メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
昔の写真がよみがえった ぱーとつー♪
2020年02月11日 22:12
さて今回は、前回のブログの話の続編みたいになります!(^^)!
スキャナーを使う講座を受けてから、そう言えば我が家にあるプリンターにスキャンの機能があることを思い出しました(複合機というやつですね。)
書類のスキャンはしたことがあるのですが、紙焼き写真も上手くできるのだろうかと色々といじってみました_φ(・_・
紙焼き写真も上手くスキャンすることができました、フィルムをスキャンする機能はないのでフイルムはできませんでした。
そこで40年ほど前の尾張旭駅の写真が出てきたので家のプリンターでスキャンをして、それから現在の様子の写真も撮影してコラージュ写真を作ってみました。
それが2枚目と3枚目の写真です(=゚ω゚)ノ
尾張旭駅は……
1905年(明治38)に瀬戸電気鉄道により瀬戸ー矢田間の開通時に開業、当時は東春日井郡新居村という住所だったので駅名は「新居」で、1922年(大正11)「旭新居」という駅名になりました。
1970年(昭和45)に尾張旭市となり、翌年の1971年(昭和46)に駅名が「尾張旭」となりました。
そして1994年(平成6)に瀬戸寄りに100mほど移動して橋上駅化され、立派な駅前広場も作られて現在にいたります!(^^)!
写真に日付が入っていないのはテキストで撮影年をいれ、現在の写真はできるだけ見つけた写真と同じ位置で撮影するようにしました。以前の尾張旭駅はとても長閑であったことが垣間見えると思いマス。
1994年(平成6)に100m程移設しているので、写真で見ていただいた通り駅があった形跡は全く残っていません。
昔の写真は駅のホームで撮影していて、現在はそこより低い位置の撮影となるので感じは変わるかもしれませんね。
そのなかでも2枚目のコラージュ写真の駅舎の写真はよく見ると排水の溝の位置が変わってないというのもあったりします。
あと3枚目のコラージュ写真の2枚組のほうですが、1978年の方の電車の後ろの建物は約40年ほど前の尾張旭市役所です。そして2020年2月の写真も電車の後ろの建物は増築された尾張旭市役所でございます。
昔の写真を見ると、現在はどうなっているのかと考えたことがありますね。
それを追う旅をしてみるのも面白いかもしれません!(^^)!
スキャナーを使う講座を受けてから、そう言えば我が家にあるプリンターにスキャンの機能があることを思い出しました(複合機というやつですね。)
書類のスキャンはしたことがあるのですが、紙焼き写真も上手くできるのだろうかと色々といじってみました_φ(・_・
紙焼き写真も上手くスキャンすることができました、フィルムをスキャンする機能はないのでフイルムはできませんでした。
そこで40年ほど前の尾張旭駅の写真が出てきたので家のプリンターでスキャンをして、それから現在の様子の写真も撮影してコラージュ写真を作ってみました。
それが2枚目と3枚目の写真です(=゚ω゚)ノ
尾張旭駅は……
1905年(明治38)に瀬戸電気鉄道により瀬戸ー矢田間の開通時に開業、当時は東春日井郡新居村という住所だったので駅名は「新居」で、1922年(大正11)「旭新居」という駅名になりました。
1970年(昭和45)に尾張旭市となり、翌年の1971年(昭和46)に駅名が「尾張旭」となりました。
そして1994年(平成6)に瀬戸寄りに100mほど移動して橋上駅化され、立派な駅前広場も作られて現在にいたります!(^^)!
写真に日付が入っていないのはテキストで撮影年をいれ、現在の写真はできるだけ見つけた写真と同じ位置で撮影するようにしました。以前の尾張旭駅はとても長閑であったことが垣間見えると思いマス。
1994年(平成6)に100m程移設しているので、写真で見ていただいた通り駅があった形跡は全く残っていません。
昔の写真は駅のホームで撮影していて、現在はそこより低い位置の撮影となるので感じは変わるかもしれませんね。
そのなかでも2枚目のコラージュ写真の駅舎の写真はよく見ると排水の溝の位置が変わってないというのもあったりします。
あと3枚目のコラージュ写真の2枚組のほうですが、1978年の方の電車の後ろの建物は約40年ほど前の尾張旭市役所です。そして2020年2月の写真も電車の後ろの建物は増築された尾張旭市役所でございます。
昔の写真を見ると、現在はどうなっているのかと考えたことがありますね。
それを追う旅をしてみるのも面白いかもしれません!(^^)!
