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「鉄道の旅人」さんのブログ一覧

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  •  2020年12月01日 21:50  コメント 3 件 くりはら田園鉄道④廃線後

    先ずは本日のコラージュ写真の説明から(=゚ω゚)ノ 1枚目…1992(平成4)年に訪問した時の栗原電鉄時代の若柳という駅です。ここには車両基地と本社があります。 2枚目…廃止後の若柳駅です、グーグルマップを背景にしてコラージュ写真にしてみました。 くりはら田園鉄道公園として整備されています。 3枚目…1992(平成4)年の栗原電鉄時代の訪問時に撮影したものをコラージュ写真にしてみました。 くりはら田園鉄道は2007(平成19)年3月で全線が廃止となり、代替交通機関として栗原市民バスがくりはら田園線として現在運行されています。 廃線後は若柳と細倉マインパーク前以外の駅舎は解体されているようですが、線路は所々に残っているようです。 若柳駅は栗原市が鉄道公園として整備されて2010(平成22)年にオープンしました。若柳駅舎は撤去された沢辺駅の部材を活用して往時の姿に復元されました。そして2017(平成29)年4月に営業当時の貴重な資料を展示する「くりでんミュージアム」が開業しました。 これでくりはら田園鉄道公園は「くりでんミュージアム」「くりでんアトラクションゾーン」「くりでん芝生広場」というエリアで構成されるようになりました。ミュージアムでくりでんの歴史を知り、アトラクションゾーンで動態保存をされている気動車の乗車体験をして、芝生広場で遊んだりできます。 くりでんが廃止されて今年で13年になりますが、くりでんの車両をモチーフにしたくりでんグッズが現在でも充実させているようで面白そうです(●^o^●) 1921(大正10)年地元の有力者の働きかけにより栗原軌道(株)設立されて石越ー沢辺間が開業し、その後順調に鉱山がある細倉まで延伸して好調となりました。その後はモータリゼーションの影響や鉱山の閉山で利用客が減少、第三セクターとなって頑張りましたけど2007(平成19)年で90年近い歴史を閉じてしまったくりはら田園鉄道ですが、若柳駅跡地がくりはら田園鉄道公園として整備されたので歴史はこのあとも語り継がれていくことでしょう。 今度はくりはら田園鉄道公園に訪れて栗原電鉄時代の訪問時を思い出し、サポーターズクラブ会員時に叶わなかった気動車との触れ合いを実現されてみたいものです(●´ω`●)

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  •  2020年11月27日 21:44  コメント 3 件 くりはら田園鉄道③栗原電鉄時代に訪問

    僕がくりはら田園鉄道を訪問したのは1992(平成4)年3月のこと、経営がまだ移管されていない栗原電鉄時代でした。 細倉鉱山が閉山し、1990(平成2)年に鉱山跡を利用したテーマパークである細倉マインパークがオープンして細倉駅が200m移設されて「細倉マインパーク前」と改称されて2年後になりますね(・_・) 当時はまだ走っていた夜行列車を使って、早朝にJR東北本線の石越駅に到着して駅舎を出た正面にあった栗原電鉄石越駅に向かって行って一番電車で終点の細倉マインパーク前駅へと向かいました。終点に到着した後は何度も電車で行き来したり一駅分歩いてみたりと色々とやってみたものでした。 今回のコラージュ写真は、 1枚目……起点の栗原電鉄石越駅です。くりはら田園鉄道に変わった時は入口の「栗原電鉄」の表示が「くりはら田園鉄道」に変わっただけで駅舎自体はそのままでした。グッズの案内に囲まれた切符売り場の前で記念写真を撮りました。 この駅は廃止前の2001(平成13)年に無人化されています。 2枚目…終点の細倉マインパーク前駅と旧細倉駅です。朝早かったので細倉マインパークには行くことはありませんでした。 駅が移転してからも、旧駅がこの様に残っていてホームにも入ることが出来たので旧細倉駅のホームから電車を撮影してみました。この旧駅舎とホームは鉄道全線廃止になるまで残っていたらしいです。 3枚目……当時乗った電車でございます。 上のM15形という電車は1955(昭和30)年に線路幅が762mmから1067mmに変わった時に導入されたものです。 導入当時としては最新設計の車両であり、地方鉄道の電車としては最新のデラックス車だったという栗原電鉄オリジナルでございます。車内が意外とオシャレな感じがすると思うのは僕だけでしょうか(^ω^) 下のM18形という電車は1991(平成3)年に福島県のローカル私鉄である福島交通からやってきたものです。 1995(平成7)年にくりはら田園鉄道に社名変更時に既に紹介している気動車に変更しているので、その時点でこれらの電車は引退をしております。 それでは次回のブログで廃止後の話をしまして、くりはら田園鉄道の話をしめることにします(=゚ω゚)ノ

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  •  2020年11月24日 21:17  コメント 4 件 くりはら田園鉄道② サポーターズクラブ

    栗原電鉄時代は三菱マテリアルが支援をしていましたが、1993(平成5)年に栗原電鉄沿線自治体の5町に経営が移管されて第三セクター鉄道となりました。 そして1995(平成7)年になり電車から気動車となって、社名が「くりはら田園鉄道」となったワケです(=゚ω゚)ノ そして1994(平成6)年12月にくりはら田園鉄道を将来にわたって維持・発展をさせていくために「くりでんサポーターズクラブ」という応援団が結成されました。 内容としては1枚目のコラージュ写真を参照です(=゚ω゚)ノ ちなみにこれは2回目の募集内容でございます。この様な感じで1年ごとに会員を募集し、会費の金額に応じてオリジナル優待乗車券や沿線地域の特産品詰め合わせが送られるというものです。 そして会報による沿線地域のニュースやイベント等の情報提供があります。 それに加えて年一回、申し込みされた方の中から抽選でプレゼントが当たるという特典もついていました。 僕は第1回目の募集から最後の募集となった12回目まで2,000円又は3,000円を払って会員になっておりました。 そして会員証と優待乗車券やくりでんグッズや1枚目のコラージュ写真の募集案内の中にあるCDをもらったことがあります。そして一回だけですが抽選にも当たりました。 2枚目のコラージュ写真に会員証、3枚目のコラージュ写真に創刊号の会報を添付しました(=゚ω゚)ノ 会員証はくりでんの歴史や沿線の観光案内があってしっかりしたものです、優待乗車券付きとなります。 会報は沿線のイベント情報等が中心のものです。 僕は1992(平成4)年3月に栗原電鉄時代に訪問したあと、くりでんサポーターズクラブ発足して毎年会費を払いながら再び訪問する機会をうかがっていたのですが、それは叶わぬ夢となってしまいました( ;∀;) 次回は僕が栗原電鉄の時に訪問した写真を中心としたお話になります(=゚ω゚)ノ

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  •  2020年11月20日 23:31  コメント 4 件 くりはら田園鉄道①社名が6回変わりました

    今回から、かつて宮城県の登米市石越町にある石越駅と栗原市の細倉マインパーク前駅を結んでいたくりはら田園鉄道の話を4回にわたってさせていただきます。 先ずはその歩みから… くりはら田園鉄道は1921(大正10)年に①栗原軌道(株)として石越ー沢辺間が開業し、翌1922(大正11)年には岩ケ崎(栗駒)まで延長されました。当時は蒸気動力で線路幅が762mmというものでした。 この頃は1890(明治23)年に東北本線が岩手県の一ノ関まで開通していたのですが、東北本線は当時の登米郡や栗原郡の中心地を外れたところを通っていて鉄道の恩恵を受けることが出来ないと危機感を抱いた地元の有力者中村小次郎という方が各方面に働きかけて栗原軌道(株)を設立して線路を引いたとのこと。 1941(昭和16)年に②栗原鉄道(株)と社名変更したあと、1942(昭和17)年には鉱山の町である細倉まで延長されました。鉱山があると鉱石輸送で鉄道が引かれるというパターンがほとんどですが、くりはら田園鉄道の場合は逆なんです。 ここからの歩みは社名変更年を中心に箇条書きにしてみます… 1950(昭和25)年 全線電化完成 1955(昭和30)年 線路幅が1067mmとなり③栗原電鉄(株)に社名変更。 1964(昭和39)年 陸前乗合自動車(株)と合併して④宮城中央交通(株)と社名変更。 1969(昭和44)年 自社のバス部門が分離されたのにともない⑤栗原電鉄(株)に社名を変更。 1987(昭和62)年 細倉鉱山の閉山により貨物輸送も廃止。 1990(平成2)年 細倉鉱山跡を利用したテーマパークである細倉マインパークがオープンしたのに伴い、従来の細倉駅を200m延長して細倉マインパーク前駅と改称して最寄り駅とする。 1995(平成7)年 ⑥くりはら田園鉄道と社名変更、電車から気動車となる。 2007(平成19)年 鉄道全線廃止( ;∀;) というワケで、発足から廃止まで会社名が6回変更しています(=゚ω゚)ノ 2枚目と3枚目のコラージュ写真は、くりはら田園鉄道となって導入されたディーゼルカーでございます。レトロ調の気動車を自社で3両新製、予備車として名鉄から2両のディーゼルカーをいただきました。 では次回もくりはら田園鉄道の話です。

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  •  2020年11月17日 21:41  コメント 11 件 新幹線と接続する路線のつもりでしたが…

    3つ前のブログで名鉄竹鼻線の話をしたのですが、竹鼻線が大須駅まであった頃に江吉良駅から分岐をして新幹線の岐阜羽島駅に隣接する新羽島駅までを結ぶ1.3kmの路線である羽島線が開業しています。 竹鼻線と結びついている羽島線、今回はその羽島線のお話です(=゚ω゚)ノ 羽島線は新幹線岐阜羽島駅と岐阜市内とを結ぶのが目的ですが、実は近鉄が羽島・岐阜まで進出してくる話があって、それに対抗するために計画された路線でもあります。 1963(昭和38)年に名鉄が申請した、当時は休業中だった江吉良駅から岐阜羽島までのルートの計画が認可されてからは近鉄は羽島・岐阜の進出を諦めたようです(・_・) ところが用地買収が難航して着工が1975(昭和50)年となり、開業したのは認可されてから19年後の1982(昭和57)年でした。開業当初は新岐阜~新羽島間のほとんどの電車を直通運転として毎時急行2本、普通2本が設定されました。ちなみに急行電車は岐阜まで22~25分ほどの所要時間だったようです。そして竹鼻線は大須から岐阜までの直通が無くなり、途中の羽島市役所前までの折り返し運転となりました。 開業当初は新幹線接続の役割はあったと思いますが、当時の国鉄からJRとなり東海道本線の名古屋~岐阜間の本数等が充実してくると1時間にひかりとこだまが2本止まる岐阜羽島まで出るより、のぞみ・ひかり・こだまが1時間に10数本止まる名古屋駅に出る方が便利になってきたので、今では羽島から岐阜市内までの通勤路線となった感じがあります。現在の本数は1時間に4本で全て普通電車、朝夕は名鉄岐阜までの直通がありますが他は笠松~新羽島間の運転となります。 運転は笠松~新羽島ですが、路線名は一応笠松~江吉良間が竹鼻線で江吉良~新羽島間は羽島線となります。 1枚目のコラージュ写真は開業当時のもので、2枚目のコラージュ写真は先日羽島まで行った時に撮影してきたものです。 開業当初は有人駅だった新羽島駅は、現在無人駅となってしまいました。 3枚目のコラージュ写真は羽島市の中心地に近い羽島市役所前駅の羽島線開業当初と最近の写真です。この駅は羽島線が開業するまでは羽島駅と名乗っていました。 新幹線接続から役割は変わりましたが、羽島線は竹鼻線と共に走り続けています(=゚ω゚)ノ

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  •  2020年11月13日 22:07  コメント 16 件 お千代保稲荷 お参りの仕方(=゚ω゚)ノ

    お千代保稲荷のお参りというのが、他の神社とはチョット違ったお参りの仕方になります。 添乗員として仕事で行った時に、こんなお参りの仕方をするのだなと初めて知りました。最初は稲荷神社だからなのかと思いましたが、豊川稲荷や伏見稲荷はこんな方法ではないので多分お千代保稲荷独特のものだと思います。 なお、お千代保稲荷ではお守りやお札の販売や朱印帳の記帳はしていないとのことです。 では、添付写真を参照しながら読んでいってくださいな(=゚ω゚)ノ お千代保稲荷に参拝する時は、東鳥居から南鳥居へと続く長い参道の途中にお社に続く巨大な鳥居があって、そこからですと正式な参拝方法に従ってスムーズに参拝ができます。 そして鳥居をくぐると直ぐに手水舎があるので、ここで手を清めていきます。 お千代保稲荷はお賽銭ではなく油揚げを奉納します。その奉納する油揚げが手水舎の近くの売店でロウソクとセットで販売されているので購入しておきます(一セット50円) 売店から階段を上ると朱色の献灯所がありますので、ここに購入したロウソクを立てます。更に奥に進むと提灯が飾られた拝殿があるので、そこに油揚げを奉納してお願い事をするというわけです。 拝殿の後ろには霊殿があって、ここでは皆さんが名刺を挟んで商売繁盛をお祈りします。 僕も添乗員の仕事で行った時に名刺を挟んで商売繁盛を祈りましたね!(^^)! さて拝殿の右側に何かの石がおいてあります、これは「重軽石」と言って願い事が叶うかどうかを占う石なのだそうです。 やり方は簡単です、 ①普通に持ち上げて重さを確認する。 ②次に、「願い事が叶うなら重くなってください」とか「願い事がかなうなら軽くなってください」とお祈りします。 ③もう一度石を持ち上げて、思い通りの重さになっていれば願いは叶う。 というもの、お参りが終わったら話のタネにやってみるのもいいかもしれません(^ω^) それから社務所の方も覗いてみると、おさがりの油揚げが置いてあることがあります。ひと家族2袋までという制限でお持ち帰りをすることが出来ます。 1袋にたくさん油揚げが詰まっていますのでかなりの量です。 ちょっと変わったお参りの仕方があり、参道では食べ歩きも楽しめるお千代保稲荷なのであります(=゚ω゚)ノ

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  •  2020年11月10日 21:09  コメント 9 件 商売繁盛の神様である「おちょぼさん」

    岐阜県海津市にある千代保稲荷神社、地元ではお千代保稲荷と呼ばれることが多く、通称「おちょぼさん」と親しまれている稲荷神社です。 名鉄竹鼻線が大須駅まであった頃はここからお千代保稲荷までバスが出ていたわけです。現在は新幹線の岐阜羽島駅から海津市のコミュニティバスでお千代保稲荷まで行くことができます。 お千代保稲荷は商売繁盛・家内安全のご利益がある神社として知られておりまして、年間200万人が参拝しています。 その由来は平安時代に遡ります。 八幡太郎源義家の六男、義隆が分家をする際に「森」の姓を授かり、「千代代々に保っていけ」と祖神と宝剣と義家の肖像画をもらいました。 その後今から550年程前の室町時代に、義隆の子孫である森八海がこの里を開墾して義家から伝わる祖神を祀ったのが神社の始まりです。 正式な神社名である千代保稲荷神社というのは、分家の際に言われた「千代代々に保っていけ」が由来となっています( ..)φ 商売繁盛の神様だけあって企業関係者や自営業者の参拝が多く、正月はもちろんのこと月末月初めは参拝客が多くなります。 月末月初めの参拝客が多いのは「今月も商いがよくできました、ありがとうございました。来月もよろしくお願いします。と商売繁盛のお礼参りをするためなのだそうです。 そしておちょぼさんと言えば参道に並ぶ色々なお店でショッピングや食べ歩きが楽しめマス♪ 特に名物である串カツは焼きたての物が店頭で並べられて、店前で立ち食いするのが醍醐味なのでございます(●^o^●) それから草餅も名物となっているようです、他にも川魚料理が楽しめる店があったりします。 では次回のブログでお千代保稲荷ならではのお参りの仕方があるので紹介します(=゚ω゚)ノ 追伸…ちなみに今回の写真は添乗員の仕事でお千代保稲荷に行った時に撮影してきたものです。ブログで披露するタイミングを失っていたものが今回めでたく日の目をみることができました~~~\(^o^)/ 次回もその写真を使います。

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  •  2020年11月06日 21:06  コメント 6 件 お千代保稲荷への参詣路線でした…

    先日岐阜県の羽島市に行く用事があって名鉄を使って行ってきました。名鉄名古屋からですと岐阜行きの電車に乗って笠松という所で竹鼻線という路線に乗り換えです。 そう言えばこの路線は一部廃線になっているのです。 そこで今回は名鉄竹鼻線についてちょっと紹介をしてみることにします(=゚ω゚)ノ 名鉄竹鼻線は、織物の地場産業で活気づいていた羽島地区の要望がきっかけで1921(大正10)年6月に新笠松(現在の竹鼻線西笠松)ー竹鼻間が開業しました。 名鉄本線にある笠松駅は現在に至るまで何回か移転をしています。当時は美濃電気軌道という会社が岐阜から笠松までの路線を先に開業させていて、竹鼻鉄道の新笠松駅とは離れていました。 そこで竹鼻鉄道が開業した3か月後の9月に新笠松に乗り入れをして駅名を笠松と改称しました。 そして1929(昭和4)年4月に竹鼻鉄道は竹鼻から先の大須まで開業しました。1930(昭和5)年8月に美濃電が合併により名岐鉄道となって1935(昭和10)年4月に岐阜ー名古屋間のルートを開業させた時に新笠松駅を開業させているのですが、これまた竹鼻鉄道の笠松駅とは離れていたので1936(昭和11)年5月に接続させて笠松と改称し、今までの笠松駅は西笠松と改称され現在に至ります。 その後は1935(昭和10)年8月に名岐鉄道と愛知電気鉄道が合併して現在の名鉄が誕生し、1943(昭和18)年に竹鼻鉄道は名鉄と合併して名鉄竹鼻線となりました。 名鉄は愛知と岐阜の中小私鉄が合併を繰り返して誕生しただけに歴史を語りだすととても複雑になります(;^ω^) 終着駅だった大須の近くには名古屋にある大須観音の本家があったとのこと。1612(慶長17)年に徳川家康が名古屋にお堂を移動させて、その後の移転跡に村民らが現在のお堂をたてたらしいですね。 そして大須駅は日本三大稲荷の一つであるお千代保稲荷への路線バスと接続していました。 そして2001(平成13)年9月で江吉良ー大須間が廃止になってしまいました( ;∀;) 廃線後は羽島市のコミュニティバスに転換されております。 江吉良駅から牧野駅跡まで廃線跡を歩いてみました。牧野駅のホームが残っていましたね。いくつか駅跡は残っているようです。 では次回は、お千代保稲荷の話をしてみることにします(=゚ω゚)ノ

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  •  2020年11月03日 22:18  コメント 16 件 旭城のコスモス畑

    このところ、プレミアブログでコスモス畑の風景を写真にアップされる方をよく見かけます、ホントに秋という感じになりましたね。 それを見ていて僕は、そう言えば尾張旭にもコスモス畑があるなと思いだして見に行ってみました。 てなワケで501回目のブログは僕の地元尾張旭のはなし〜(=゚ω゚)ノ 場所は城山公園の旭城前、すぐ横を通る城山街道沿いにあります。 ここは尾張旭の田んぼアートと田んぼイルミネーションの会場でもあるのです。 この場所でコスモス栽培を始めたのは1991(平成3)年からのことです。それまでこの旭城の南側一体が田んぼとなっていて稲が栽培されていましたが、1990(平成)2年に耕作が放棄されて休耕田となりました。そこで当時の尾張旭農協(現在のJAあいち尾東)が景観作物としてコスモスを栽培し始めたのがきっかけなんだそうです。 その後田んぼを引き受けてくれる耕作者が現れて稲の栽培もするようになりました。 でもこのコスモスの栽培が市民の間に定着していたので規模を縮小して現在の城山街道沿いだけコスモス栽培が継続されるようになったとのこと。 今では秋の風物詩として多くの市民に親しまれています(●´ω`●) 遠くから旭城を眺めると赤みがかかった色の畑が見えます、これがコスモス畑で近づいてみるといい香りがします♪ 満開で見頃をむかえている綺麗なコスモス畑でございます(=゚ω゚)ノ 3枚目の添付写真、コラージュなく1枚にしてみました。 いかがでしょうか(#^^#) コスモスが終わると田んぼイルミネーションの準備といったところでしょうか。 今年の田んぼイルミネーションは、その苗を植えるイベントが11月下旬に開催されます。田んぼアートは中止になりましたが、田んぼイルミネーションは開催されるようですな(^ω^)

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  •  2020年10月30日 21:27  コメント 21 件 祝、今回でブログ500回目\(^o^)/

    わたくし鉄道の旅人は2013(平成25)年5月にパソコンの知識をしっかり身につけようと市民講座を始め、そしてその年の11月5日にプレミアクラブで初めてのブログを書きました。 そして時は流れて本日2020年10月30日(金)、記念すべき500回目のブログとなりました\(^o^)/ 取り敢えずは旅ブロガーにあこがれ、鉄道と旅の話をテーマに書いております。(そんな風に思えないという記事もあるかも(;^ω^)) それから地元の事って意外と知らないかもと感じて催し物とか憩いの場所等にも注目しています。尾張旭にもこんなところがあったのか~、という発見ができて面白いものです。 遠くへ出かけるだけが能ではない、たまには地元を歩くのもイイかもと感じるようになりました♪ 添乗員の仕事につけた時はネタはどんどんたまるが更新する暇が無かったりしたこともありましたね。 今年に入ってからはコロナ禍の自粛期間等で気軽には出かけられず、スキャンを覚えて過去のフィルム写真からネタを拾っていきました。 プレミアクラブでブログを書かれる方の大多数は鉄道に興味のない方々と考えて鉄道の話をする時は分かりやすくて関心をもってもらうことを心掛けています。 時々鉄道好きの方とプレミアクラブで出会ったり、僕のブログを読んで鉄道に関心を持つようになったという声が聞かれるのでとても嬉しいですね(●^o^●) 最近はコメントを残していなくても読んでいる人がたくさんいるような気がしてそれも嬉しくなりますね。 これからも鉄道と旅にこだわったブログを書いていきますので、よろしくお願いしますm(__)m では本日の添付写真はについて(*・ω・)ノ 1枚目…第1回目のブログで使った写真を加工してみました(=゚ω゚)ノ この場所は何処かと言うと 2枚目…愛媛県の予讃本線下灘駅です。松山から普通列車で1時間程西に向かったところになります。瀬戸内海に沈む夕日は綺麗に見える海辺の駅として有名で、ポスターにも登場した駅です。 3枚目…第1回目のブログの写真が海の見える駅だったのにちなんで、手元にあった写真の中で海を眺めることが出来る駅の写真をコラージュにしてみました(=゚ω゚)ノ

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