錦糸町マルイ教室
柳 秀三 さん
0854 高浜五郎④
2019年05月26日 00:37
女性理学療法士に、ここが弱いですね、と指さされたのは、左の脇腹である。体幹の奥の筋肉、インナーマッスル(深層筋)が衰えているので歩行が困難になっていると言う。
両の手のひらと膝で四つん這いになり対角の手と脚を前と後ろに水平に伸ばして静止し数をカウントする「四つん這い」、床に足を伸ばして手を胸に抱いて座り腰をひねって前後に進む「尻歩き」、そんなトレーニングをリハビリテーション病院のリハビリルームで毎日続けた。
高浜五郎の運動機能は急速に回復していったが、麻痺は完全には無くならい。「船橋市立リハビリテーション病院」に転院した最初に、脳神経科の担当医から自動車の運転に関する説明を受けた。
リハビリによって体の機能の回復はするが、法により、この病院内での適・不適を判定するテストをパスしないと、退院後の自動車の運転は認められない。それは免許の取り消しとは違う。もしテストにパスできず、それでも運転を望む場合は、ここを退院後、千葉市にある「千葉県リハビリテーションセンター」で運転の訓練を受けて合格して初めて、自動車の運転が認められることになる。そして、その「千葉県リハビリテーションセンター」に通所できるのは脳出血の発症後6ヵ月経過後のことである、という厳しいものだった。
会社の同僚ドライバーたちが週末ごとに見舞いに来て、というより、遊びに来て会社の様子を話していく。
もうすでに一か月以上休んで会社の配車に穴をあけているのだ、ドライバーが10人にも満たない関内運送でこれ以上のやりくりはできない。もし五郎がこのテストにパスしなければ、復帰はさらに半年以上も先ということになる。会社は代わりのドライバーを募集し、そして、五郎は失職する。入院中は無給だが、トラック協会の労働組合に入っていて組合員なので、組合費を払っていれば、入院費が軽減され、治療している間は傷病手当として月給の何割かは出る。でも、失職すればそれさえもお終いだ。
ところが、五郎はそのテストにパスできなかった。
そして「高次脳機能障害」という不名誉な症名をもらった。
思ったより、脳機能の回復は難しそうだった。
柳 秀三
両の手のひらと膝で四つん這いになり対角の手と脚を前と後ろに水平に伸ばして静止し数をカウントする「四つん這い」、床に足を伸ばして手を胸に抱いて座り腰をひねって前後に進む「尻歩き」、そんなトレーニングをリハビリテーション病院のリハビリルームで毎日続けた。
高浜五郎の運動機能は急速に回復していったが、麻痺は完全には無くならい。「船橋市立リハビリテーション病院」に転院した最初に、脳神経科の担当医から自動車の運転に関する説明を受けた。
リハビリによって体の機能の回復はするが、法により、この病院内での適・不適を判定するテストをパスしないと、退院後の自動車の運転は認められない。それは免許の取り消しとは違う。もしテストにパスできず、それでも運転を望む場合は、ここを退院後、千葉市にある「千葉県リハビリテーションセンター」で運転の訓練を受けて合格して初めて、自動車の運転が認められることになる。そして、その「千葉県リハビリテーションセンター」に通所できるのは脳出血の発症後6ヵ月経過後のことである、という厳しいものだった。
会社の同僚ドライバーたちが週末ごとに見舞いに来て、というより、遊びに来て会社の様子を話していく。
もうすでに一か月以上休んで会社の配車に穴をあけているのだ、ドライバーが10人にも満たない関内運送でこれ以上のやりくりはできない。もし五郎がこのテストにパスしなければ、復帰はさらに半年以上も先ということになる。会社は代わりのドライバーを募集し、そして、五郎は失職する。入院中は無給だが、トラック協会の労働組合に入っていて組合員なので、組合費を払っていれば、入院費が軽減され、治療している間は傷病手当として月給の何割かは出る。でも、失職すればそれさえもお終いだ。
ところが、五郎はそのテストにパスできなかった。
そして「高次脳機能障害」という不名誉な症名をもらった。
思ったより、脳機能の回復は難しそうだった。
柳 秀三
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