パソコン市民講座 プレミア倶楽部
パソコン市民講座 プレミア倶楽部  会員専用「プレミアブログ」
  •  「プレミア倶楽部」会員の一般公開ブログです。
  • 会員の方はログインしてください。
    • お待たせ!9月の黄色先生の予定ですよ~♪
    • 8月の黄色先生の予定表ができました♪
    • 7月の黄色先生の走行予想日でございます♪
    • さ~て、6月の黄色先生は~(=゚ω゚)ノ
    • 黄色先生の入れ替えイベント(=゚ω゚)ノ
    • 「masakishi」さん より
    • 「エリカ」さん より
    • 「violet」さん より
    • 「masakishi」さん より
    • 「あけちゃん」さん より

「鉄道の旅人」さんのブログ一覧

930 件
  •  2020年10月02日 22:16  コメント 8 件 野上電鉄④…まとめ

    では先ず今回の添付写真の説明を(=゚ω゚)ノ 1枚目の写真……野上電鉄の車両たちを改めてコラージュ写真にしてみました。 2枚目の写真……列車交換可能駅 紀伊野上駅での風景。 3枚目の写真……同じく列車交換可能駅 重根(しこね)駅での風景。 1枚目のコラージュ写真にあるネットから引用した電車の写真… これは車両の置き換えをするために大阪の水間鉄道から廃車になった車両を譲渡してもらったものです。 ところがこの車両の重量が野上電鉄線にある鉄橋には重すぎて耐えられないということがわかって営業運転することなく廃車となった電車なのです。5両譲り受けましたが、廃車するのにはお金かかってますから損したことになりますね(;^ω^) 施設も老朽化していたことから、補助金を当てにして近代化の計画を立てていたようです。 そして車両の方で野上電鉄初の冷房付き新車を導入する計画もしていたのですが、国からの補助金の打ち切りが1992年に決まってしまったことから全線廃止、会社自体も解散する方針となりました。 新車は発注の段階までいったらしいですが、当然キャンセルとなりました(;^ω^) 野上電鉄は累積赤字が数億あって、廃止になる前年度で2億ぐらいの赤字だったようです。そして施設を近代化する必要もありました。そんな状態で補助金が打ち切られたので廃止を決意したわけですね( ;∀;) 第三セクター会社設立等の方法も沿線自治体は模索したようで、実際に融資に名乗りをあげた地元企業もあったようですが、条件が合わずその話も実現はしなかったです。 そして1994年3月31日をもって鉄道路線が廃止、野上電鉄という会社も消滅を迎えてしまいました。 翌日からは野上電鉄のバス部門を引き継いだ「大十バス」が代替バスとして走るようになったということです。 訪問当時は廃止の約半年前、会社の細かい状況は知る由もなくやってきてローカルムードを味わって撮影して帰りました。改めてその時に撮影した写真を整理して振り返ってみると廃止までの経緯はかなりバタバタしていて良くない評判ばかりあったようで残念なことです。 廃線跡は遊歩道や公園に整備されたり道路の拡張に使われたりなどしています。 4回に渡って和歌山県に存在していた野上電鉄を紹介させていただきました(=゚ω゚)ノ

     メッツ大曽根教室
     鉄道の旅人 さん
     公開中
  •  2020年09月29日 22:32  コメント 6 件 野上電鉄③…ギャラリー

    今回は適当に写真をコラージュしてみました♪ 1枚目の写真ですが、夜の日方駅でございます(=゚ω゚)ノ ここには車庫があって沢山電車がならんでいるのですが、その中で一両だけ目立つ車両がありました。 明治チョコレートの広告が車体一面に施されているこの車両の形式名がモハ20形24号といいます。 元々は阪神601形という阪神電車で前面の窓が5枚あるという珍しいものです。やってきた当初は他の車両同様上半分がクリーム色で下半分はオレンジでしたが、のちにこの明治チョコレート広告の塗装となったわけです。 実はこの電車、明治チョコレートのCMにも出演しておりました。この塗装は元に戻されること無く廃止を迎えました。 野上電鉄が廃止された後は阪神電鉄に返還されて尼崎プールセンター前駅近くの阪神の施設で阪神時代の旧塗装(茶色)のもどされて保存されているとのことです。 通常は公開されていないそうですが、公道から金網越しにみることが出来るらしいですね!(^^)! 2枚目の写真は日方駅にあった観光案内看板です、いかにもローカル線の駅にある看板という感じが何とも言えずたまらなかったので一枚で載せてみました♪ 3枚目の写真はそれぞれの駅で電車を撮影したものです。 ちなみに途中の駅は重根駅と紀伊野上駅の二ヶ所が交換可能な駅であり、駅員が配置されていました。 (その二つの駅の写真は次回のブログに添付します) この二駅と起点の日方、終点の登山口以外の駅が無人駅となっています。 では、次回のブログで野上電鉄編をまとめさせていただきます(=゚ω゚)ノ

     メッツ大曽根教室
     鉄道の旅人 さん
     公開中
  •  2020年09月25日 22:00  コメント 5 件 野上電鉄②…高野山への延伸計画もあった。

    さて、今回の3枚のコラージュ写真は野上電鉄終着駅の登山口駅でございます (=゚ω゚)ノ 登山口駅は1928(昭和3)年に紀伊野上駅から路線を延長して生石口駅(おいしぐち)として開業、1958(昭和33)年に登山口駅に改称されています。 ここは野上電鉄の路線バス登山口営業所も兼ねておりました。 1枚目の写真に登山口駅舎とその駅舎内の写真を添付しました。 窓口や改札口の古い感じが何というか懐かしさを感じる気がしますね、最近では改札口にある駅員さんが立つ枠の部分を取っ払って改札口がスッキリしている駅がほとんどになりましたので、この風景を滅多に見ることがなくなってしまいました。 2枚目にこの日に乗車した電車を撮影したものです。野上電鉄の車両はほとんどが昔に阪急電鉄や阪神電車を走っていた電車なんですが、僕が乗ってきたのは富山地鉄射水線で使われた車両でした。 なお、野上電鉄は高野山の付近まで延伸する計画があったようです。実際に登山口駅から東へ4.7㎞先の神野市場という所までは1930(昭和5)年までに着工されました。 しかし株主の中で反対の声もあって対立するようになり、工事は中止になったそうです。完成した橋脚もありましたが、それらは放置されて残っているらしいですね。 野上電鉄の廃止後の登山口駅跡地は野上電鉄のバス事業を引き継ぎ野上電鉄線の代行バスを運行する大十バスの本社と車庫が立っております。 車庫の裏側に回ってみると、わずかにホームの形跡を見ることができるのだそうです。 実際に神野市場まで延伸が完成し、その勢いで高野山付近まで延伸が叶うようなことがあったら今とはまた状況が変わってきたのかしらんと考えてしまう今日この頃です。 では、次回も野上電鉄の話になります(=゚ω゚)ノ

     メッツ大曽根教室
     鉄道の旅人 さん
     公開中
  •  2020年09月22日 23:58  コメント 5 件 野上電鉄①…沿線の特産品を運ぶための鉄道

    前回のブログで有田鉄道という和歌山県にあって廃止になった路線の話をしました。 今回も和歌山県にあって廃止になってしまった中小私鉄の話でして、名前を「野上電気鉄道」といいます(=゚ω゚)ノ 野上電鉄はJR海南駅の近くにある日方駅から山の方へ入って海草郡野上町(現在の紀美野町)にある登山口駅まで結ぶ営業キロ11.4㎞の路線でした。 野上町は棕櫚(しゅろ)というヤシ科の植物が栽培されて、それを原料としてたわしやロープなどの製品が製造されて特産品となっていました。その特産品を港のある日方町(現在の海南市)に運ぶために設立されました。 そして紀勢本線がこの地まで延びてくる前の1916(大正5)年2月4日に日方ー紀伊野上間が開業し、それから1928(昭和3)年3月29日には紀伊野上ー生石口(1958(昭和33)年に登山口に改称)開業しました。 この野上電鉄もモータリゼーションの影響で乗客減少や特産品がトラック輸送に切り替わり経営難となりました。それで昭和40年代には廃止の方針を出したのですが、当時のオイルショックによって鉄道が見直されるようになったことにより廃止が撤回されて沿線自治体の補助金を受けて存続したという経緯があります。 その後も経営は思わしくなく、1992(平成4)年に国の地方鉄道への補助金見直しによって支援打ち切り対象となり再度廃線の方針を示すようになりました。 結局1994(平成6)年3月限りで廃止となりました( ;∀;) ただ廃止直前は相当ひどい状態だったらしく、鉄道が廃止になっても会社としては残ることがほとんどですが、この野上電鉄はバス事業も大十バスに譲渡して会社自体が消滅してしまいました(/_;) 僕が訪問したのは1993(平成5)年9月4日と9月5日の2日間です。 今回は起点の日方駅の写真を中心にコラージュしてみました(=゚ω゚)ノ 日方駅はJRの海南駅と離れていて、海南駅から日方駅に行こうとすると遠回りする必要があったために1949(昭和24)年に日方駅から約100m先に乗り換え専用の駅である連絡口駅が開設されました。連絡口駅は日方駅の構内となるためこの区間だけの乗車はできなくなっております。 次回のブログも野上電鉄の話をさせていただきます(=゚ω゚)ノ

     メッツ大曽根教室
     鉄道の旅人 さん
     公開中
  •  2020年09月18日 23:46  コメント 9 件 みかんと木材を運搬した鉄道(=゚ω゚)ノ

    前回のブログで、和歌山県御坊にある紀州鉄道の話をしました。今回も和歌山県の鉄道の話です。 ただこの路線は廃線となっております(>_<) 御坊市より少し北に向かったところある有田郡有田川町にある藤並という駅からかつて内陸に向かって金屋口という駅まで営業キロ5.8㎞の有田鉄道というローカル私鉄が走っておりました(=゚ω゚)ノ 有田鉄道(ありだてつどう)は沿線で取れたみかん等の農産物を港のある湯浅まで運ぶために設立されました。1915年(大正4)に海岸ー下津野間が、1916年(大正5)に下津野―金屋口間が開業して全通しました。現在の紀勢本線がこの地まで延びてくる前のことでした。 その後1926年(大正15)に紀勢本線が藤並まで開通し有田鉄道も駅を作って接続を図り、1927年(昭和2)には湯浅まで延伸されました。藤並ー湯浅間が並行路線となると戦時下の1944年(昭和19)に休止となってレールが撤去されました。そんないきさつがあったためなのか、1950年(昭和25)から有田鉄道線が湯浅まで乗り入れるようになって1959年(昭和34)には正式に海岸ー藤並間が廃止になりました。 それから次第にみかん等の農産物はトラック輸送に切り替わっていき、1984年(昭和59)で貨物営業が廃止されました。 そして旅客列車の本数も段々と減少し、休日は運休で代替バスを運行という感じでした。2001年(平成13)11月からはなんと一日2往復という状況になりました。(ちなみに並走するバス区間は17往復でございます(;^ω^)) 結局2002年年末で有田鉄道は廃止となってしまいました( ;∀;) 廃線後は一部が自転車専用道になったようで途中駅は休憩ポイントとして一部が残っているようです。 そして終着の金屋口駅は周辺が整備されて、2010年(平成22)3月20日に有田川鉄道公園としてオープンしました(=゚ω゚)ノ かつて有田鉄道を走っていた車両が動態保存されていて体験乗車をすることができる日があり、公園内の鉄道交流館では有田川町の風景を再現した大ジオラマがあって鉄道模型も走っています。 この有田川町の地に、かつてみかん等の輸送に貢献した鉄道があったんだよと伝えていく施設ができて何よりだなと感じました、訪問の機会ができたらいいなぁと思いますね(●´ω`●)

     メッツ大曽根教室
     鉄道の旅人 さん
     公開中
  •  2020年09月15日 23:59  コメント 5 件 親会社は不動産屋の鉄道会社でアリマス。

    和歌山県に紀州鉄道という短いローカル線があるのを御存じでしょうか? 和歌山市から紀勢本線普通電車で南に約一時間少々下ったところに御坊市という所があります。そのJR御坊駅から分岐して西御坊駅までの営業キロ2.7㎞のミニローカル線でございます。 2002年(平成14)に千葉県にある営業キロが2.2㎞の芝山鉄道が開業するまでは、ケーブルカーをのぞき日本一営業キロの短い鉄道会社でした。 紀州鉄道は1928年(昭和3)に設立された御坊臨港鉄道が前身で、当時建設中だった紀勢本線が御坊の市街地から大きく外れたので、市街地まで鉄道を引くため町の有志が資金を出し合って設立したものです。 1931年(昭和6)に御坊駅ー御坊町(現在の紀伊御坊)、1932年(昭和7)に松原口(現在の西御坊)まで開業し、1934年(昭和9)に日高川まで開業し全通しました。 当初から赤字経営だったようですね、1960年代には廃止の噂が流れてきましたけど1973年(昭和48)に東京の磐梯電鉄不動産という所に御坊臨港鉄道は買収されて紀州鉄道となりました。 そして1989年(平成元)に西御坊ー日高川間が廃止されて現在にいたります(=゚ω゚)ノ 実は現在でも紀州鉄道は赤字経営ですが、廃線の噂は流れてきません。紀州鉄道は観光・リゾートホテル業を中心とした不動産部門で稼いでおります。 不動産会社が鉄道会社を買収したのは「鉄道」というネームバリューを手に入れたかったとのこと。「近鉄不動産」とか「東急不動産」等の多くの鉄道会社が不動産事業で成功しているのを見て、鉄道会社の不動産会社は信用されると感じて買収したらしいですね(゚д゚)! 地元からも愛されている路線ですし、赤字は数千万単位で済んでいるらしいですが看板代、広告代と思えばよいと考えているらしいです。廃線にする方が撤去費用等で損失が大きいと計算しているみたいですね。 僕が訪問したのは1993年(平成5)9月4日でした。キハ600という年季の入った車両にちっさな西御坊の駅舎が印象的でした。その後北条鉄道からキテツ1形がやってきて、現在では信楽高原鐡道からやってきたKR301とKR205という車両が運行されています。 営業キロ2.7㎞、所要時間約8分のミニ旅行ですが、また訪れてみたいものです♪

     メッツ大曽根教室
     鉄道の旅人 さん
     公開中
  •  2020年09月11日 23:59  コメント 10 件 写真撮る時、意識するようになりました♪

    さてわたくし、最近のパソコン市民講座ではパソコン資格の講座ではなく趣味的講座を受けております。 その手始めに受講したのが「デジタル写真マスター講座」でした(^^)/ その11項目からなる「デジタル写真マスター講座」先月で終わり、ただ今「脳トレおとなプログラミング講座」というのに手を出し始めました( ..)φ 以前フィルム写真スキャンしてデジタル化する項目があって興味深かったという話をしたことがありますが、今回は撮影のコツを教えてくれるという講座もあったという話をしてみることにします(=゚ω゚)ノ 「ワンランク上の撮影術」という項目でカメラの特徴とか、撮影する時の構図等を教えていただくという内容で、おそらく「フォト散歩」で似たようなことをやっているのではと推測します、撮影時にとても参考になりますね。 そう言えば、最初は電車そのものを撮るとか駅舎を撮ることしか考えてなかったけど最近はこの角度が良いとか、電車を撮影する時に構図を想像して撮影してみるということを意識するようになったので、やはり意識して撮影することは大事だと思いながら受講しておりました( ..)φ 例えば僕の場合ですが、2枚目に最近訪問した名鉄広見線顔戸という駅で撮影したものをコラージュしたので見て下さい。 この時は先ず「顔戸」という駅だと分かることと、電車全体を入れてみたいと考えて色々とアングルを探したわけです。 その結果踏切から撮影するのが良さそうと判断して挑戦したのが上に並んだ三枚の写真です、流石に駅の名前が判別できて電車全体を入れることは無理でしたね。 そして反対側からくる電車で「顔戸」という駅の名前を入れて撮影できるなと思って撮影したのが下の二枚の写真でした。 再度訪問して更に良い角度を探してみたいものです(=゚ω゚)ノ 電車を撮影するのに憧れる撮影方法があります、それは「流し撮り」という方法です。 これは被写体を追いかけるようにカメラを動かして撮影する手法です、この場合はカメラで電車を追っていくわけですね。 3枚目に僕が挑戦した流し撮りの写真を添付しました。左側の写真は背景がブレてスピード感が何とか出ているのではないでしょうか。 本格的な一眼レフを抱えて、鉄道写真を撮ることに憧れている今日この頃ですのでまだまだ精進したいですね(#^.^#)

     メッツ大曽根教室
     鉄道の旅人 さん
     公開中
  •  2020年09月08日 23:59  コメント 13 件 八百津vs中津川 どっちが発祥の地⁉

    前々回、前回のブログで廃線となった名鉄八百津線の話をしたわけですが、その際確認するために八百津町関係のことを色々と検索して調べるのですが気になることが八百津町観光協会のホームページに書いてありました。 書いてあったこととは… 「栗きんとん発祥の地は八百津……(=゚ω゚)ノ」 というもの。 栗きんとんと言えば、中津川のイメージがあります。 中津川駅前には「栗きんとん発祥の地」という石碑がたっているほどで、たくさんの和菓子店があります。僕は八百津で栗きんとんのイメージは全くと言っていいほどありませんでした。 今回は栗きんとんの話をしてみることにしましょう( ..)φ そもそも栗きんとんとは、2種類の形状があります… 和菓子の栗きんとんは蒸した栗に砂糖を加えて炊き、茶巾で絞って形成したものを指します。漢字で「栗金飩」と書くそうです。 おせち料理に入る栗きんとんは、くちなしの実を使って色鮮やかに仕上げるのが特徴とのこと。漢字で「栗金団」と書きます。 中津川市は県内有数の栗の産地で、江戸時代から中山道の宿場町として栄えたところです。その頃から栗菓子が色々と考えられて明治に入って「栗金飩」の原型が出来てきたようです。 一方八百津町は、創業が1872年(明治5)の「緑屋老舗」が大正時代になって三代目店主が栗を使った和菓子を考案、それが「栗金飩」の始まりという説があるそうです。 中津川市は沢山のお店がある中で「川上屋」と「すや」というお店が江戸時代から創業している有名どころですね、「川上屋」はよく耳にするお店でゴザイマス(^^)/ あと駅近くの「にぎわい特産館」にて市内14店舗の栗きんとんを7個と中津川産のお茶を詰め合わせた「栗きんとんめぐり」という季節限定商品があるそうですね、「風流」「ささゆり」の二種類があって、一箱税込2,067円とのことです。 あと八百津町と中津川市のゆるキャラを添付してみました(中津川市は複数あるようです)。ちなみにこの二つのゆるきゃらの頭の形は「栗きんとん」なんだそうです( *´艸`) 今回八百津町に栗きんとん発祥説があるということを初めて知ってびっくりしましたが真相はまだ謎のように思います。 これから「栗金飩」の季節真っ盛りです、八百津の栗金飩を買いにまた出かけてみようかしらん(^ω^)

     メッツ大曽根教室
     鉄道の旅人 さん
     公開中
  •  2020年09月04日 22:17  コメント 10 件 名鉄八百津線②…現在の旧八百津駅周辺は?

    前回のブログで、以前明智ー八百津間を走っていた名鉄八百津線の紹介をしました。 今回は先日現在の旧八百津駅付近に行ってきたので、その話をすることにします(=゚ω゚)ノ さて鉄道の廃線後は八百津町が東濃鉄道(”鉄道”と付きますがバス会社です)にバス運行を委託して「YAOバス」という名称で運行しています。 八百津町の中心地は名鉄八百津駅から少々歩かないといけないのですが、YAOバスは中心地まで乗り入れております。終点が八百津ファミリーセンターという、中央公民館、保健センター、産業会館、商工会からなる複合施設のあるところです。 鉄道時代は1時間に2本、明智ー八百津間は大人290円でしたが、YAOバスは1時間に1本で明智駅前ー塩口間(旧八百津駅の最寄りのバス停です)は大人350円と運賃は若干高くなっています。 ちなみに明智駅前から八百津ファミリーセンターまで乗車すると大人400円です(=゚ω゚)ノ では実際に現在の旧八百津駅付近はどうなっているのかというと、2枚目と3枚目の写真がその様子でございます。 ほとんど駅があったという形跡は無くなっていたのがビックリですΣ(・ω・ノ)ノ! 分譲地となって一戸建てが並んでいました。 2枚目の写真、廃止約一年前である2000/12/12の訪問と2020/8/27訪問の写真を並べてみました。上段は左端の緑のひさしがある家は廃止された当時からあることを考えると多分◯で囲んだあたりに駅舎があったと思われます。ロータリーのあたりには新しい家が建っております。 中段は◯で囲んだところに注目です(=゚ω゚)ノ この家と電柱は20年程経過してもあるのでほぼこの角度での撮影に間違いないでしょう。 下段も若干の位置の違いはありますがこんな感じになることでしょう。 住宅街となった旧八百津駅の明智寄りに数メートルだけ線路が残り「八百津駅跡」という記念碑があって、わずかにここに駅があったという痕跡が残されておりました。 ここはベンチでも置いて憩いの場にし、大きめの説明看板を立てて後世まで伝えてほしいですね(・_・) 名鉄八百津線が廃止されて来年で20周年になりますな。 復活も夢見たいものですが、せめて鉄路がここまで延びていたことを後世の人達に伝えていってほしいものです( ..)φ

     メッツ大曽根教室
     鉄道の旅人 さん
     公開中
  •  2020年09月01日 23:38  コメント 6 件 名鉄八百津線①…ダム建設に貢献した路線

    さて、前回のブログで廃線の危機にある名鉄広見線新可児~御嵩間が開業100周年を迎えたと紹介しました。 その途中にある明智駅から、以前は八百津までに至る7.3㎞の名鉄八百津線という路線が延びておりました(=゚ω゚)ノ 名鉄八百津線は東美鉄道によって1930年(昭和5)4月30日に伏見口(現在の明智)~兼山間が、同年10月1日に兼山~八百津間が開通しました。 そして1943年(昭和18)3月に名古屋鉄道と合併して新広見~御嵩間と共に東美線となりました。その後1948年(昭和23)5月に新広見~御嵩間を広見線に統合して、伏見口~八百津間は八百津線と改称されたのであります( ..)φ 八百津駅から木曽川を上流に向かって行った蘇水峡付近に丸山ダム建設が計画され、資材運搬のために八百津から線路が延長されました。1943年(昭和18)に着工されて戦局のための工事中止を得て1952年(昭和27)軌道工事が完成して運用され、1954年(昭和29)に丸山ダムが完成して役目を終えた専用線は廃止となりました。 八百津町は風光明媚なところが沢山あり、観光地として注目されていたこともあってか名古屋方面からの直通特急が運転されていました。 パノラマカーも使われて、「蘇水湖号」という愛称の付いた電車が走るようになりました。 ですが昭和40年代後半になると道路整備が進んでマイカーが増加して利用客も減少していったとのこと… そして1984年(昭和59)合理化のために当時富士重工が開発していたLEカー(ライトエコノミーカー)というレールバスを八百津線に導入して電車運転を取りやめました。 それでも赤字は改善されること無く、2001年(平成13)9月で廃止となり71年の歴史に終止符が打たれてしまいました( ;∀;) 実は先日100周年を迎えた名鉄広見線新可児~御嵩間を訪問した際に、八百津駅周辺が現在どんな風になっているのかをちょっと見て参りましたので次回のブログでその話をさせていただきます(=゚ω゚)ノ

     メッツ大曽根教室
     鉄道の旅人 さん
     公開中
« 前へ 次へ »
利用規約 プライバシーポリシー 運営会社情報 © 2010 - 2025 パソコン市民講座