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豐臣 秀吉

 2015年08月23日 22:09
日本が銃社会にならなかったのは豊臣秀吉のおかげだった

豊臣秀吉最大の功績は誰もが歴史の授業で習ったこともある刀狩り令

日本は豊臣秀吉の時代に刀狩が行なわれ、それ以来、武士以外は武器を持つことが許されなかった。

豊臣秀吉の刀狩りに始まったとされる我が国の銃器規制は、江戸幕府にも継承され、明治維新後、法令として体系的に整備されました。
そして、第二次世界大戦後、現在の法体系に整えられることにより、世界でも例を見ない「銃器に縁遠い国」を形成することになり、「安全神話」が生まれました。

アメリカでは遅々として進まない銃規制…

開拓時代のアメリカでは、土地が広すぎて保安官は当てにならず、家族と財産は自分で守るほかなかった。インディアンの襲撃に備えて、誰もが銃で武装していた。このような初期値のちがいが、銃社会と銃のない社会という両極端のナッシュ均衡を生み出したのだ。

そもそも刀狩りって何の為に行われたの?

1588年に、方広寺というお寺に大仏を建築するという名目で、材料にするために刀や鉄砲などの武器を差し出すようにとする法令が出されました。これが刀狩です。しかし実際には、大仏の材料にするのはたてまえで、農民の反乱を抑えるために出されたものとされています。

戦国時代、結集した農民は強かった!!

当事の戦国大名たちは、一揆との戦いで、苦戦することが多かったのです。秀吉も、織田信長の部将として、一揆と戦い、結集した農民の戦う力の強さを、経験していたのです。
秀吉も農民出身ということで、一番農民の怖さを知っていたのかもしれませんね。


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