メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
名鉄線の廃線の思い出……美濃町線①
2020年05月05日 21:01
名鉄の岐阜地区600V線区と言われた地域で、美濃町線という岐阜市の中心地から刃物の町関市や、和紙で有名な美濃市を結ぶ約24kmの路面電車の路線がかつてありました(=゚ω゚)ノ
美濃町線は美濃電気軌道の手により1911年(明治44)2月に神田町ー上有知(こうずち)間が開通したのが始まりです。神田町とは現在の岐阜市の柳ケ瀬になります。
そして1911年4月に上有知町が美濃町への変更に伴って、駅名が「美濃町」に改称されました。1930年(昭和5)に美濃電気軌道は名古屋鉄道と合併しました。
1950年(昭和25)には岐阜柳ケ瀬だった起点を徹明町に変更しました。その後美濃町が1954年(昭和29)に市制施行に伴って終点を美濃に改称しました。
1970年(昭和45)競輪場前駅から各務ヶ原線の田神駅まで新線を設けて新岐阜駅までの直通運転が開始されました。
しかしながら乗客減少により、1999年(平成11)に長良川鉄道との並行部分である新関ー美濃間が廃止されました。その際に名鉄の新関駅と長良川鉄道の関駅とは少し離れていたので、そこまで乗り入れる新線を作って名鉄の関駅が設置されました。
その後も利用客は減少し、結局は2005年(平成17)に残った路線も全て廃止となってしまいました( ;∀;)
本日の添付写真
1枚目……Wordで美濃町線の路線図を作ってみました(=゚ω゚)ノ
2枚目……新関駅舎と関駅です。関駅は待合室があって、平面に線が引かれたものです。暗くてわかりづらいですが、この奥の方に長良川鉄道の関駅があります。
特徴のある電車が止まってますが、この電車の紹介は次回のブログでします。
新関駅舎の現在は解体されて住宅街になっているようで、駅があった形跡が無いようです。
3枚目……1999年まで終着駅だった美濃駅です。実は美濃駅は3回移転しており、この駅舎は1923年(大正12)にできた3代目となります。
現在この駅とホームは保存されていて、かつてのホームには美濃町線を走っていた車両が保存されています。
次回は車両について紹介しましょう(=゚ω゚)ノ
美濃町線は美濃電気軌道の手により1911年(明治44)2月に神田町ー上有知(こうずち)間が開通したのが始まりです。神田町とは現在の岐阜市の柳ケ瀬になります。
そして1911年4月に上有知町が美濃町への変更に伴って、駅名が「美濃町」に改称されました。1930年(昭和5)に美濃電気軌道は名古屋鉄道と合併しました。
1950年(昭和25)には岐阜柳ケ瀬だった起点を徹明町に変更しました。その後美濃町が1954年(昭和29)に市制施行に伴って終点を美濃に改称しました。
1970年(昭和45)競輪場前駅から各務ヶ原線の田神駅まで新線を設けて新岐阜駅までの直通運転が開始されました。
しかしながら乗客減少により、1999年(平成11)に長良川鉄道との並行部分である新関ー美濃間が廃止されました。その際に名鉄の新関駅と長良川鉄道の関駅とは少し離れていたので、そこまで乗り入れる新線を作って名鉄の関駅が設置されました。
その後も利用客は減少し、結局は2005年(平成17)に残った路線も全て廃止となってしまいました( ;∀;)
本日の添付写真
1枚目……Wordで美濃町線の路線図を作ってみました(=゚ω゚)ノ
2枚目……新関駅舎と関駅です。関駅は待合室があって、平面に線が引かれたものです。暗くてわかりづらいですが、この奥の方に長良川鉄道の関駅があります。
特徴のある電車が止まってますが、この電車の紹介は次回のブログでします。
新関駅舎の現在は解体されて住宅街になっているようで、駅があった形跡が無いようです。
3枚目……1999年まで終着駅だった美濃駅です。実は美濃駅は3回移転しており、この駅舎は1923年(大正12)にできた3代目となります。
現在この駅とホームは保存されていて、かつてのホームには美濃町線を走っていた車両が保存されています。
次回は車両について紹介しましょう(=゚ω゚)ノ
