕が「グー鉄」したものを紹介します♪ まず1枚目のコラージュ写真は僕の地元を走る名鉄瀬戸線にこだわって「グー鉄」しました(=゚ω゚)ノ ➀番の写真は瀬戸線は守山自衛隊前という駅を出発してしばらく行くと矢田川と言う川を渡ります。そして並走する道路からバッチリ瀬戸線の車両が写り込んでオリマス。 ②番の写真は瀬戸線の終着駅である尾張瀬戸駅です。駅に停車中の電車が写っていますね。 2枚目のコラージュ写真は愛知県下での「グー鉄」です。 ③番の写真は豊橋市にあります豊橋鉄道の愛知大学前駅です、僕が通っていた大学でございます(#^^#) ここは単線区間なので、出発したのか到着する所なのかは不明です。 ④番の写真は愛知県と岐阜県の県境で木曽川にかかる犬山橋を歩いて行くと名鉄の特急「ミュースカイ」が写り込んでいます。 3枚目のコラージュ写真は岐阜県と三重県に出かけて「グー鉄」です(=゚ω゚)ノ ⑤番の写真は長良川鉄道の郡上八幡駅から少し北へ向ったところです。長良川鉄道の列車が写り込んでいます、本数が多くないのに写り込んでいるのはスゴイですね。 ⑥番の写真は近鉄伊勢中川駅付近で特急電車が写り込んでいますね。現在近鉄特急は塗色変更が進んでいますのでこの色の特急電車はもう見ることが出来なくなるので貴重です。 今後ブログネタに困った時は「グー鉄」してみようと思います。 ひょっとしてシリーズ化となるかも( ̄▽ ̄)
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2021年02月02日 14:36 コメント 16 件 「節分」にちなんだ鉄分補給をしましょ♪
2021年も2月2日を迎えました、本日は「節分」ですね。 2月2日が節分となるのは1897(明治30)年以来124年ぶりとなるとのことです。 今回のブログは節分の日と僕の更新日とが重なったことを記念に(⁉)節分ちなんで「鬼」が付く駅名を紹介してみることにします(=゚ω゚)ノ 「鬼」が付く駅名で真っ先に僕が思い出したのは「鬼無駅」でしょうか。 鬼無駅は四国香川県高松市の鬼無町という所にある駅です。この地には桃太郎伝説が存在しております。 色々と諸説はありますが、鬼ヶ島は女木島のことで家来の犬猿雉というのは動物でなく犬島の住人と陶芸師猿王、雉は雉ヶ谷に住む弓の名人らしいですね。そして桃太郎は鬼を見事に退治して鬼がいなくなったので、その土地は「鬼無」と呼ばれるようになったとか( ..)φ 付近には桃太郎神社というのがあって、桃太郎とおじいさんおばあさんのお墓以外に犬猿雉のお墓もあるらしいです。 現在鬼無駅は無人駅となっていて、有人駅の頃に使われていた駅舎は中華料理店が入って営業しているらしいです。 有人駅の頃は鬼無駅の硬券入場券がこの時期になるとよく売れたという話を聞いたことがあります♪ さて3枚目に「鬼」がつく駅名をピックアップしてコラージュ写真にしてみました(=゚ω゚)ノ あと東京都の都電に「鬼子母神前」駅があったり、島根県の境港線の終着駅である境港駅にゲゲゲの鬼太郎の原作者の水木しげるさんの出身地にちなんで「鬼太郎駅」という愛称が付けられています。 まだまだコロナ禍であり、緊急事態宣言も延長となり先のことがますます見えなくなってきた感があります(´;ω;`) 「鬼」は外、「福」は内と豆まきしてコロナという鬼を退治してやりたいものです(=゚ω゚)ノ ※なお、今回の写真は全てネットから引用させていただきました。
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2021年01月29日 22:47 コメント 5 件 思い出が深いふるさと銀河線(=゚ω゚)ノ
先ずは今回のコラージュ写真の説明から… 1枚目…改めてふるさと銀河線の路線図を作ってみました。北海道のこの辺りを走っていた鉄道なんですよね、いわゆる道東という地域になります。十勝地方の十勝ワインの産地である池田町とオホーツク側の主要都市北見市を結ぶ140kmの営業キロを持つ路線でしたね。 ちなみに背景は「高島」という駅で撮影したものを加工したものです。 2枚目…ふるさと銀河線全駅の駅名看板33駅すべてをコラージュしてみました。中には「北光社」という駅は駅名看板がうまくとれなかったり、全てを1枚の写真にコラージュしたので見づらかったりすることでしょう(;^ω^) 全てご覧になるとお分かりだと思いますが、星を意識したデザインになってますね。そして一部の駅に12星座が割り振られています。 3枚目…廃止当日も乗っていまして、その時に乗車記念証がいただけました。 あと両端の池田駅と北見駅は改札口をJRが管理をしていて、ふるさと銀河線の料金は車内で精算されますので精算済証明書をいただいて、これを見せてJRの改札を通過するというシステムです。これには応募券なるものが付いていてそれをハガキに貼って送ると毎月抽選で沿線の名物が当たったりします♪ 現在ふるさと銀河線の代替交通は陸別を境にして陸別ー北見間は北見バス、陸別ー池田ー帯広間を十勝バスが担当しています。 ふるさと銀河線は開業当初から赤字ではありましたが、廃止になるまで3~4億の赤字ですんでいました。そしてその穴埋めは北海道と沿線自治体が蓄えておいた経営基金なるもので埋めていたわけです。しかしその経営基金が無くなってしまいそうということで廃止に至ったというのが大筋の経緯となります。 銀河線を廃止にしないようにと、地元住民が有志団体を作って勉強会を開いて色々提案していましたけど聞き入れてくれませんでしたね。その有志団体の勉強会等に僕も参加して色々情報をもらっていたことがあります。 単純に利用客が減って赤字で廃止になったわけではなく、現地ではその一言だけでは片付けられないドラマがあったことを知ってほしいと感じる今日この頃です。 では今回でふるさと銀河線の話は一区切りとさせていただきます。廃線後の現地を訪問する機会ができれば再びブログで取り上げてみたいものです(=゚ω゚)ノ
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2021年01月26日 22:39 コメント 7 件 ふるさと銀河線車両は陸別で保存されてます
2006(平成18)年4月をもってちほく高原鉄道は廃止されたわけですが、陸別町では陸別駅構内および陸別ー川上間の線路や鉄道施設、使用していた気動車6両と鉄道時代に使用されていた保線車両や機械を取得して整備をし、鉄道の歴史と記憶を後世に伝え続けるため乗車体験・運転体験ができる体験型観光施設として2008(平成20)年にふるさと銀河線りくべつ鉄道を開業させました(=゚ω゚)ノ ちなみに陸別町は、ふるさと銀河線沿線7市町村のうちで廃止を承認しなかった唯一の町です。何故かというと、極寒の地なので道路の積雪や凍結の不安から雪に強い鉄路は残してほしかったからなのです。 ふるさと銀河線りくべつ鉄道は4月下旬~10月下旬の雪のない季節が営業の時期となります。 実際に走っていた車両を使って駅構内のみの乗車体験や構外を出ての本線上の乗車体験、駅構内の足漕ぎトロッコの乗車体験ができます。 そして何と言っても営業していた頃の列車を使って運転体験ができるというのがとても魅力的です♪ Sコース、Lコースの陸別駅構内を運転体験ができるコースと銀河コース、新銀河コースの構外を出る運転体験ができるコースがあります。 僕は北海道に住んでいた頃にLコースの運転体験をしたことがあります。教科書みたいなものもあり、簡単に研修を受けてから40分間指導運転士が横について陸別駅構内を40分間自分で運転して数回往復しました。終了すると2枚目のコラージュ写真のように運転体験証明書がいただけるワケです。 僕が運転体験に行ったころは、郊外の運転体験コースは1.6kmの銀河コースのみでしたが2020年に更に1.2km延長され、2021年度からは旧陸別駅から5.7km先の旧分線駅までのコースが開設されました。これだけの運転体験ができるというのはワクワクしますね(●^o^●) 3枚目のコラージュ写真に2021年度のコースを添付しました。 1枚目のコラージュ写真は現役時代の陸別駅で現在でも道の駅として機能しており、2階はオーロラハウスという宿泊施設で僕も宿泊したことがあります。 では次回のブログにてふるさと銀河線の話をまとめとさせていただきます(=゚ω゚)ノ
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2021年01月22日 21:07 コメント 7 件 日本一しばれる場所 陸別町(=゚ω゚)ノ
ふるさと銀河線の沿線自治体である足寄郡足寄町を僕のブログで以前紹介しましたね。 今回はふるさと銀河線沿線で印象に残る町がもう一つあるので紹介いたします。その町は「陸別」といいます(=゚ω゚)ノ 北海道足寄郡陸別町… 道東と言われる地域の中央部、南は足寄町で北は「オケクラフト」で有名な置戸町と接しています。 町名の由来はアイヌ語の「リクンベツ」(高く上がっていく川の意味)からきているとのことです。 盆地の地形であるためか夏は意外と暑いようですし、冬は北海道の中でも有数の極寒の地で冬の平均最低気温が-20℃で-30℃ぐらいになる日もざらにあるのでとても寒暖の差が激しいところです。陸別町はそれを逆手に取って「日本一寒い町」をうりものとしています( ..)φ 陸別町では毎年2月の第一土曜と日曜に「しばれフェスティバル」という寒さをウリにするお祭りが開催されております。 このイベントの目玉と言えるのが「人間耐寒テスト」というものではないでしょうか。 これは会場内に設置された風船に水を吹きかけて凍らせてつくられたかまくらのなかで極寒の夜を味わっていただくものです。かまくらの中にはストーブは無く、暖をとるのは広場にたき火のみで一晩耐え抜くと「耐寒テスト認定証」がいただけます(=゚ω゚)ノ 参加を希望するには事前に申し込まなければなりません。 僕は「人間耐寒テスト」は参加したことありませんが、このお祭りには2回ほど訪れたことがあります。 (三枚目のコラージュ写真が「しばれフェスティバル」の様子、黄色のゼッケンをつけている人が参加者デス) また陸別町には「りくべつ宇宙地球科学館(銀河の森天文台)」という施設があります。これは1987(昭和62)年に環境省より「星空の街」に選定され、1997(平成9)年には「星空にやさしい街10選」に認定されたことでそんな特性を活かすためにつくられました。国内最大級の反射式望遠鏡を備えており、冬の時期に低緯度ではありますがオーロラも観測されたことがあるそうです。 次回のブログも陸別の話です、今度はふるさと銀河線の車両が陸別に保存されているのでその話になります♪ ※今回の写真は自分が持っているパンフレットと絵葉書、ネットのものを組み合わせて引用しました(=゚ω゚)ノ
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2021年01月19日 21:34 コメント 10 件 ふるさと銀河線友の会で銀河線を応援♪
以前僕のブログで、くりはら田園鉄道のことを取り上げた時に応援するための組織「くりでんサポータズクラブ」が作られて会員を募っていたという話をしたことがあります(2020/11/24のブログです)。 応援する組織を作って会員を集めるという形式のものが当時の第3セクター鉄道会社でいくつかあったようです。 ちほく高原鉄道ふるさと銀河線にも、応援するための組織が作られました。 それが「ふるさと銀河線友の会」というものです(=゚ω゚)ノ 1枚目のコラージュ写真が「ふるさと銀河線友の会」の入会案内のチラシでございます。「くりでんサポーターズクラブ」は1年ごとに更新でしたが、「ふるさと銀河線友の会」は一般会員3,000円、賛助会員10,000円を一度払えばokとなります。 僕は確か第三セクターに転換後に訪問が叶い、置戸町の役場で入会の申し込みをしたものです(●´ω`●) 2枚目の写真は特典であるふるさと銀河線テレホンカード付の会員証とふるさと銀河線会報である「友の会通信」です。 会員証はしっかりとした紙で出来てます、会員の名前や沿線市町村の代表的な風景、そして最後のページにはテレホンカードが入っています。(テレホンカードも懐かしい響きですネ) そして11駅に設置された記念スタンプの台紙スペースがあって、全て集めると記念品がもらえるという特典もありました。 「友の会通信」は第1回目のもので、当時の社長であり北見市長である久島正氏のあいさつ文や地域のイベント、銀河線に関する新聞記事が掲載されています。 そして上常呂、日ノ出、訓子府、置戸、陸別、愛冠、本別、池田の各駅に線路型のモニュメントが設置されて、希望する駅のモニュメントに自分の名前が登録されるという特典もあるのです。 僕は松山千春さんの出身地の足寄を希望しました。そして実際に足寄駅に自分の名前を見に行った様子が3枚目のコラージュ写真です、自分の名前が刻まれているのを見て感激しましたね♪ 友の会入会案内に友の会会則があってこんなことが書かれていました。 この会は、全国の方々がふるさと銀河線のファンになり「ふるさと銀河線」が永遠に走り続けてほしいという願いをこめ、この鉄路を支援することを目的とします…と この文を読んでいると叶わなかったことが空しく感じるものです(´・ω・`)
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2021年01月15日 21:08 コメント 19 件 神戸の老舗の甘納豆屋が設置した駅です♪
JR池北線からちほく高原鉄道へとなって、唯一新設された駅がありました。 その駅名は「岡女堂」といいます(=゚ω゚)ノ 岡女堂駅は1989(平成元)年に池北線がちほく高原鉄道ふるさと銀河線になったあとの1995(平成7)年9月に開業しました。 岡女堂の本別工場のそばをふるさと銀河線が通っていたので、そこに隣接する形で岡女堂が費用を負担して駅が作られたわけです。 岡女堂は1855(安政2)年創業の神戸の甘納豆の老舗です。創業の頃はぜんざい屋で、創業者がぜんざいを火にかけ過ぎたことから偶然甘納豆が誕生してそれが主力商品になったようですね。 それがなぜ北海道の本別町に工場ができたかというと、本別町は豆王国と言われるほど豆づくりが盛んな町なのだそうで、豆の縁によって本別町に岡女堂の工場の誘致の話があって移転が決定し、1991(平成3)年に工場の機能すべてが移転完了しました。 駅も岡女堂の工場も国道242号線に面していましたが、そちら側には出入口は無く反対側にありました。岡女堂駅の入口も岡女堂の工場敷地内にあるので、駅に行くには敷地を横切る必要があります。 この駅にはふるさと銀河線で数回立ち寄ったことがあります、売店には色々な種類の豆製品があったり、「おかめ」コレクションが展示されている豆ドームという建物があったり、駅の側には一寸法師のモデルともいわれる少彦名神を祀った豆神社があったりと結構楽しめたりします。 岡女堂独自のものだと思いますが、ふるさと銀河線のマグカップが販売されていたので購入した思い出があります(=゚ω゚)ノ そんな駅も設置された岡女堂は現在どうなっているかと言うと、ふるさと銀河線が廃線になる頃に岡女堂は経営破綻してしまいました。そのあと本別工場は十勝豆工房から合同会社豆やとかちと経営が移管されて「岡女堂本家」として今でも営業しているとのこと。 ふるさと銀河線の廃線後には国道242号線側にも入口ができました。 江戸時代に生まれた関西の老舗の味が、今でも北の大地の北海道本別町で引き継がれているようですね(●´ω`●)
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2021年01月12日 21:34 コメント 5 件 足寄と聞くと、あの有名人が思い浮かぶ♪
ふるさと銀河線が通っていた沿線自治体に足寄郡足寄町があります。 足寄町は十勝の東北部に位置していて東西66.5km、南北48.2kmで面積が1408.04k㎡で2006(平成18)年までは日本最大の面積を持つ市町村でした。ちなみに地名の由来はアイヌ語の「エショロ・ペツ」(沿って下る川)からきています。 東には阿寒摩周国立公園の南西部にあたる雌阿寒岳とオンネトーという湖があり、名産品に2,3mほどの長さになるラワンぶきがありますね。 ふるさと銀河線は足寄町の真ん中あたりを南北に走っていました。 足寄町にふるさと銀河線の駅は7つあって、そのなかで中心駅だったのが足寄駅です(=゚ω゚)ノ 開業したのは1910(明治43)年9月のことです。1989(平成元)年に北海道ちほく高原鉄道に転換後、1994(平成6)年に「道の駅 あしょろ銀河ホール21」を併設した新駅舎となりました。2006(平成18)年のふるさと銀河線の廃止後も道の駅として機能しており、2011(平成23)年にリニューアルオープンしています。あとで調べてみると、ホームの部分は埋められて一部分銀河線のモニュメントを残したり、道の駅の隣に旧足寄駅を再現した観光施設が作られたりしているようですね。 「足寄」と聞くと真っ先に松山千春さんを思い浮かべます、僕らぐらいの世代でしたら夢中になった方は多いと思います(^ω^) 松山千春さんは1977(昭和52)年1月にシングル「旅立ち」でデビューして、1978(昭和53)年8月に出した5枚目のシングル「季節の中で」が大ヒットしてからずっと第一線で活躍しているミュージシャンですね♪ 実は松山千春さんの生家がチョットした観光地となっていて、僕が初めて行ったのは学生時代に北海道に来た時です。駅から歩いてもそれほどかからない所にあって田んぼの中の一軒家で本人のイラストが描かれたデカい看板があったことを思い出します(●´ω`●) 現在の状況を3枚目のコラージュ写真にしています。2度目の訪問時は当時の看板は3分の1ぐらいの大きさとなり、今ではその横に現在の千春さんのイラスト看板があるようです。道の駅となった旧足寄駅にも松山千春さんのギャラリーがあります。 松山千春さんによって足寄町が有名になった気がしますね(^ω^)
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2021年01月08日 21:54 コメント 13 件 秘境駅㉑
ではでは、ふるさと銀河線のネタ話をさせていただきます。 先ずはカレンダー作品の9月のデザインに取り入れている、秘境駅と言われた「川上駅」の話です(=゚ω゚)ノ 川上駅は北海道足寄郡陸別町字利別川上62という所にあったちほく高原鉄道ふるさと銀河線の駅でございます。北見から置戸まで来ると置戸から小利別、川上、分線、陸別と駅があり足寄方面に向かう形になります。 この駅は木材資源の搬出が目的で1920(大正9)年に開業しました。駅名の由来が利別川の上流、つまり川上にあることからとのこと。森林関係の仕事に携わっていた方々がいたという事だと思いますが、1924(大正13)年は駅周辺に市街地があって市街地人口150人、周辺人口1,350人、総戸数300戸あったという記録があるそうです。そして1923(大正12)年の記録では年間29,000人の利用があったとのこと。 その後原生林伐採が殆んど終わってしまった感じになったのか段々と土地を離れる人が増え、木材需要も低迷し昭和30年代後半には周辺はほぼ無人地帯となっていたみたいですね。配置されていた駅員も1962(昭和37)年に無人化となりました。 1枚目と2枚目で川上駅の写真をコラージュでまとめてみました(=゚ω゚)ノ 国道が通る駅前周辺に民家等は一切ありません、この駅の歴史を知らない人であれば何故こんなところに駅があるのかホントに疑問に思ってしょうがない気がしますね(;^ω^) 2006(平成18)年のふるさと銀河線廃止後も暫くこの駅舎は残っていたのですが現在では解体されています。貴重な開業当初からの建物だっただけに保存はできなかったのかなと残念でなりません( ;∀;) 3枚目のコラージュ写真なんですが、北海道は板切れが敷かれたホームだけの簡素な板切れホームの駅がたくさんあります。おそらく本州ではこんな感じの駅はそうそう見ることが出来ない気がします。 一部ですが、ふるさと銀河線にあった板切れホームの駅をコラージュ写真にしてみました(=゚ω゚)ノ ぽつぽつと民家が見られる所や工場や牧場以外何もない所、北海道の原野しか見えない所と様々な駅があります。 では、次回もふるさと銀河線の話をさせていただきます( ..)φ
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