メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
秘境駅⑪
2015年04月24日 22:30
引き続き南海高野線の秘境駅を紹介しましょう。
今回の駅は終点極楽橋駅の一つ手前の「紀伊神谷駅」です(=゚ω゚)ノ
紀伊神谷駅は高野山電気鉄道当時の1928年(昭和3)6月、高野下駅から当駅まで開通しました。当時の駅名は地名の「神谷」。1年間終着駅をつとめていたことになります。
ちなみに駅の住所は、和歌山県伊都郡高野町大字神谷でございます。
乗降客は南海電鉄全ての駅の中で最下位らしいです。
この駅周辺にも集落は無く、林に囲まれた「秘境駅」です。
この木造駅舎がなんともいえない雰囲気ですね(((o(*゚▽゚*)o)))
秘境駅ですが、駅員さんが在中しております。この駅も自動改札機がありますが作動しておらず、ICカードで乗車した僕は出札窓口で処理してもらいました。以前は窓口で切符を販売していたようですが、今では整理券を配布する形をとっているようです。
駅員さんは単線の高野線が列車交換するための監視要員みたいな役目が主な仕事だと思われます。
神谷は日本最後の仇討があった地としても知られているそうです。1871年(明治4)2月に播州赤穂藩士の村上兄弟4人らが父・真輔の仇である同藩の西川一派7人を神谷の辻で待ち受けて本懐を遂げたといわれています。
色々と調べてみると、この駅からかなり登り坂を歩いていくと集落があるようです。電車が開通する前は、高野山参りに行く人達のための宿場町だったみたいです。
大正時代は16軒の宿があったとのこと。
この日は雨が降ったり止んだりのあいにくの空模様だったので、駅の周辺を散策(=゚ω゚)ノ
駅舎内のベンチに座り、鳥の鳴き声と水の流れる音を聞きながら橋本駅で購入した柿の葉寿司を食べて秘境駅を堪能しておりました。
都会の雑踏を忘れることができそうな駅でございます。
また訪れてみたいものです。その時は神谷の集落まで歩いてみたい(#^.^#)
そして次回も、南海高野線の秘境駅の話になります_φ(・_・
今回の駅は終点極楽橋駅の一つ手前の「紀伊神谷駅」です(=゚ω゚)ノ
紀伊神谷駅は高野山電気鉄道当時の1928年(昭和3)6月、高野下駅から当駅まで開通しました。当時の駅名は地名の「神谷」。1年間終着駅をつとめていたことになります。
ちなみに駅の住所は、和歌山県伊都郡高野町大字神谷でございます。
乗降客は南海電鉄全ての駅の中で最下位らしいです。
この駅周辺にも集落は無く、林に囲まれた「秘境駅」です。
この木造駅舎がなんともいえない雰囲気ですね(((o(*゚▽゚*)o)))
秘境駅ですが、駅員さんが在中しております。この駅も自動改札機がありますが作動しておらず、ICカードで乗車した僕は出札窓口で処理してもらいました。以前は窓口で切符を販売していたようですが、今では整理券を配布する形をとっているようです。
駅員さんは単線の高野線が列車交換するための監視要員みたいな役目が主な仕事だと思われます。
神谷は日本最後の仇討があった地としても知られているそうです。1871年(明治4)2月に播州赤穂藩士の村上兄弟4人らが父・真輔の仇である同藩の西川一派7人を神谷の辻で待ち受けて本懐を遂げたといわれています。
色々と調べてみると、この駅からかなり登り坂を歩いていくと集落があるようです。電車が開通する前は、高野山参りに行く人達のための宿場町だったみたいです。
大正時代は16軒の宿があったとのこと。
この日は雨が降ったり止んだりのあいにくの空模様だったので、駅の周辺を散策(=゚ω゚)ノ
駅舎内のベンチに座り、鳥の鳴き声と水の流れる音を聞きながら橋本駅で購入した柿の葉寿司を食べて秘境駅を堪能しておりました。
都会の雑踏を忘れることができそうな駅でございます。
また訪れてみたいものです。その時は神谷の集落まで歩いてみたい(#^.^#)
そして次回も、南海高野線の秘境駅の話になります_φ(・_・
