瀬谷教室
ひげたつ さん
初秋の上高地ケルン行
2025年09月11日 17:38



9/7~9と、2泊3日で上高地へ行ってきました。
自家用車で直接上高地には入れませんので、手前の「さわんど駐車場」に車を置き、シャトルバスで入りました。
横浜を7:30に出て、上高地に着いたのは15:30、日曜日の渋滞と工事渋滞で時間を取られました。
下界は30℃を越す猛暑で、Tシャツ・短パン姿で出かけましたが、標高1,500mの上高地は涼しく、宿に着いたらすぐに、長袖・ジャージに着替えました。
宿泊は定宿の「西糸屋」さん。
2日目は、奥又白谷にあるケルンに、参拝に行きました。
井上靖の小説「氷壁」の元となった、遭難事件の死者の慰霊碑があります。
8:00に宿を出発、午前中は雨に降られましたが、徳沢まではアーケードのように立木の葉が覆いかぶさり、濡れずに移動できました。
奥又白谷に入る頃には雨も止み、レインウェアも着ずに済みました。
ケルンは奥又白谷から前穂の尾根を横切り、涸沢へ抜ける「パノラマコース」の途中にあり、下山してくる2組のパーティにも出会いました。
線香を焚き、日本酒で献杯、死者の冥福を祈りました。
徳沢園前でお弁当を広げ、16:00過ぎに宿に戻りました。
往復約16km、万歩計で3万歩超を記録しました。
梓川沿いの登山路には「エゾノギシギシ」という外来帰化植物が蔓延り、元来の植生を守るために、駆除しながら帰ってきました。
帰宅日の3日目、朝は結構寒く、窓は結露していました。
快晴の朝を迎え、河童橋から見える「奥穂高岳」がきれいでした。
普段はパソコンに向かい、運動不足の私には、結構厳しい山歩きでした。
まだ脚の痛みは引きませんが、ロキソニンを塗って、ごまかしております。(^ ^;)
ひげたつ
自家用車で直接上高地には入れませんので、手前の「さわんど駐車場」に車を置き、シャトルバスで入りました。
横浜を7:30に出て、上高地に着いたのは15:30、日曜日の渋滞と工事渋滞で時間を取られました。
下界は30℃を越す猛暑で、Tシャツ・短パン姿で出かけましたが、標高1,500mの上高地は涼しく、宿に着いたらすぐに、長袖・ジャージに着替えました。
宿泊は定宿の「西糸屋」さん。
2日目は、奥又白谷にあるケルンに、参拝に行きました。
井上靖の小説「氷壁」の元となった、遭難事件の死者の慰霊碑があります。
8:00に宿を出発、午前中は雨に降られましたが、徳沢まではアーケードのように立木の葉が覆いかぶさり、濡れずに移動できました。
奥又白谷に入る頃には雨も止み、レインウェアも着ずに済みました。
ケルンは奥又白谷から前穂の尾根を横切り、涸沢へ抜ける「パノラマコース」の途中にあり、下山してくる2組のパーティにも出会いました。
線香を焚き、日本酒で献杯、死者の冥福を祈りました。
徳沢園前でお弁当を広げ、16:00過ぎに宿に戻りました。
往復約16km、万歩計で3万歩超を記録しました。
梓川沿いの登山路には「エゾノギシギシ」という外来帰化植物が蔓延り、元来の植生を守るために、駆除しながら帰ってきました。
帰宅日の3日目、朝は結構寒く、窓は結露していました。
快晴の朝を迎え、河童橋から見える「奥穂高岳」がきれいでした。
普段はパソコンに向かい、運動不足の私には、結構厳しい山歩きでした。
まだ脚の痛みは引きませんが、ロキソニンを塗って、ごまかしております。(^ ^;)
ひげたつ
エリカさん、はじめまして。
上高地は一般車が入らず、バスかタクシーでないと、行けません。
そのため、空気は奇麗で、花粉症(鼻炎)の私でも、症状が出ません。
晴れれば山の景色は最高!夜も星がきれいです。
是非1泊以上で、いろいろな季節・天候・時間帯の上高地を味わってみてください。
最近は観光客も増え、俗化してきた面もありますが、少し足を伸ばせば自然の魅力も一杯です。
上高地は一般車が入らず、バスかタクシーでないと、行けません。
そのため、空気は奇麗で、花粉症(鼻炎)の私でも、症状が出ません。
晴れれば山の景色は最高!夜も星がきれいです。
是非1泊以上で、いろいろな季節・天候・時間帯の上高地を味わってみてください。
最近は観光客も増え、俗化してきた面もありますが、少し足を伸ばせば自然の魅力も一杯です。
violetさん、初めまして。
井上靖の「氷壁」では、魚津が遭難しましたが、私が行ったのは、この小説の元となった、実際の遭難事件の慰霊碑です。
1950年冬の前穂の岩壁登攀で、恩師の弟さんが墜落し、亡くなられました。
その時ナイロンザイルが使用され、岩角に擦れた時に簡単に切れてしまったのです。
ナイロンザイルがそんなに簡単に切れるのは何か欠点があるのではと、恩師は研究を続けられました。
メーカーは不正実験をして、ナイロンザイルは切れないと言い、事故が事件になりました。
約20年かかって、恩師はナイロンザイルの欠点を解明しました。
その恩師も亡くなり、合わせて慰霊登山に行っております。
井上靖の「氷壁」では、魚津が遭難しましたが、私が行ったのは、この小説の元となった、実際の遭難事件の慰霊碑です。
1950年冬の前穂の岩壁登攀で、恩師の弟さんが墜落し、亡くなられました。
その時ナイロンザイルが使用され、岩角に擦れた時に簡単に切れてしまったのです。
ナイロンザイルがそんなに簡単に切れるのは何か欠点があるのではと、恩師は研究を続けられました。
メーカーは不正実験をして、ナイロンザイルは切れないと言い、事故が事件になりました。
約20年かかって、恩師はナイロンザイルの欠点を解明しました。
その恩師も亡くなり、合わせて慰霊登山に行っております。
ベリーさん、コメントありがとうございました。
上高地へはほぼ毎年、ケルン行に行っております。
学生時代の物理の先生の弟さんが、1950年冬の前穂で墜落遭難し、亡くなられました。
それ以来先生は、その時使われたナイロンザイルの欠点を追求し、現在のスポーツ用品安全基準の制定にまで、研究し闘われました。
その先生が亡くなれて、慰霊登山で上高地を訪れ、それ以来ケルン行に来ております。
今回写真は212枚撮りました。
そこから3枚を選ぶのも大変でした。
上高地へはほぼ毎年、ケルン行に行っております。
学生時代の物理の先生の弟さんが、1950年冬の前穂で墜落遭難し、亡くなられました。
それ以来先生は、その時使われたナイロンザイルの欠点を追求し、現在のスポーツ用品安全基準の制定にまで、研究し闘われました。
その先生が亡くなれて、慰霊登山で上高地を訪れ、それ以来ケルン行に来ております。
今回写真は212枚撮りました。
そこから3枚を選ぶのも大変でした。
ミツバチさん、コメントありがとうございました。
私は50を過ぎてから山行きを始めましたので、涸沢までしか行っていません。
同行者には若い頃から穂高の山々を登った人もいて、いつも話を聞いています。
来年で70になりますが、体力の続く限り、ケルンまでは行きたいと思っております。
私は50を過ぎてから山行きを始めましたので、涸沢までしか行っていません。
同行者には若い頃から穂高の山々を登った人もいて、いつも話を聞いています。
来年で70になりますが、体力の続く限り、ケルンまでは行きたいと思っております。
ひげたつさん、初めまして。
上高地が綺麗ですね(*'▽')
楽しい時間を過ごされましたね(・∀・)イイネ!!
上高地が綺麗ですね(*'▽')
楽しい時間を過ごされましたね(・∀・)イイネ!!
ひげたつさん こんばんは
はじめまして
初秋の上高地 素敵ですね この風景大好きです
魚津さんのケルンに参拝に行かれたのですね
あの 滝谷に落ちていく 最後の場面ずっと心の奥底に残っています
学生の頃 上高地から明神 徳澤園でキャンプをし
蝶ヶ岳や 涸沢ヒュッテへ行ったことがあります
奥又白池 なんだか懐かしく思いました
モルゲンルートも美しいですよね
今では 太ってしまい また膝の調子も良くないので
山に登れそうにありません
色々な事を 思い出させてくださって
ありがとうございました
足の痛み 早く治りますように😊
はじめまして
初秋の上高地 素敵ですね この風景大好きです
魚津さんのケルンに参拝に行かれたのですね
あの 滝谷に落ちていく 最後の場面ずっと心の奥底に残っています
学生の頃 上高地から明神 徳澤園でキャンプをし
蝶ヶ岳や 涸沢ヒュッテへ行ったことがあります
奥又白池 なんだか懐かしく思いました
モルゲンルートも美しいですよね
今では 太ってしまい また膝の調子も良くないので
山に登れそうにありません
色々な事を 思い出させてくださって
ありがとうございました
足の痛み 早く治りますように😊
上高地へいかれたのですね🤗🤗🤗素敵な写真ありがとうございます🥰🥰🥰
ひげたつさん
こんばんは!
上高地いいですね 山行を楽しまれましたね
私も27年程前に一人で河童橋を午前6時半に出発して10時間かけて槍ヶ岳山荘に
辿り着きました 翌日奥穂高岳山荘にに宿泊して下山したのを思い出しました
有り難うございました
こんばんは!
上高地いいですね 山行を楽しまれましたね
私も27年程前に一人で河童橋を午前6時半に出発して10時間かけて槍ヶ岳山荘に
辿り着きました 翌日奥穂高岳山荘にに宿泊して下山したのを思い出しました
有り難うございました
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