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ライオンキングのつぶやき

 茅ヶ崎教室  lionking さん

ジョン万次郎の陰に隠れた漂流民「続篇6」

 2016年07月25日 06:29
皆さん~お早うございます!! 機嫌よく過ごされていますか!

下田に着いて錨を下すと、合衆国書記官のヒューストンがハリス公使を迎えに来ていた。翌日公使は荷作りを始めたので、彦はミシシッピー号の士官達と上陸し、市場に出かけ士官達の買い物を手伝った。数人の幕府の役人に出会い、髪型や服装が違う「彦」は帰国後始めて日本語を話したそうです。役人達は驚き、アメリカの全ての知識を得たい彼らは酷く興味を彦に持ったようです。(彼の英文自伝より)

彦の継父と兄がたびたび会いに来ていたのを知っていたが、町の人達は誰も2人の事について知らなかったようです。
6月30日ミシシッピー号は下田を出て神奈川港内に入り投錨後、艦長は役人を船室に招き、神奈川に駐在する領事が乗艦している事と江戸条約に明記された通り7月4日を期して開港する件を伝えた。奉行の酒井隠岐守が公使と領事に敬意を表する為に来艦。

合衆国公使は、彦は帰化してアメリカ市民になっているので、アメリカ人として取り扱う様に奉行に要請した。また、酒井隠岐守も要請通りに記録した。

7月21日彦が市役所からの帰り道、住民の一人から呼び止められる。
彦の兄さんが江戸から来て、自分の弟がアメリカから神奈川に帰ったと言う噂を聞いて確かめに来ているとの事を、教えに来てくれたのであった。

その男は「どうです、兄さんの家に出かけますか。それとも、私が兄さんを領事館までお連れしましょうか。」彦は礼を言って、自分で兄の所へ行く旨を伝えて終わっている。
領事に休暇依頼願いを出た所、是非行って来なさいと領事は回答をくれた。心ときめかせて、お兄さんがいる教えられた町を訪ねた。彦にはお兄さんが直ぐに分かった。彦の遭難前にお兄さんは既に大人になっており、少しも変っていなかったからだそうだ。
続きはまたの「続編7」
今日も長々お付き合い頂き有難う御座いました。
素敵なハッピー・マンディーをお過ごし下さい。

写真1: アメリカ連合国最初の国旗(1861年)
写真2: 初代タウンゼント・ハリス公使
写真3: ジョセフ・ヒコ ハマダ
コメント
 6 件
 2016年07月26日 09:06  茅ヶ崎教室  lionking さん
およよんさん お早うございます!

コメント有難う御座いました。
学校教育を受け、カトリックの洗礼も受け名前までも、ジョセフと授かっている。
キリシタンのままでは帰国出来ず、アメリカに帰化する判断を、良くしたものだと思います。
過激派に狙われる時代、帰化して開国後、通訳の仕事をする判断もアッパレと言う事ですね。

ジョン万は幕府に召集され仕事についており「日本の夜明けの道」を進んでいる2人の生き方は大変興味深いです。日米間の交流経験者として、時代こそ違い声援を送りたいです。

雅さんとの件で、気を使わせてしまい申し訳ありません。ブログの切り口改革は難しく、大人として反省しています。
TKS
 2016年07月25日 22:15  イオン吹田教室  およよん さん
lionkingさん今晩!

愈々アメ彦さんが日本に戻った場面ですね。

幕府の役人達は、異国の言葉を話す日本人を初めて見て、本当にビックリしたでしょうね。
3枚目の写真は立派に成長したアメ彦さん、目元の辺りに幼い頃(14歳)の面影がありますね。

何れにしても日本史としてはニッチな部分で、知らない事ばかりです。丸投げせずに、時々
調べながら、漸くついて行っています。(笑)

lionkingさん、雅さんが気分を害されているのではなく、ブログの先輩として敢えて苦言を
呈された事がlionkingさんを傷付けたのではないかと、お優しいお気遣いだと私は理解して
ます。(お節介なおよよんかな?)
 2016年07月25日 15:37  茅ヶ崎教室  lionking さん
雅さん こんにちは!!

確かに雅さんの他にも、気分を害されておられる方もいらっしゃるかと思います。
皆様に対し、無礼のありました段、謹んでお詫び申し上げます。
引っ張り過ぎた件は、いなめません。隠れた漂流民でそんな人がいたのなら、書いて下さいと言われ調子に乗ったのがいけませんでしたね。(大変失礼しました。)

コメントを控える件は、了解致しました。

後2回でケリを付けますので、どうかご容赦下さいますよう、また今後共宜しくお願い申しあげます。

有難う御座いました。
 2016年07月25日 15:35  茅ヶ崎教室  lionking さん
Chinmiさん こんにちは!!

コメント有難う御座いました。

Chinmiさんが書いておられる通り「新聞の父」1864年日本で初めて、日本語による新聞「新聞詩」を横浜で発行した事で知られています。
好評だったが、代金不払いや「海外新聞」と改題したが、26号で廃刊になり寂しいですね。
横浜中華街に碑が建てられております。

彼も余り知られていないが、日本の近代化に貢献された人物ですね。
現在在米日系人だけでも130万人近く生活しており、こんな時代になっているとは浜田彦蔵は知る由もありませんね。

有難う御座いました。
 2016年07月25日 11:23  亀有駅前教室  雅 さん
lionkingさん~ こんにちは (*^^)v

何時もコメント ありがとうございます~
前回の記事も読みました。でもコメントは書いてありません。

初回に書かれた時、私は彦を知りませんでした。と 書きましたね?
それでも数回はコメントを書きましたが、流石に5回6回となると
ネットで書かれてあることを、そのまま此処にコメントとして書かなくては
なりません。 それでは私のコメントでは無くなりますからね・・・

 2016年07月25日 10:50  とうきゅうすすき野教室  chinmi さん
lionkingさん
こんにちは

教室の日本史ではあまり取り上げられない事が多いですが
テレビのドキュメンタリーではそんなことがあったのかって
知らされます。彦もそうです。
彦は母国に戻れて活躍できて良かったですね。
日本に戻りたかったのに望郷の念を抱きながら
異国の地で一生を終えた日本人も多いと聞きますから。
続編、待ってます。



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