フェリエ南草津教室
マーボー さん
みんな大好き
2015年07月20日 17:07
「お金」(≧з≦)ノ
日本のお金「円」はいつ生まれた?
私たちが今日本で使っているお金の単位「円」は、明治時代の初頭に決まったものです。
それより前の江戸時代には、時代劇などにもよく出てくる「両(りょう)」や「分(ぶ)」「文(もん)」といった単位が使われていました。硬貨の種類としては、江戸幕府が発行していた金貨(小判など)・銀貨(丁銀、豆板銀など)・銅貨(1文銭など)がありましたが、そのほか全国各地の大名は自分の藩だけで通用する「藩札」という紙幣も発行していました。さらに幕末時代になると外国製の銀貨が大量に流入。このため、明治の初頭には日本のお金の制度は大変混乱していました。
そこで明治政府は、日本全国で利用できる統一したお金の制度作りに着手。1871年(明治4年)5月には「新貨条例」というルールが公布され、「円・銭・厘」という新しい単位が決定。新硬貨の鋳造がスタートしたのです。古いお金を新しいお金に換算するのに便利なように「1両=1円」と決められため、円滑に新しいお金の単位に移行することができたようです。ちなみに当時、アメリカ・ドルの1ドルは、1両金貨と交換されていましたから、円の為替相場は「1ドル=1円」だったことになります。
さて、それではなぜ「円」という呼び名が選ばれたのでしょうか?
理由にはいくつか説があるのですが、「当時、新しいお金の形がすべて円形に統一されたから、名前も“円”になった」……というシンプルな説が最も有力だとされています。江戸時代では大判・小判などはわらじ形で、一分銀・二朱銀といった銀貨は四角形。欧米のようにすべての硬貨を円形にしたのはその頃の日本にとって大きな変化だったのです。
またその頃、外国と貿易するときのお金として「洋円」と呼ばれるメキシコ・ドル銀貨が普及していたため、その名前をとって「円」になったという説もあります。
なお「銭」という単位は、アメリカのお金の単位「セント」の発音をマネして決められたのだそうです。発案者は佐賀藩出身の政治家・大隈重信だと言われています。
日本のお金「円」はいつ生まれた?
私たちが今日本で使っているお金の単位「円」は、明治時代の初頭に決まったものです。
それより前の江戸時代には、時代劇などにもよく出てくる「両(りょう)」や「分(ぶ)」「文(もん)」といった単位が使われていました。硬貨の種類としては、江戸幕府が発行していた金貨(小判など)・銀貨(丁銀、豆板銀など)・銅貨(1文銭など)がありましたが、そのほか全国各地の大名は自分の藩だけで通用する「藩札」という紙幣も発行していました。さらに幕末時代になると外国製の銀貨が大量に流入。このため、明治の初頭には日本のお金の制度は大変混乱していました。
そこで明治政府は、日本全国で利用できる統一したお金の制度作りに着手。1871年(明治4年)5月には「新貨条例」というルールが公布され、「円・銭・厘」という新しい単位が決定。新硬貨の鋳造がスタートしたのです。古いお金を新しいお金に換算するのに便利なように「1両=1円」と決められため、円滑に新しいお金の単位に移行することができたようです。ちなみに当時、アメリカ・ドルの1ドルは、1両金貨と交換されていましたから、円の為替相場は「1ドル=1円」だったことになります。
さて、それではなぜ「円」という呼び名が選ばれたのでしょうか?
理由にはいくつか説があるのですが、「当時、新しいお金の形がすべて円形に統一されたから、名前も“円”になった」……というシンプルな説が最も有力だとされています。江戸時代では大判・小判などはわらじ形で、一分銀・二朱銀といった銀貨は四角形。欧米のようにすべての硬貨を円形にしたのはその頃の日本にとって大きな変化だったのです。
またその頃、外国と貿易するときのお金として「洋円」と呼ばれるメキシコ・ドル銀貨が普及していたため、その名前をとって「円」になったという説もあります。
なお「銭」という単位は、アメリカのお金の単位「セント」の発音をマネして決められたのだそうです。発案者は佐賀藩出身の政治家・大隈重信だと言われています。
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