パソコン市民講座 プレミア倶楽部
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「柳 秀三」さんのブログ一覧

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  •  2019年05月29日 09:54  コメント 3 件 0863 居続ける代償

    コメダ珈琲で・・・  ① たっぷりアメリカン(ミルク・スプーン要らないです)  ② Aモーニング(バターで)  ③ たまごサラダ と、注文する。 起床してから何も食べていないので、がっついて食べる。 半切りトーストよりもたまごサラダ、ゆで玉子のほうが楽しみ。   ( ̄o ̄) プハーッ! それからおもむろに、パソコン2号を開いてペケペケ始めるのだが、たっぷりあったはずのアメリカンコーヒーが無くなってくる。 「ピンポーン ♪」を押して、追加注文をする。  ① たっぷりブレンド(ミルク・スプーン要らないです)  ② Bモーニング(バターで)  ③ ハムサラダ いつもだと、二発目は、こうなのだが、今日は違った。  ① コメ黒(ミルク・スプーン、モーニングも要らないです)  ( ゚Д゚)っ え、どうした? なぜなら、今朝計った体重が、昨日よりも多かったからだよ!#( ̄o ̄)づ ドンッ  ( ゚Д゚)っ たいして効果ないと思うよ 「ピンポーン ♪」  ① コメ黒(ミルク・スプーン、モーニングも要らないです) 三杯目のコーヒーを注文してしまった。( ̄△ ̄) でも、ミルク・砂糖無しで飲むコメ黒は美味いと思う。 たっぷりアメリカン+Aモーニング+玉子サラダ+コメ黒×2+豆菓子×2=2180円 居続けるための代償(電源・トイレ、込み)である。 コメダ珈琲ったらば、間口が広い。 飛び切り良いわけじゃないけど、間違いがない。 店舗数が多いので、探して入ってしまう。 いや・・・、別に、オチは無い。 柳 秀三

     錦糸町マルイ教室
     柳 秀三 さん
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  •  2019年05月28日 11:13  コメント 5 件 0862 ペケペケパソコン

    毎日ブログのアップロードをする。 と、いつから決めたか、覚えてないが、まあ、なんとか続けられている。 考えていることを話しではなく、文字で表現していく。 大層な言い方だが、そいうことであり、それが楽しい。 一回書いては読み直し、くどかったり、足らなかったりすれば直す。 勢いに任せて書いたものが、直していくうち読みやすくスッキリしたものになっていくのが気持ちがいい。 余裕があれば、顔文字を入れて、印象を柔らかくする。 文字制限を超えてしまうのであれば、どこかをザックリ落とした方が良い。 そんなことが楽しい。 楽しいかどうか・・・、夢中になれる、というほうのが正しいかも知れない。 書く内容は、何かを描写することには長けていないと思うので、思ったことを「グダグダと膨らませ」ていく、そんな感じだろうか。 たまに、「何を書こう」と、ボーッとすることもあるが、たいてい何かしら書き始められる。 書き始めれば、まあ、なんとか500文字ぐらいには「グダグダと膨らませ」られる。 あとは、書きながら、あれもこれもと、自然にダダ漏れしてくる。 洗濯機の槽洗浄のゴミみたいに出てくる。 そういうと、書くことは頭のゴミ掃除みたいなものである。 お、出ましたね、名言 ( ̄ー ̄)b  #( ゚Д゚)っ そうでもない でも、書かないようにしている事柄もある。 それは何だ、と訊かれても、( ̄✕ ̄) 答えない。 言いたいけど、言わない。 訊いて欲しいけど、訊いちゃダメ。 そういや、前回、先週の金曜日だ。 今日と同じように、コメダ珈琲鎌ヶ谷大仏店でパソコン2号のキーをペケペケしていて、キリの良いところでトイレに立つと、俺の斜め後ろの席で、俺よりも年上で70は過ぎていると思われるちょっとお上品そうなご婦人がひとりで、ノートパソコン(たぶん、15型)開いて、やはりペケペケとキーを打っているのに気づいてしまった。 パソコンは富士通だった。 へぇーと思いながらトイレに行き、戻ってきて席に着こうとすると、俺の真後ろの席でやはり、俺よりちょっと上のおっさんがひとりでパソコンをペケペケ。  ( ̄ー ̄) ふぅん ♪ 、と思った。 柳 秀三

     錦糸町マルイ教室
     柳 秀三 さん
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  •  2019年05月27日 18:47  コメント 1 件 0861 タクシー問答

    丸井錦糸町の「COIN SPACE」で「ヴァームウォーター」を飲みながら、パソコン2号で「高浜五郎」の続きを書いていたが、あんまり空腹感を覚えさせてもダメなので、「ヴァームウォーター」が無くなったことだし、1階に降りて「アインズ&トルぺ」で「ヴァームウォーター」と「カロリーメイトブロックメープル味4本入り」を一箱買って、「COIN SPACE」で摂った。 丸井錦糸町を15:50に出て、錦糸町駅まで歩いたが、まあまあ平たんであれば歩ける。 けど、わが家の周りは坂だらけなので、JR総武快速で船橋駅までは行くが、船橋駅からはタクシーにしようと思った。 んでもって、本当は地元の馬込沢駅の駅前のマツモトキヨシで洗濯機の槽洗浄剤を買うつもりだったのに、タクシーで自宅まで帰るとすると寄れないので、どこかにドラッグストアは無いだろうかと、錦糸町駅前まで来てから探し始めた。 すると錦糸町テルミナの地下1階にマツモトキヨシがあるではないか。 階段を使うとまたヤバいので、エレベーターで地下1階に降り、マツキヨブランドのカネヨ石鹸の槽洗浄剤を二本購入。 総武快速16:19の成田空港行に乗って船橋駅まで帰ってきた。 タクシー乗り場でタクシーに乗り、行先を告げ、「いやー、脚痛めちゃって、いつもは電車で帰るんですけどねー」と、年齢では先輩らしい運転手さんにしなくてもいい言い訳などをした。 そんな話をしてしまったので、毎日1万歩歩いていたら痛めたことを話すと・・・ 「そりゃぁ、歩き過ぎですよ」 「おまけに準備運動も何もしないで歩いていて、もう半年以上やってたんです」 「そりゃ、ダメですよ、筋肉温めてからやらないと」 「やっぱ、そのせいですかね」 「そうですよ、1万歩っていいったら相当な距離ですよ、それをいきなり歩いちゃ筋肉だってビックリしますよ」 「そっかぁ、脚痛いのはそのせいかぁ、お医者さんはハッキリ言わないですもんねぇ」 「そりゃそうですよ」 などと、意気投合してしまった。 何とはなしに、なんだろうなー、と思っている脚痛。 これで納得しちゃダメなんだろうけど、納得したがっている俺が居たりする。 ぴろぴろん ♪ 柳 秀三

     錦糸町マルイ教室
     柳 秀三 さん
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  •  2019年05月27日 13:44  コメント 0 件 0860 MOS奮闘記-93

    パソコン市民講座の受講終了。 今日は、「扇子イベント」があるので、俺は二時間で「さよーならー ♪」なのである。 いまは、丸井錦糸町ビル3階「COIN SPACE」でパソコン2号を開いている。 今日の MOS Excel 2013 模擬試験プログラムの結果。  ① 第2回 正答率 98% 経過時間 35:59  ② 第3回 正答率 98% 経過時間 42:12 どちらも、誤答はたった一問だし、理解していないんじゃなくて、凡ミスなのである。 しかし、模擬試験での凡ミス体質は、本番での致命的なミスとなりうる。 資格を早く欲しいのではないので、もっと確実にできるようにしてから受験したい。 できれば、本番も100%でクリアしたいのだ。 なので、もうちょっと粘ろうっと。 インストラクターの前林さんに「プログラムだけやっていると、プログラムを覚えちゃうので、テキストブックも復習してくださいね」と言われたので、素直な俺は「はい ♪」と返事をした。 俺、返事はできるのだよー 。( ̄▽ ̄)b  ( ゚Д゚)っ おい、返事だけじゃなく、やれよ! むむん、やっぱ、左脚ふくらはぎ、痛ーい。 いや、実はそんなに痛くは無いんだけど、この違和感の感じで駅まで歩いて、ホームまで歩いて電車に乗って、乗り換えで歩いて、電車を降りて、そして最後、家までの登り坂は、とてつもなく危険な香り ♪ ( ̄ー ̄) なのよね。  ( ゚Д゚)っ なんか喜んでないか!? ま、そんなんなのだが、13時35分現在、まだ昼飯食ってない。 水分は受講前に購入した明治の「ヴァームウォーター」の残りがあるから、食わなきゃ食わないでも良いかなーと思っているのだが、やっぱちょっと腹減ってきたかなぁ。 と、思ったり思わなかったり・・・。 柳 秀三

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     柳 秀三 さん
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  •  2019年05月27日 09:25  コメント 1 件 0859 ふくらはぎの反乱②

    今日はパソコン市民講座受講日。 朝から暑いのが決定的なので、教室に行くのに今年初めて半袖で家を出た。 教室に文句つけるわけじゃなく、建物の中の空調が必ずしも自分にピッタリとも限らないので、上着はなるべくあった方が良いかなと思う、暑ければ脱げばいいんだし。 そんなんで、ずっと長袖の上着だったのだが、さすがに今朝は上着を着る気になれず、Tシャツに半袖の水色のブラウスシャツとアロハ的なシャツの重ね着である。 そして、地元の東武アーバンパークライン馬込沢駅で電車に乗り、三つ目の終点船橋駅で降りて、JR総武快速に乗り換えるのだが・・・。 また、やっちまった。 東武アーバンパークライン船橋駅に電車が着く。 終点なので、乗っている客は全員降りる。 客が階段に殺到する。 乗っている電車がすぐ発車するわけではないので、ホームに降りないで車両で階段が空くまで待っている。 このときに、座席は空いているのだから、座って待っていればいいのだが、バックパックなので、いちいち降ろすのが面倒くさいというのと、自分の中での強がりで、立ったまま待っていた。 階段が空いたので車両を降り、ゆっくり歩いてゆっくり階段を下りる。 そのとき、いつになく「体、重っ」と思った。 階段を下り切り、改札まで歩いている途中、左脚ふくらはぎに違和感を覚える。 このとき、やっちまったと思った。 先週の木曜日の受講日は、船橋駅に着いてから車両で座席に座って待っていたので、なんともなくJRに乗り換えられたが、今朝は立ったままだったのがいけないんじゃないかと自己分析。 前にもそう思って、「座って待つ方が良い」だの「ストレッチしておく」だの、このブログで書いていながら実行せずにまたこの様だ。 もう、一回でもふくらはぎに「ピキッ!」を感じたら、歩けば歩くほど痛みが増すのは経験済みなので、迷わず北口タクシー乗り場へ行く。 「錦糸町です。船橋で乗って、錦糸町で降りて、四ツ目を右に行ってください」と運転手さんに告げる。 あー、ガッカリである。 柳 秀三

     錦糸町マルイ教室
     柳 秀三 さん
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  •  2019年05月26日 02:18  コメント 1 件 0858 高浜五郎⑧

     高浜五郎が倒れたときに119をコールしてくれた合同陸運の宮川が交通事故で亡くなった。未明の通勤途中、会社の車庫に向かうため単車で国道を走行していて、道路にフラフラ出てきた酔っ払い女を避けて転倒して病院に搬送されたが、もう内臓がダメだった。治療の甲斐なく亡くなった。歳は五郎の二個上だった。五郎が救急搬送されたあと、電話で礼を言ったまま、ついに会うこともなかった。  葬儀に参列した。酒と女が好きでろくろく家に帰らなかった男に、女房子供がいたということに不思議な感じがした。 そして、長く糖尿病を患っていた関内運送の責任者、藤木が亡くなった。   四十を過ぎて経験も無しにトレーラードライバーとして求人に応募してきた五郎を採用し、運転と荷の扱い方を教えたのは藤木だった。五郎は他社も受けていたが、面接のときの藤木のオヤジ然とした風貌を気に入り、関内運送に決めたのだった。  だが、藤木は五郎の求めていた人間ではなかった。五郎は上に立つものに忠実だ。どんなに頑固で無口でもいい、だが、部下を守る岩のような存在でいて欲しかった。しかし、藤木はそうではなかった。女の腐ったようなやつ、と五郎は思った。藤木を陰で「ばかおやじ」と呼ぶようになった。  その藤木が亡くなった。もと同僚たちと藤木の葬儀に参列した。  葬儀の場で、工場長ともすれ違った。五郎は工場長に声を掛けられた。  五郎はまっ正面から工場長の目を見て応えた。 『ご無沙汰しております』  それだけ答えてあとは知らん顔をした。もうまるで関係ない人間である。「ばかおやじ」には良くも悪くもいくつもの思いがある。この「クソ工場長」には何もない、知らない人間だ。  でも、ただ・・・。  不自由な左側を、コイツにだけは見られたくないと、高浜五郎は思った。 柳 秀三 

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  •  2019年05月26日 02:05  コメント 0 件 0857 高浜五郎⑦

     高浜五郎は関内運送の社員であり、関内運送は工場の子会社ではない。工場長に五郎の去就の決定権は無い、五郎も自ら申し出て会社を辞めるつもりもない。では、会社の誰が、俺にクビを告げるんだろう、社長か、藤木か、六田か、五郎は楽しみにしていた。  そんなとき、五郎が「千葉県リハビリテーションセンター」に通っている頃に夫を亡くして一人ぼっちになってしまっていた五郎の伯母が、病院に入院してしまった。  四か月間、気を張ってひとりで夫の相続をやっていたのだが、心が折れたのだろう、脚が痛いと、自分で救急車を呼んだ。  五郎は車を運転できないので電車で毎日伯母のもとへ行った。退院しても自宅には戻りたくないという伯母のために老人ホームを探し、手配していた。そして、老人ホームで伯母の入所の申し込みが完了したその時に、元の配車係、事実上の責任者の藤木から電話があった。 『聞いただろ工場長のこと。悪いな、他を探してくれないか』 『わかりました』  五郎が入社する前年に関内運送の創業の社長が亡くなった。そして、その社長が亡くなる数年前に、将来を嘱望されていた二代目になるはずの息子も亡くなっていた。  社長職を継いだ娘は現場の業務に無関心だった。何もせず、社長という地位にいただけだった。業務は藤木に任せっぱなしだが、でも金を出すときだけは嘴を突っ込んできた。  藤木は寡黙な男だった。荷主の末端であるたった一工場長の言いなりになって社員を守れず、面と向かってクビを言えずに電話で言い渡す、そんな社長と責任者と、もう付き合いたくないし、そんな会社に汲々とする男と思われるのも嫌だった。  まったく抵抗しなかったのは、ドタバタしているので正式な退社を少しでも遅らせたいので譲歩でもあった。もとはと言えば自分自身の健康への管理不足から起きたことなのだから、腹をくくるべきだと五郎は思った。 柳 秀三

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  •  2019年05月26日 01:11  コメント 0 件 0856 高浜五郎⑥

     工場長というのは関内運送が専属で入っている工場の工場長で、関内運送の仕事の99%がこの工場の品物の配達である。もし、五郎がこの工場に出入りできないのなら、ドライバーとしての仕事など無いに等しい。高浜五郎は関内運送に居場所が無くなる。  後日、五郎は会社に顔を出した。 『一度脳出血を起こした人間はまたなる、その人間に仕事を預けられない、うちには入れさせない、って言うんですよ、頭きますよー』  五郎の後輩で、糖尿病の配車係藤木に替わって配車を任された六田が憤慨したように言う。 『俺だって、誰だって、明日どうなるかなんて、わかんねえ!なんでそれがアイツにわかるっつうんだよなあ!』  後輩だが、五郎より10歳も年長のトラックドライバー鈴井は特に工場長のことが嫌いだ。  驚きはしたが、入院中から居場所が無くなることに予感はあった。そして、実を言えばあの工場には戻りたくなかった。運送の素人の工場長が全てを決め、プロである五郎たちや、もうひとつの専属の運送会社である合同陸運のドライバーの言う事を聞かない。ルールを独り決めにする。汗水流す労働は五郎も望むところだが、工場長にはもうウンザリだった。  仲間のドライバーは大好きだったのだが、工場が嫌だった。  しかし、工場に戻りたくないという気持ちは同僚たちには言わないでおいた。  関内運送、合同陸運ともに工場の事務所にデスクを借り、両社の配車係が一日中詰めている。関内運送では配車係藤木の後継者問題があり、いまはもう一番の古株になってしまった五郎の名も挙がってはいたのだが、五郎は事務所に入って工場長と毎日ツラを突き合わせるのは嫌だった。結局、自分からやりたいと言った六田がすでに配車係見習いとなっていた。  工場長の言ったことは絶対であるが、もしも、配車係の交代時機がもう少し後にずれていれば、たとえドライバーとして工場長に拒否をされたとしても、五郎がトレーラーを運転しない配車係としてなら残ることはできたはずだ。しかし、六田が配車係と決まった以上、『お前はどけ俺が配車をやる』とは言えるはずもない。  だから、五郎の失職は決定的と言えた。 柳 秀三 

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  •  2019年05月26日 00:56  コメント 0 件 0855 高浜五郎⑤

     2014年11月13日、高浜五郎は船橋市立リハビリテーション病院を退院した。この先、病院での生活よりも、実生活で体を動かしたほうがリハビリに効果的だということと、入院希望の患者が順番を待っている状態で、病院は早くベッドを空けたいのである。  五郎は引き続き外来通所でリハビリを受けることになるが、歩行のこれ以上の回復は望めないとのことで、主に歩行を診る理学療法は中止され、手の作業療法のみのリハビリとなった。理学療法での入院中の目標の「走ること」は達成されないまま、手の地味で退屈なリハビリだけになった。退院した翌日、五郎は病院へのバス通院の予行演習がてら、以前に利用していたフィットネスジム「ティップネス」へ行き入会した。  毎日の「ティップネス」と週一回程度の「船橋市立リハビリテーション病院」への外来通所と並行して、発症後半年経った2015年3月から、千葉市の「千葉県リハビリテーションセンター」の通所を始めた。 この千葉県リハビリテーションセンターでの目的は自動車運転の制限解除にある。五郎の場合、リハビリをやらずすぐに実地訓練に入った。  センターに自動車運転の施設は無く、坂月にある「千葉県自動車練習所」でセンターの療法士と待ち合わせて、行われる。療法士二人が後部座席に、練習所の教官が助手席に乗り、路上を走行し練習するのだ。運転の様子を療法士と教官が見て、試験を受けるのが適当か判断する。  五郎は左側の空間認識が劣っていた。駐車している車に擦りそうになり、教官にハンドルを取られて直されるということがあった。  何日かの練習走行のあと、試験が実施され、合格と言われた。後日、そのお墨付きを持って、「千葉運転免許センター」に行き、視力検査などを受けたのち職員の面接を以て、自動車の運転を許されることとなった。そして、その報告の電話を勢い込んで会社に入れた。ありがたいことに会社も同僚ドライバーたちも頑張って五郎の席を半年以上も空けてくれていた。これでもとに戻れる。  電話に出た経理・事務の青垣が五郎に予想もしないことを言った。 『工場長がね、高浜さんにはうちの荷物を運ばせないと言っているらしいんですよ』 柳 秀三 

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  •  2019年05月26日 00:37  コメント 0 件 0854 高浜五郎④

     女性理学療法士に、ここが弱いですね、と指さされたのは、左の脇腹である。体幹の奥の筋肉、インナーマッスル(深層筋)が衰えているので歩行が困難になっていると言う。  両の手のひらと膝で四つん這いになり対角の手と脚を前と後ろに水平に伸ばして静止し数をカウントする「四つん這い」、床に足を伸ばして手を胸に抱いて座り腰をひねって前後に進む「尻歩き」、そんなトレーニングをリハビリテーション病院のリハビリルームで毎日続けた。  高浜五郎の運動機能は急速に回復していったが、麻痺は完全には無くならい。「船橋市立リハビリテーション病院」に転院した最初に、脳神経科の担当医から自動車の運転に関する説明を受けた。  リハビリによって体の機能の回復はするが、法により、この病院内での適・不適を判定するテストをパスしないと、退院後の自動車の運転は認められない。それは免許の取り消しとは違う。もしテストにパスできず、それでも運転を望む場合は、ここを退院後、千葉市にある「千葉県リハビリテーションセンター」で運転の訓練を受けて合格して初めて、自動車の運転が認められることになる。そして、その「千葉県リハビリテーションセンター」に通所できるのは脳出血の発症後6ヵ月経過後のことである、という厳しいものだった。  会社の同僚ドライバーたちが週末ごとに見舞いに来て、というより、遊びに来て会社の様子を話していく。  もうすでに一か月以上休んで会社の配車に穴をあけているのだ、ドライバーが10人にも満たない関内運送でこれ以上のやりくりはできない。もし五郎がこのテストにパスしなければ、復帰はさらに半年以上も先ということになる。会社は代わりのドライバーを募集し、そして、五郎は失職する。入院中は無給だが、トラック協会の労働組合に入っていて組合員なので、組合費を払っていれば、入院費が軽減され、治療している間は傷病手当として月給の何割かは出る。でも、失職すればそれさえもお終いだ。  ところが、五郎はそのテストにパスできなかった。  そして「高次脳機能障害」という不名誉な症名をもらった。  思ったより、脳機能の回復は難しそうだった。 柳 秀三

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