茅ヶ崎教室
lionking さん
隠れた漂流民「続編7」
2016年07月26日 09:24



皆さん~お早うございます!!
続篇は血の繋がった2人兄弟の兄ちゃんとの対面からですね!!
彦の着物も、物腰も、風采も、酷く変わってしまっており分らなかったようです。
兄ちゃんは苦しさと、うさん臭さとを顔に浮かべて、気の毒にも彦を見つめたまま立っていた。ひよとすると自分の弟ではないのかも知れぬぞ、と思っていたようである。彦は兄ちゃんに一礼して、話の口火を切った。「継父さんは、今どちらですか」「叔母さんのだれそれは元気ですか」「叔父の何兵衛さんは、隣の何衛門はまだ生きて達者ですか」こうした質問で兄はやっと、自分の弟に間違いないと納得してくれた。微笑みが兄の顔に広がり、間違えなく自分の弟だと思えるようになって来ると、兄はわっと泣き出し、長い年月の後に二人が再び会えた喜びに、大粒の涙が頬を流れ落ちた。(書いていて自分でも泣けて来て・・・困ったものですよ!!)
彦は兄さんを領事館に案内し領事に紹介、握手の手を差し出されて、恐れをなしてしまったが、習わしでお辞儀とするのと同じだとの言葉で理解した。
夕食で出てくる料理は食べなれず大変だったようだ。領事から外国紙幣や(銀貨・銅貨)新聞や絵画を土産に貰い、乗って来た仕事の船が停泊している品川から播磨へ戻って行った。
1860年遺米使節団77名がワシントンにおいて批准書の交換があり、アメリカのポーハタン号で向かう。
日本近海を測量中、嵐の為に船を失ったブルックス船長が咸臨丸に同乗して帰国する旨の連絡と、船長より彦にジョン万次郎が同行する旨の連絡があった。その時にジョンの英語と日本語は、どの位出来るかも聞かれた。始めて漂流民経験者二人は合い、30分程話をした記録がブルックス・メモにあり、英語と日本語は完璧な旨も伝わっていた。
(余談)幕府はペリーとの交渉の際もジョン・万次郎を通訳として使う事が検討されたが、彼は日本語の書き言葉が十分でない上、アメリカ側に着くのではと疑われて通訳を降ろされている。どうもこの辺はオランダ通訳達のやっかみがあったようだ。
お付き合い頂きましたが、次回で完結になります。
有難う御座いました。
写真1: ペリー浦賀来航図
写真2: アメリカ人久里浜上陸紅軍
写真3: 左から伊藤博文・桂小五郎・ベッテル・ヒコ
続篇は血の繋がった2人兄弟の兄ちゃんとの対面からですね!!
彦の着物も、物腰も、風采も、酷く変わってしまっており分らなかったようです。
兄ちゃんは苦しさと、うさん臭さとを顔に浮かべて、気の毒にも彦を見つめたまま立っていた。ひよとすると自分の弟ではないのかも知れぬぞ、と思っていたようである。彦は兄ちゃんに一礼して、話の口火を切った。「継父さんは、今どちらですか」「叔母さんのだれそれは元気ですか」「叔父の何兵衛さんは、隣の何衛門はまだ生きて達者ですか」こうした質問で兄はやっと、自分の弟に間違いないと納得してくれた。微笑みが兄の顔に広がり、間違えなく自分の弟だと思えるようになって来ると、兄はわっと泣き出し、長い年月の後に二人が再び会えた喜びに、大粒の涙が頬を流れ落ちた。(書いていて自分でも泣けて来て・・・困ったものですよ!!)
彦は兄さんを領事館に案内し領事に紹介、握手の手を差し出されて、恐れをなしてしまったが、習わしでお辞儀とするのと同じだとの言葉で理解した。
夕食で出てくる料理は食べなれず大変だったようだ。領事から外国紙幣や(銀貨・銅貨)新聞や絵画を土産に貰い、乗って来た仕事の船が停泊している品川から播磨へ戻って行った。
1860年遺米使節団77名がワシントンにおいて批准書の交換があり、アメリカのポーハタン号で向かう。
日本近海を測量中、嵐の為に船を失ったブルックス船長が咸臨丸に同乗して帰国する旨の連絡と、船長より彦にジョン万次郎が同行する旨の連絡があった。その時にジョンの英語と日本語は、どの位出来るかも聞かれた。始めて漂流民経験者二人は合い、30分程話をした記録がブルックス・メモにあり、英語と日本語は完璧な旨も伝わっていた。
(余談)幕府はペリーとの交渉の際もジョン・万次郎を通訳として使う事が検討されたが、彼は日本語の書き言葉が十分でない上、アメリカ側に着くのではと疑われて通訳を降ろされている。どうもこの辺はオランダ通訳達のやっかみがあったようだ。
お付き合い頂きましたが、次回で完結になります。
有難う御座いました。
写真1: ペリー浦賀来航図
写真2: アメリカ人久里浜上陸紅軍
写真3: 左から伊藤博文・桂小五郎・ベッテル・ヒコ
およよんさん 今晩は!!!
完結編を覗かれて、羽衣伝説の様に「天女が舞い降りた」コメント有難う御座ました。
広重の「富士三十六景駿河三保松原」は伝説の舞台で「極楽」に思えるかも・・・
「風と共に去りぬ」学校帰りに行った映画館の下りは・・・完結編のChinmiコメントと同じ事を書いておられますね。
「親の気持ち子知らず」の時代があったようで、乙女のドキドキを味わはれたのですね。
もしチャンスがあれば、三浦綾子さんの単行本「海嶺=かいれい」上中下を見て下さい。
彼女も良く調べて書いた、また違った実存の漂流民でジョン万や彦と同じ時代。読んでいてぐいぐい引き込まれます。
有難う御座いました。
完結編を覗かれて、羽衣伝説の様に「天女が舞い降りた」コメント有難う御座ました。
広重の「富士三十六景駿河三保松原」は伝説の舞台で「極楽」に思えるかも・・・
「風と共に去りぬ」学校帰りに行った映画館の下りは・・・完結編のChinmiコメントと同じ事を書いておられますね。
「親の気持ち子知らず」の時代があったようで、乙女のドキドキを味わはれたのですね。
もしチャンスがあれば、三浦綾子さんの単行本「海嶺=かいれい」上中下を見て下さい。
彼女も良く調べて書いた、また違った実存の漂流民でジョン万や彦と同じ時代。読んでいてぐいぐい引き込まれます。
有難う御座いました。
lionkingさん、おはようございます。
ボヤボヤしてて、先に「完結編」を観て来ました。
そこには書けなかったのですが、「風と共に去りぬ」は大好きな映画の一つです。
高校生の頃、学校帰りに観た映画、タラの街が焼け落ちる寸前に、スカーレット達を乗せた
馬車をバトラーが必死に引っ張って通り抜ける場面が、今もこの目に焼き付いています。
あの頃の興奮が蘇ります。映画ってホントに良いですね! (チョット脱線しました。)
lionkingさんのお蔭で、日本史(幕末~明治)が更に好きになりました。
時々は自分自身の手で調べて、知識を深める事の大切さも知りました。
ありがとうございました。
ボヤボヤしてて、先に「完結編」を観て来ました。
そこには書けなかったのですが、「風と共に去りぬ」は大好きな映画の一つです。
高校生の頃、学校帰りに観た映画、タラの街が焼け落ちる寸前に、スカーレット達を乗せた
馬車をバトラーが必死に引っ張って通り抜ける場面が、今もこの目に焼き付いています。
あの頃の興奮が蘇ります。映画ってホントに良いですね! (チョット脱線しました。)
lionkingさんのお蔭で、日本史(幕末~明治)が更に好きになりました。
時々は自分自身の手で調べて、知識を深める事の大切さも知りました。
ありがとうございました。
Chinmiさん お早うございます!!
何時もコメント有難う御座います。
歴史に埋もれた人や里帰りした青い目の人形等々、NHKのドキュメンタリー番組は私も好きで、色々な角度からの情報提供をしてくれ、流石公共放送局ですね。アメリカでも、日本人キャスターが英語で説明する国際放送を見ていました。
彦が江戸時代に英語で書いた自伝「アメリカ彦蔵自伝」を訳した、東大文学部卒の中川先生・山口先生とは米国でお会いして話した事があります。
ブログに関するChinmiさんのご高察、真摯に受け止め感謝申し上げます。
有難う御座いました。
今日も良い一日をお過ごし下さい。
何時もコメント有難う御座います。
歴史に埋もれた人や里帰りした青い目の人形等々、NHKのドキュメンタリー番組は私も好きで、色々な角度からの情報提供をしてくれ、流石公共放送局ですね。アメリカでも、日本人キャスターが英語で説明する国際放送を見ていました。
彦が江戸時代に英語で書いた自伝「アメリカ彦蔵自伝」を訳した、東大文学部卒の中川先生・山口先生とは米国でお会いして話した事があります。
ブログに関するChinmiさんのご高察、真摯に受け止め感謝申し上げます。
有難う御座いました。
今日も良い一日をお過ごし下さい。
lionkingさん
こんばんは
私は教科書に乗ってない歴史の裏側には興味あります。
ユダヤ人を助けた杉原千畝とか、ポーランドの人々を
シベリアから敦賀経由で助けた日本人。青い目の人形が
アメリカからお里帰りした話。NHKのドキュメンタリー番組は
よく見て来ました。だからヒコさんも同様。
ところで、好奇心の強い私メは
グーグルマップで中華街の新聞の碑を確認。中華学校の横。
私はブログに関しては他人を中傷したり、
過激思想を扇動するような内容でなければ決まりは無いと
思ってます。私は元々興味のあるブログしか見ないし、
コメントもしません。ブログは自由でいいのでは・・・。
こんばんは
私は教科書に乗ってない歴史の裏側には興味あります。
ユダヤ人を助けた杉原千畝とか、ポーランドの人々を
シベリアから敦賀経由で助けた日本人。青い目の人形が
アメリカからお里帰りした話。NHKのドキュメンタリー番組は
よく見て来ました。だからヒコさんも同様。
ところで、好奇心の強い私メは
グーグルマップで中華街の新聞の碑を確認。中華学校の横。
私はブログに関しては他人を中傷したり、
過激思想を扇動するような内容でなければ決まりは無いと
思ってます。私は元々興味のあるブログしか見ないし、
コメントもしません。ブログは自由でいいのでは・・・。
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