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ライオンキングのつぶやき

 茅ヶ崎教室  lionking さん

ジョン万次郎の陰に隠れた漂流民「続編4」

 2016年07月18日 10:15
皆さん~お早うございます!! 
では教室のインストラクター美女より、ハイ!!プレミア倶楽部を開いて「学ぶ」に入り、復習を開いて下さい~との掛け声!!
そうです!!やってきました「復習の時間」では、Window / iPad,行きますよ・・ハイ開きましよう・・・何処かで聞いたフレーズ!・・な~んて!!何時もやられている反動。
冗談はさて置き、「愛しのクレメンタイン」と「雪山賛歌」の違いは理解出来たと思います。

では、本題の浜田彦蔵のお話に入りますね!
余にもジョン万次郎が漂流民として表舞台に出ており、浜田の事はご存じ無いかと!
最初のブログにも書いた通リ、ジョンと入れ替わりに浜田彦蔵がシスコに来ております。
彦蔵は天保8年(1837年)兵庫県播磨町に生まれ、寛永3年(1850)母の死後、船乗りであった義父と船で江戸に向かい、義父と別れた帰路の遠州灘で暴風にあいました。
約50日間の漂流の末、アメリカの商船に救われ、サンフランシスコへ着いたのは翌年14歳の時でした。(ジョン・万次郎は15歳の時にアメリカ)
ここでアメリカ人の父とも言える税関徴収官のサンダースと会った事が、彦の人生を大きく変えております。(ジョン万次郎の場合はアメリカの良識を代表する船長ウイリアム・H・ホイットフィルド=米国東部マサチューセッツ州フェアーヘブン)
両方とも良いアメリカ人に助けられた14歳と15歳で、学校教育も受けさせて貰っている所は、アメリカ人の「偉大さ・寛大さ」で日本の近代化に大きな影響を与えていると言っても過言ではありません。
ペリーが来航した年である寛永6年(1853)、ワシントンで当時の大統領ピーアズと彦は会見する機会を得て、アメリカ大統領とも握手をした初めての日本人でした。
翌年17歳の時に洗礼を受けて、洗礼名のジョセフ・ヒコを使い始めております。安政5年(1858)にアメリアに帰化し、来日を試みますが、幕末の情勢は穏やかではなく、日本に上陸する事なくアメリカに戻っています。またまた、続きは続編で!!
良い一日をお過ごし下さい。

写真1: 1791年レディーワシントン号が紀伊に現れた
写真2: ジョン万やジョセフ・ヒコが居た時のS.F.市役所
写真3: 寛永7年(1854)横浜へ黒船来航
コメント
 7 件
 2016年07月20日 15:11  茅ヶ崎教室  lionking さん
ヨシユキさん
Chintanさん
RINchanさん

パソコン教室勉強中の労働者諸君!!!
使いこなしレッスンの訓練の一環として、茅ケ崎の海に出よう~
サーフ・ボードに乗って、両手の手のひらを一杯に開いてロングボードを前に進めよう・・・
この訓練をする事によって、キーボードの進め方も向上!!(冗談大好きなオジサンです)

皆様の検討を祈ります!!!(頑張ってください、)
 2016年07月19日 09:11  茅ヶ崎教室  lionking さん
およよんさん~ お早うございます!!

今日は暑い中、太極拳の練習甲斐があり、夢遊病患者の様に1万4千歩もさ迷うとは尊敬ものです。・・・・冗談ですよ!・・お疲れ様です。

話せば訳があって、色々なご事情がおありなのでしょうね!!
猿飛佐助の様に2つのブログを飛び回りのコメント、如何に栄養が足りなく、軽いかご理解頂けますか・・ウフフ・!! (大きな脱線です)

墓石にある「浄世夫彦」の講釈が出来て、この上もない喜びを感じております。

義父母の人類愛同様、「人のお役に立てる目標」を邁進されいる貴方様には頭が下がります。

では、今日も良い一日をお過ごし下さい。
有難う御座いました。
 2016年07月18日 23:05  イオン吹田教室  およよん さん
lionkingさん、こんばんわ!

今日は久し振りにPC教室に行ってきました。事情があり、吹田駅周辺で2時間以上も過ごす
羽目に。(笑) 後日報告の予定。

さて、「漂流民4」ですが、又々知らない事ばかりで興味深かったです。
ホント、ジョン万の陰に隠れた「浜田彦蔵」ですね。伺えば、アメリカに帰化した初の日本人、
新聞の父、3人の大統領に謁見等々、どれも皆凄~い事で、偉業ですね。

米国で養父に授けてもらった学業は、彼のその後の人生を決定づける事になります。
ジョン万も含め、養父母の人類愛に感謝ですね。チャンスを活かした彼らも立派ですが。

なぜか、昨夏「龍馬館」で逢ったジョン万も懐かしい。
 2016年07月18日 18:38  茅ヶ崎教室  lionking さん
Chinmiさん こんばんは!!

貴方も同じ事やっておられるのですか。何時も復習で引っ掛ける質問が多く、問題の回答をするまでは多くの時間が掛かってしまいますよ!。
インスト先生に、質問文は日本語ではなく英語に変えてくれれば全問正解できるのに~~
と冗談を言っております。

NHKで取り上げた事があるのですか・・それは見れなくて残念でした。

幕末のわずか50年足らずの期間に関係船舶は10隻以上、生還した漂流民は20名以上と言う数に上がっています。また、半過数瀬戸内海一帯の出身者で占められております。
他は高知県のような太平洋海岸や日本海沿岸の出身者もあります。

外人墓地は気の毒ですね。
 2016年07月18日 17:26  とうきゅうすすき野教室  chinmi さん
lionkingさん
こんにちは

フフフッ、教室の受講が終わると『ハイッ、お気に入りから
プレミア倶楽部に入って復習デス!』・・・私も同じ事言われてます。

もう6年も教室に通ってるとやる事も無くなるかと思ってても
次々と新講座の勧誘があり、なかなか止めさせてもらえません。(T_T)

ところで『新聞の父』は、以前、NHKの『その時、歴史は動いた』で
見た記憶があります。
激動の時代、外国船打払令のかげで日本に戻れなくなった彦蔵が
やっと母国に戻り、日米の橋渡しをして活躍したと・・・。
でも、時の政府は外国人扱いで、外人墓地に眠ってるなんて
なんか哀れです。





 2016年07月18日 15:07  茅ヶ崎教室  lionking さん
雅さん~ こんにちは!!

浜田彦蔵の事はご存じ無かったとの事で、取り上げた甲斐がありました。
見方によっては、ジョン万次郎以上かも知れませんね。

私が脚本を書いて、俳優はトム・クルーズでアメリカで制作をすれば、日本はもとより世界中に配信され、クリント・イーストウッド「硫黄島からの手紙」よりは売れるのではと、「捕らぬ狸の皮算用」を目論んでおり・・・・なんちゃって!!・・(冗談ですよ!!)

幕末から明治初期にかけて、沢山の漂流民がおり、三浦綾子さんが取り上げた「海嶺」上中下3巻も3人の漂流民の事で数奇な運命が待っていたストリーになっていますよ。

まあ、我々は良い時代に生きておりますね。
 2016年07月18日 11:44  亀有駅前教室  雅 さん
lionking さん~ こんにちは (^^♪

曇り空から時折り薄日が差すお天気です。前日までとは違い
蒸し暑く、タイピングの指がべたつきますね。

ジョン万次郎は、殆んどの人が知っているでしょうが、ご指摘のように
私も 浜田彦蔵は知りませんでした。 そこで一寸ネットを覗き「アメ彦」の
通称を教えて貰いました。 これ以上は教えて貰わず、貴方の記事で勉強させてね~

彼もラッキーな人生でしたね。 もし逆の立場で漂流したアメリカ人を同じように
日本人は、教育を受けさせたりしたかしら? 良い人に拾われたのでしょうね・・・
昔の日本は、鎖国で解るように井の中の蛙でしたね。
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