「鉄道の旅人」さんのブログ一覧
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2020年08月21日 23:51 コメント 9 件 名鉄大曽根駅が生まれ変わりました。
先日、久々に瀬戸線に乗って主要駅である大曽根まで行ってきました(=゚ω゚)ノ 1983年(昭和58)に地上駅から高架化されて、その頃から高架した駅部分には色々なお店が入っていたのですが、この度耐震化工事をした上でお店を一新しました。 そして2020年(令和2)7月15日にμPLAT(ミュープラット)大曽根という商業施設としてオープンいたしました。その話を聞いていたので、取り敢えず散歩がてらに見に行ってみたワケです(^^♪ 1階にはファミリーマートや100円ショップダイソー、ツルハドラック等々、2階にはラーメン、居酒屋など全部で17店舗が入っております。 名鉄はこのところ駅に直結する商業施設の整備を進めていまして、名古屋鉄道のプラットホームから「ぷらっと」立ち寄れる場所という意味をこめて「μPALT(ミュープラット)」と名付けられています。 2014年(平成26)に名鉄金山駅の商業施設が「μPLAT(ミュープラット)金山」としてリニューアルオープンしたのを始めとして、2018年(平成30)9月に江南駅前、10月に常滑駅前にオープンしていて、2021年(令和3)3月には神宮前駅前にもオープンする予定です。 さて名鉄大曽根駅について簡単にご紹介を(=゚ω゚)ノ 1906年(明治39)に開業しました。そして現在のJR大曽根駅が1911年(明治44)に開業、1912年(大正元)には瀬戸電と中央本線との貨物連絡線ができて1926年(大正15)に瀬戸電気鉄道の本社として駅舎が新築されました。 そして1983年(昭和58)8月に大曽根駅付近の高架化が完成するまでこの駅舎は使われていました、とても渋い駅舎でしたね。小学生低学年の頃でしたか、駅前にアーケードの商店街があってたまに家族で買い物に出かけた記憶があります(●´ω`●) 現在の大曽根付近は地上駅の痕跡は全くなくなってしまいました。 JR、名鉄の他に地下鉄やガイドウェイバスであるゆとりーとラインが乗り入れており、歩いて15分程のところにナゴヤドームもあって乗り換え客等々で賑わう大曽根界隈であります(^^)/
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2020年08月18日 23:58 コメント 11 件 北の大地を走ったリゾートトレイン
前回のブログで北海道のオホーツクを走っていたノロッコ号の話をしました。 北海道で国鉄末期からJRへの移行にかけて、リゾート列車が6本作られて活躍していたことを思い出しましたので、今回はその列車を紹介していきます(=゚ω゚)ノ 1枚目の写真はイラストを交えたその6列車でございます。 ※なお今回の写真の素材はネットから引用させていただきました。 では2枚目の写真から番号に合わせて紹介します(^^)/ ①「アルファコンチネンタルエクスプレス」 1985年(昭和60)に登場したトマムにあるアルファホテル(現星野リゾートトマム)と新得のコンチネンタルホテル(現サホロリゾート)のタイアップで誕生した列車です。新造して約20年、改造して10年経過して老朽化が目立ってきたために1995年(平成7)に引退しました。 ②「フラノエクスプレス」 1986年(昭和61)に登場、「アルファコンチネンタルエクスプレス」が成功して、今度は富良野プリンスホテルとのタイアップで誕生しました。北海道で初のブルーリボン賞を受賞しています。1998年(平成10)引退。 ③「トマムサホロエクスプレス」 1987年(昭和62)に登場して札幌ートマム間のリゾート列車に使用されました。2002年(平成14)引退 以上の3列車は既存の列車を大改造したものでアリマス(=゚ω゚)ノ 3枚目の写真の列車たちは新造車両となります。 ④「ニセコエクスプレス」 1988年(昭和63)登場、新千歳空港駅からニセコ駅を結ぶスキー列車として作られました。2017年(平成29)引退。 ⑤「クリスタルエクスプレス トマム・サホロ」 1989年(平成元)登場、各方面に臨時特急列車として運用されました。2019年(令和元)引退。 ⑥「ノースレインボーエクスプレス」 1992年登場、「アルファコンチネンタルエクスプレス」の置き換えようとして計画されて各方面に臨時特急列車として運用されています。 現役で走っているのは⑥ノースレインボーエクスプレスのみとなりますが、一般の特急列車をマイナーチェンジした観光列車が来年できるので、それを期に引退してしまうかもしれませんね。そうなると一つの時代が終わったという感じですね。 JR北海道、また華やかにリゾート列車で彩ってほしいものです…
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2020年08月14日 23:59 コメント 7 件 今は真夏だけど、真冬の北海道の話
梅雨が明けてからは、連日暑い日が続きますよね(~_~;) そこで少しでも涼しさを感じていただきたく、真冬の北海道オホーツクの話をしてみることにします。 もちろん鉄道がらみの話でございます\(^o^)/ 国鉄の末期にジョイフルトレインと言って、既存の車両を団体列車や豪華列車等に改造されたものが登場しました。 1984年(昭和59)には高知県の予土線で国鉄では初めて「清流しまんと号」と名付けられたトロッコ列車が走りだして、ここから国鉄→JRのエリアでトロッコ列車が広がっていきました。 そして1990年(平成2)に北海道の釧網本線知床斜里ー網走間にトロッコ列車が走るようになりました。これは速度がのろいということとトロッコをあわせて「ノロッコ」号と名付けられました。 オホーツクの流氷と極寒をナマで感じていただくというのがコンセプトでしたね。 実は僕、「ノロッコ号」の運転日初日に乗車してオリマス。 当初は旧型客車や貨物の貨車等を改造したものでレトロ感あって、速度も名前の通り遅かったのでホントにオホーツクの極寒を生で感じることができたものでしたね。 (1枚目の写真、素材は自前です) そして1999年(平成11)に新型車両による運行が始まりました。新型車両にも乗車経験あるのですが、乗り心地は良かったのですが旧型車両に比べると速度は速い感じがして以前のレトロ感があまりなくなった気がしましたね。 (2枚目の写真、素材はネットからの引用) それから牽引する機関車の老朽化による廃車のために冬の必要数を確保することが難しくなってきたことから、2016年(平成28)で運行終了となってしまいました( ;∀;) ちなみにくしろ湿原ノロッコ号は運転されております。 ですが人気列車だけに地元では存続の強い要望があったことで2017年からは普通列車用ディーゼル車2両にラッピングを施して「流氷物語号」として運行されるようになりました。 (3枚目の写真、こちらの素材もネットから引用) 車内では地元ボランティアによる観光案内やグッズの車内販売が行われているそうです。 今JR北海道は大変なことになってきていますが、釧網本線のオホーツク側ではこんな取り組みをして頑張っております。 釧網本線を世界遺産に!という動きもあるようですので頑張ってほしいですね。
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2020年08月11日 23:59 コメント 6 件 民営鉄道が国鉄赤字路線を引き受ける
国鉄時代の1980年(昭和55)に国鉄再建法が成立して、廃止するべき路線の選定され廃止対象の第一次特定地方交通線が発表されます。鉄道を存続させた沿線は第三セクター会社を設立して運営するというのが殆んどでしたが、唯一民営鉄道が引き受けた路線があります。 それは青森県田舎館村のJR川部駅からリンゴと米の産地として知られる黒石駅を結ぶ6.2㎞の国鉄黒石線と言います(=゚ω゚)ノ 国鉄黒石線は1912年(大正元)に黒石軽便鉄道として開業し、1922年(大正11)に黒石線と改称されました。戦前は地域唯一の鉄道として賑わっていたようですが、1950年(昭和25)に弘前から津軽尾上まで来ていた弘南鉄道が黒石まで延長されると利用者は本数が多い弘南鉄道に流れていきました。 やがて国鉄再建法に基づき第一次特定地方交通線に指定されると、沿線自治体鉄路存続で動きました。結局1984年(昭和59)にライバル状態であった弘南鉄道が引き受けて転換されました。二つあった黒石駅は弘南鉄道の方に統一されています。 転換時は国鉄時代より好調で、あと一歩で黒字というところまできましたがその後は利用客は減少してしまい1998年(平成10)に廃止されてしまいました( ;∀;) JR奥羽本線の川部駅の所在地が田舎館村にあって弘南鉄道の駅にも田舎館という駅がありますが、田舎館村と言えば元祖田んぼアートとして有名なのではないでしょうか(^ω^) 1993年(平成5)に始まって2012年(平成24)には第二会場が設置されて翌年、付近に田んぼアート見学のための駅も開設されました。そして2016年(平成28)には冬の田んぼアートが始まっていて年々進化しているという印象です。 ちなみに今年2020年の田んぼアートはコロナ禍のために中止となってしまいました。 それからアート繋がりですが、弘南鉄道の田舎館駅の待合室には地元青森県平川市在住のアーティストであるGOMAさんが描いたアートがあるのです。 今年の5月のGWで完成させたとのこと、外から見ると古めかしい駅ですけど待合室に入ると隅から隅までアートが描かれていて驚くのではないでしょうかΣ(・ω・ノ)ノ! 引き受けた黒石線は上手くいかなかったですが、従来あった弘南鉄道の路線は頑張っております。 アートな田舎館が面白そうですね(^^♪
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2020年08月07日 23:48 コメント 6 件 下北交通大畑線②…動態保存と幻の大間線
さて2001年(平成13年)3月をもって廃止となった下北交通大畑線ですが、その後鉄道の趣味を持つ航空機関連会社の社員の集まりの働きかけによって大畑線で走っていたキハ85(旧国鉄キハ22)3両が旧大畑駅で動態保存されることになりました(=゚ω゚)ノ 旧大畑駅舎は下北交通バスの大畑出張所となっており、バスの待合室に使われております。そして構内はそのまま残っており、ここで毎年5月~10月の第三日曜日に大畑線キハ85動態保存会が定期運転会を開いております。でも今年度はコロナの影響で当分開催未定だそうです( ;∀;) 現在の大畑駅周辺は1枚目の写真ようになっております。(駅舎と列車の写真は自前です(=゚ω゚)ノ) 実は大畑線はあのマグロで有名な大間まで建設の計画があったようなんです( ..)φ 下北半島は明治時代日本の国防上重要な地点で軍港があった陸奥湾側の大湊まで1921年(大正10)に鉄道が開業していました。 そして大間にあった海軍の要塞強化に伴う資材運搬用として、むつ市の下北駅から大間までを結ぶ鉄道として計画されたのです。その第1期として開業したのが大畑線(下北~大畑間)でした。 大畑から北の下風呂というところまでも着工して路盤の大半が完成したのですが1943年(昭和18)に戦時中の資材不足のために工事中止となりました。 その後、大間から対岸の北海道函館市の戸井というところまで鉄道による海底トンネルで結ぶ計画もあったのですが、地質的に不適切だったことから現在開業している西側ルートとなって大間線は幻となってしまいました( ;∀;) 現在でも下風呂付近までは所々にアーチ橋等の遺構が残っていて、下北半島北の果てにある下風呂温泉街にあったアーチ橋は整備されて遊歩道となっており駅ホーム風の休憩場には足湯があって観光資源となっています。 3枚目の写真は1991年8月24日に大間に訪問した時のものです。 結局は青函トンネルは津軽半島側からアプローチして完成したものですが、距離が近いということで野辺地から下北通って大間に至り、海底トンネルで函館と結ぶ計画もあったわけです。こちらに決まっていたとしたら、下北半島が今とはまた変わっていたのかもしれません(=゚ω゚)ノ
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2020年08月04日 22:44 コメント 2 件 下北交通大畑線①…本州最北端だった鉄道
青森県の下北半島…… 現在ここを走る鉄道路線は野辺地から分岐して大湊までのJRの大湊線だけとなっております。 かつては大湊の一つ手前である下北駅から下北半島を縦断して津軽海峡側に出て大畑という町まで結ぶ下北交通大畑線という鉄路が存在しておりました(=゚ω゚)ノ 下北交通大畑線 1939年(昭和14)に国鉄大畑線として下北ー大畑間18㎞が開業しました。 乗客の減少等により、1980年に国鉄再建法が成立すると第一次特定地方交通線に指定されました。これは赤字なので国鉄としては引き受けられないから、どうするかはその地域で話し合って決めてくださいという事です。 地方によっては第三セクター会社を設立して鉄道経営を引き継いだり、鉄道を諦めてバス転換をしていました。 大畑線の場合はバス転換になりかけてなりかけていたところ、野辺地ー七戸間の鉄道路線を持つ南部縦貫鉄道が大湊線とセットでの経営ということで手を伸ばしてきました。 その動きをみて下北半島を地盤とする下北バスが自分たちの地盤を脅かされると危機感をいだいて、下北交通と名前を変えて1985年(昭和60)に鉄道路線として大畑線を引き継ぎました。 特定地方交通線に選定された路線で、鉄道経営となったところは第三セクタ―会社設立して運営しているですが、この下北交通はバス会社が鉄道経営を引き継いだ唯一の例でがゴザイマスφ(..) 当然鉄道経営のノウハウは無いのでバス事業で関係のあった京浜急行電鉄の指導を受けていたとのこと。 ですが、その後の経営は厳しくて車両や施設の老朽化も相まって2001年(平成13)に廃止となってしまいました( ;∀;) 僕が訪れたのは1991年8月24日と1994年の4月12日の2回になります。と、いう事は写真の人物は約30年程前の僕でございます(#^.^#) 田名部駅からは観光スポットである恐山に行くバスがあったり、終着の大畑駅では又更に下北半島の先である大間まで行くバスが出ています。 では次回のブログも下北交通大畑線関連の話です、実は大畑駅から大間までも鉄道を作る計画があったのです(=゚ω゚)ノ
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2020年07月31日 23:16 コメント 7 件 聞いたことがありそな、タイトルですな。
このところコロナ感染者がまた増加傾向にあって不安な気持ちが再び芽生えてきている今日この頃ですね(;^ω^) やはり初心にかえって手洗いうがいを忘れないように心がけるしかないのでしょう。 コロナウィルスの影響で大打撃を受けている交通関係、観光業がある中で5月に僕のブログで銚子電鉄の奮闘ぶりを書いたことがありました。そして再度銚子電鉄に関するニュースがありましたので、今回またブログで書いてみることにします(=゚ω゚)ノ さて銚子電鉄はコロナウィルスの影響でかなりの減収になってしまい、ぬれ煎餅等の副業で頑張っています。 「まずい棒」という商品を生み出したり、アパレル業界にも進出したりと鉄道以外の色々な業界に進出したりしました。 そして今回新たな業界に進出したのですが、それがなんと「映画」でございます \(^o^)/ タイトルは「電車を止めるな!」です、何だかよく似たタイトルの映画がありましたよね( *´艸`) そう、低予算ながらも大ヒットした映画「カメラを止めるな!」にあやかっております。銚子(ちょうし)だけに「超C(ちょうしー)級映画」と銘打っているのです(^^)/ この映画の興収は老朽化した変電所の改修に使われるとのことなので映画をヒットさせてその資金を稼ぎたいところでありますね。 物語としては、イベントとして企画された「お化け屋敷電車」で心霊現象を演出していたはずが本当に心霊現象が起こって…… そこから物語が展開していくようです(=゚ω゚)ノ 本当は昨年の夏公開予定だったんですが、更に作り込んで時間をかけた事とコロナ禍の影響で2020年8月末の公開となりました。 取り敢えず現在5ヶ所での上映が決まっているそうですが、上映してくれる映画館を募集しているのだそうです。 (その5ヶ所とは千葉で二ヶ所、あと秋葉原と函館と上越市です。) 興味を抱いた方は「電車を止めるな」のホームページがありますのでチェックしてみて下さいな(=゚ω゚)ノ 今のところ、中部地方で上映する予定がないのが残念ですね… コロナ禍で上映が難しくなる可能性もありますが、愛知県下で上映されるようでしたら見に行ってみたいものです♪ ※なお今回の写真の素材は、全てネットから引用しました(=゚ω゚)ノ
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2020年07月28日 23:52 コメント 9 件 いつの間にか、最古参になってしまった…
以前のブログで名鉄のブルーリボン賞受賞車両として取り上げました車両に6000系というのがありました。 本日はその6000系の話をしてみることにします(=゚ω゚)ノ 6000系というと1976年(昭和51)から運用が始まった名鉄では戦後初と言ってもいい本格的な通勤用の電車でアリマス。 それまで名鉄はライバルがマイカーだったことからゆったり座って行けるということを売りにするために2扉でクロスシート(枕木方向に椅子が並ぶもの)にこだわった電車を運用していました。 ところがオイルショック以降鉄道を利用する人が急増して、2扉クロスシートの電車では対応しきれなくなってきたことから製造されたわけです( ..)φ 本格的な通勤電車といっても、そこは2扉クロスシートにこだわり続けた名鉄です、側面は特急電車を思わせるような連続窓を採用します。 そして車内は窓にカーテンをつけて車端部以外はクロスシートにしています。車内も特急電車を思わせるような雰囲気にしています。 このことが登場時は画期的なものだったということで1977年(昭和52)に通勤電車として初めてのブルーリボン賞を受賞しました\(^o^)/ この電車は1985年(昭和60年)まで増備が続けられたので、例えば連続窓だったのを開閉式に変更したといった色々なバリエーションが存在しています。 この6000系のクロスシートなんですが、乗降がスムーズになるように通路の幅を広くとったためなのかシートの幅が狭くなっております。その上座り心地が良いという印象がありませんでしたね(;^ω^) そんな評判を聞いたのかどうかは知りませんが、1985年ごろからロングシート(線路の方向に席が並ぶもの)に変更されていきました。 この6000系は我が町を通る瀬戸線にもやってきたことがあり、銀色ボディの4000系に統一される前まで活躍しておりました。 現在でも名鉄の色々な線区で活躍してオリマス(=゚ω゚)ノ 登場して今年で44年… 気が付くと名鉄の最古参車両になっていました(・_・) 車体が更新されたものもあるので、まだまだ活躍してくれることでしょう。 ※尚1枚目の写真だけ、カタログから引用しました。
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2020年07月24日 22:38 コメント 1 件 尾張旭駅のむかしといま
僕の住んでいる尾張旭市の中心駅が名鉄瀬戸線尾張旭駅でアリマス(=゚ω゚)ノ 現在の尾張旭駅は橋上駅でホームが2面3線あり、付近に車庫があるため折り返しの電車も設定されていて瀬戸線の中では規模が大きい駅となっております。 周辺にあるのは市役所等の行政施設・公共施設や住宅街といったところでしょうか。 尾張旭駅は1905年(明治38)4月に瀬戸自動車鉄道の開業時に、当時の東春日井郡新居村に設置されたことから「新居」駅として開業しました。 1922年(大正11)4月に「旭新居」駅に改称しました。 1970年(昭和45)12月に尾張旭市制施行されて翌1971年(昭和46)11月に「尾張旭」駅となりました。そして1994年(平成6)10月に現在地に移転して橋上駅化されて、翌1995年(平成7)には急行停車駅に昇格しました。 さて開業時の駅は現在地より100m程名古屋寄りにありまして、昭和に入ってからオシャレな2階建ての駅舎に建て替えられました。当時の瀬戸電気鉄道は沿線の観光地化を目指していたらしく、瀬戸電沿線に尾張三大弘法が建立されたり江戸時代初めごろに築造されたため池である維摩池には池畔にヨーロッパ風の愛宕食堂が営業していて、池にはボートや屋形船が浮かんでいたとのこと(・_・) ちなみに尾張三大弘法とは第一番が小幡緑地公園内に、第二版は良福寺(印場元町)に第三番は退養寺の東の丘にある新居の弘法像です。三ヵ所の中では新居の弘法さんが一番大きいですね。 旭新居の駅舎ですが、尾張旭市制施行された頃に取り壊されてしまいました。この頃僕は幼稚園ぐらいだったと思いますが、かすかにこの駅舎があったことは覚えています。このあと1984年までは駅舎があったところは更地でありホームだけの駅でした。 この旭新居の駅舎を確かめたく、写真を探していたのですがご覧の通り見事見つけることができました(^ω^) 尾張旭には観光地のイメージは無かったので昭和初期の頃は観光地化していたことは意外に感じましたね。 以前、周辺は田んぼて囲まれていた尾張旭駅でしたけど駅も大きくなってガラっと変わりました。 それでも自然に親しむことができて住みやすい尾張旭でございます\(^o^)/
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2020年07月21日 21:48 コメント 18 件 2020年の尾張旭市田んぼアートは…
今年も尾張旭市の田んぼアートの時期がやってきましたよ~(^^)/ ここ数年、この時期に僕のブログで尾張旭市の田んぼアートの作品を紹介してたのですが…… 今年は新型コロナウィルス感染拡大防止のために、2020年(令和2)の田んぼアートは中止になってしまい紹介することができなくなりました( ;∀;) 尾張旭市では、JAあいち尾東が主催となって尾張旭市制40周年である2010年(平成22)から実施しています。 城前町の田んぼが会場となっており、直ぐ近くにある城山公園旭城4階展望室から最もきれいに見えるように設計されています。 田んぼアートは農業保全事業の一環として、田んぼや畑といった農地に目を向けてもらって農業に興味を持ってもらうことを目的としているとのこと。 毎年テーマを決めて、尾張旭イメージキャラクター「あさぴー」を中心としたイラストを描いております。JAあいち尾東による指導・管理のもと、近くの名古屋産業大学の皆さんにご協力をいただいて、市とJAと大学が連携して田植えと稲刈りを実施しています。 2020年度の各地の田んぼアートは実施している所もあるようですが、やはり新型コロナウィルス感染拡大防止のために中止になったりするところもあるようです。ちなみに一番有名な青森県の田舎館村の田んぼアートは今年中止なんだそうです(=_=) 2021年(令和3)は素晴らしい尾張旭市田んぼアートの作品が見ることができるように、コロナに怯えない生活ができることを祈りたいものです(・_・) では今回は2010~2019年の作品を並べてみましたのでご覧になってみてくださいまし(=゚ω゚)ノ
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