メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
文学作品の舞台
2014年03月17日 17:54
今日は北海道にいた時に文学作品の舞台に行った話を………
場所は旭川から北の稚内へ向かう宗谷本線の普通列車に乗ること約40分。
その場所とは、”塩狩(しおかり)”というところです。
自然いっぱいの静かなところですが、この塩狩峠でむかし鉄道事故がありました。
1909年(明治42年)2月28日。汽車が塩狩峠のところにさしかかったところ、客車の連結器がはずれて暴走しました。そこに乗り合わせていた鉄道員の長野政雄という人が身を挺して客車を止めました。この人は客車の下敷きになって殉職しました。
駅から数百mのところにこの方の石碑があります。
そしてこの鉄道事故をもとに、三浦綾子さんが小説”塩狩峠”を書いていますね。
その縁もあってなのか、近くに三浦綾子さんの旧宅を再現した塩狩峠記念館があります(3枚目の写真です)ファンの方が結構訪れるみたい。
開館してるのは4月から11月までです。
中は書斎が再現されてたり、今までの作品を読むことができたり、長野政雄さんにまつわる資料が展示されていたりしています。
僕はここから旭川に戻ったら、早速本屋で”塩狩峠”を買って読んでみました_φ(・_・
小説では永野信夫という主人公であり、子供の頃の生い立ちから始まって、事故のことまでを描いています。
これは映画化されてるみたいなので、機会を作ってそれも見てみたいですね。
三浦綾子さんの他の作品も読んでみなきゃ_φ(・_・
この駅の付近は桜の木があって、春になると綺麗いみたいなので、そんな時期に合わせて行ってみたいものです。
あとこの付近にはつぶれた商店と、閉館したユースホステルがあるだけだったんですが、去年新たに塩狩ヒュッテユースホステルが開業したらしいですね。定員十数名のこじんまりとした宿で、ホームページもありました。
自然と文学作品にふれる塩狩峠です………………_φ(・_・
追伸……今回写真が無かったので、3枚ともwebで検索して添付しました(^◇^;)
場所は旭川から北の稚内へ向かう宗谷本線の普通列車に乗ること約40分。
その場所とは、”塩狩(しおかり)”というところです。
自然いっぱいの静かなところですが、この塩狩峠でむかし鉄道事故がありました。
1909年(明治42年)2月28日。汽車が塩狩峠のところにさしかかったところ、客車の連結器がはずれて暴走しました。そこに乗り合わせていた鉄道員の長野政雄という人が身を挺して客車を止めました。この人は客車の下敷きになって殉職しました。
駅から数百mのところにこの方の石碑があります。
そしてこの鉄道事故をもとに、三浦綾子さんが小説”塩狩峠”を書いていますね。
その縁もあってなのか、近くに三浦綾子さんの旧宅を再現した塩狩峠記念館があります(3枚目の写真です)ファンの方が結構訪れるみたい。
開館してるのは4月から11月までです。
中は書斎が再現されてたり、今までの作品を読むことができたり、長野政雄さんにまつわる資料が展示されていたりしています。
僕はここから旭川に戻ったら、早速本屋で”塩狩峠”を買って読んでみました_φ(・_・
小説では永野信夫という主人公であり、子供の頃の生い立ちから始まって、事故のことまでを描いています。
これは映画化されてるみたいなので、機会を作ってそれも見てみたいですね。
三浦綾子さんの他の作品も読んでみなきゃ_φ(・_・
この駅の付近は桜の木があって、春になると綺麗いみたいなので、そんな時期に合わせて行ってみたいものです。
あとこの付近にはつぶれた商店と、閉館したユースホステルがあるだけだったんですが、去年新たに塩狩ヒュッテユースホステルが開業したらしいですね。定員十数名のこじんまりとした宿で、ホームページもありました。
自然と文学作品にふれる塩狩峠です………………_φ(・_・
追伸……今回写真が無かったので、3枚ともwebで検索して添付しました(^◇^;)
