メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
渥美線 渥美半島と外界をつなぐ鉄路の物語
2015年01月20日 23:13
今日のブログイベントのキーワードは「寒い」(=゚ω゚)ノ
そう言えば、この日も寒かったなぁ(>_<)
豊橋鉄道渥美線が開業して90周年を記念して、渥美半島の田原市にある田原市博物館にて2/1(日)まで開催中の企画展「渥美線 渥美半島と外界をつなぐ鉄路の物語」を見に行きました。
場所は渥美線の終着駅三河田原駅から歩いて15分程のところです。
2枚目のコラージュが田原市博物館で田原城跡の一画にあります。
中に入ると貴重な写真や資料の数々があって、渥美線の歴史がよくわかるようになっています。
デビュー当初は1枚目の写真、左側の電車が走っていました。渥美線は路面電車の扱いだったようですね。そう言えば、豊橋市内を走る路面電車線は「東田本線」と本線を名乗っています。鉄道線の方が「渥美本線」と名乗らないのはこのためかとふと思いました。
そして聞き取りを元にして当時の風景を絵で再現したものがあったり、1944年まで終着駅だった黒川原駅を再現したジオラマというのもありました。
そして伊良湖岬までの延長計画の資料も展示されていました。
豊橋鉄道の前身である渥美電鉄が伊良湖岬の手前である福江という町まで延伸する計画だったのが実現に至らず、その後陸軍の演習場が伊良湖岬にあったことから国の方で伊良湖岬まで延伸する計画を立て、実際にある程度工事が進んだそうです。
しかし太平洋戦争の激化で中止になったらしいです_φ(・_・
説明書きで渥美線が伊良湖岬まで延伸されていたらどうなっていたかを思い浮かべてみて下さいとありました…………
きっと今みたいな通勤通学路線ではなく、バリバリの観光路線になっていたのではないかと思いました。名鉄で言えばパノラマカーのような看板電車が走り、JR豊橋駅と繋がって乗り入れる電車もあったりしてと想像してしまいました(#^.^#)
3枚目のコラージュは開業時の三河田原駅と現在の三河田原駅です。2013年に安藤忠雄氏の設計でできたできたてホヤホヤ(=゚ω゚)ノ
ムチャムチャ立派な駅になっていてビックリ!
これからも新たな歴史を刻んでいく渥美線ですね(^ω^)
そう言えば、この日も寒かったなぁ(>_<)
豊橋鉄道渥美線が開業して90周年を記念して、渥美半島の田原市にある田原市博物館にて2/1(日)まで開催中の企画展「渥美線 渥美半島と外界をつなぐ鉄路の物語」を見に行きました。
場所は渥美線の終着駅三河田原駅から歩いて15分程のところです。
2枚目のコラージュが田原市博物館で田原城跡の一画にあります。
中に入ると貴重な写真や資料の数々があって、渥美線の歴史がよくわかるようになっています。
デビュー当初は1枚目の写真、左側の電車が走っていました。渥美線は路面電車の扱いだったようですね。そう言えば、豊橋市内を走る路面電車線は「東田本線」と本線を名乗っています。鉄道線の方が「渥美本線」と名乗らないのはこのためかとふと思いました。
そして聞き取りを元にして当時の風景を絵で再現したものがあったり、1944年まで終着駅だった黒川原駅を再現したジオラマというのもありました。
そして伊良湖岬までの延長計画の資料も展示されていました。
豊橋鉄道の前身である渥美電鉄が伊良湖岬の手前である福江という町まで延伸する計画だったのが実現に至らず、その後陸軍の演習場が伊良湖岬にあったことから国の方で伊良湖岬まで延伸する計画を立て、実際にある程度工事が進んだそうです。
しかし太平洋戦争の激化で中止になったらしいです_φ(・_・
説明書きで渥美線が伊良湖岬まで延伸されていたらどうなっていたかを思い浮かべてみて下さいとありました…………
きっと今みたいな通勤通学路線ではなく、バリバリの観光路線になっていたのではないかと思いました。名鉄で言えばパノラマカーのような看板電車が走り、JR豊橋駅と繋がって乗り入れる電車もあったりしてと想像してしまいました(#^.^#)
3枚目のコラージュは開業時の三河田原駅と現在の三河田原駅です。2013年に安藤忠雄氏の設計でできたできたてホヤホヤ(=゚ω゚)ノ
ムチャムチャ立派な駅になっていてビックリ!
これからも新たな歴史を刻んでいく渥美線ですね(^ω^)
