メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
僕の2025年カレンダー作品を披露です➀
2025年01月07日 20:05



今回のブログは昨年11月に開催されたカレンダー作成イベントでの僕の作品を披露いたしますのでお楽しみくださいまし(=゚ω゚)ノ
2025年のテーマは瀬戸市から我が町尾張旭市を通って、名古屋の中心街である中区の栄というところまでを結ぶ"名鉄瀬戸線”でございます♪
ある日名鉄瀬戸線の歴史が書いてあったものをたまたま見ていて、開業が1905(明治38)年とありました。
と、いうことは2025年は開業120年の年ではないか\(◎o◎)/!
なので、それを記念に自分が持っている写真や資料とネット検索して拾った写真を集めてカレンダーにしてみました♪
カレンダー作品を紹介する前に名鉄瀬戸線の歴史をごく簡単に説明します、写真真ん中に現在の路線図を添付いたしました。
瀬戸線は瀬戸で作られる陶器の輸送と陶器作りで必要な資材の運搬を主目的として、1905(明治38)年4月2日に瀬戸自動鉄道により瀬戸ー矢田間が開通しました。翌1906(明治39)年には大曽根まで開通しました。
その後社名を瀬戸電気鉄道に変更し、1911(明治44)年には堀川というところまで延長されました。
1939(昭和14)年には名古屋鉄道と合併して「名鉄瀬戸線」となります。
そして1976(昭和51)年には東大手ー堀川間が廃止、1978(昭和53)年に東大手ー栄町間が開業して現在に至ります。
では、僕のカレンダー作品を紹介させていただきます。
写真左側が表紙ですね、これは今まで瀬戸線で走っていた車両を並べてみたものです、自分で撮影したものとネット等で拾ってきたものがあります。
一番初めの車両と最新の車両に日付を入れてみました。
写真右側は1月~3月でございます、いつも数字で大きく月をいれますけど今回は和風月名で大きく入れてみました。
1月は瀬戸線の起点となります栄町駅で地下駅となっております、駅の真上には中部電力MIRAI TOWERがあります。
2月は廃止となった本町ー堀川間にあった「ガントレット」と言って、複線が重なっているものです。
3月は終点の尾張瀬戸駅にある瀬戸蔵という施設で、「瀬戸のお雛めぐり」が開催される時に披露される「ひなミッド」でございます。
4月~も続けて別ブログで披露しますので、引き続きお付き合いくださいましm(__)m
2025年のテーマは瀬戸市から我が町尾張旭市を通って、名古屋の中心街である中区の栄というところまでを結ぶ"名鉄瀬戸線”でございます♪
ある日名鉄瀬戸線の歴史が書いてあったものをたまたま見ていて、開業が1905(明治38)年とありました。
と、いうことは2025年は開業120年の年ではないか\(◎o◎)/!
なので、それを記念に自分が持っている写真や資料とネット検索して拾った写真を集めてカレンダーにしてみました♪
カレンダー作品を紹介する前に名鉄瀬戸線の歴史をごく簡単に説明します、写真真ん中に現在の路線図を添付いたしました。
瀬戸線は瀬戸で作られる陶器の輸送と陶器作りで必要な資材の運搬を主目的として、1905(明治38)年4月2日に瀬戸自動鉄道により瀬戸ー矢田間が開通しました。翌1906(明治39)年には大曽根まで開通しました。
その後社名を瀬戸電気鉄道に変更し、1911(明治44)年には堀川というところまで延長されました。
1939(昭和14)年には名古屋鉄道と合併して「名鉄瀬戸線」となります。
そして1976(昭和51)年には東大手ー堀川間が廃止、1978(昭和53)年に東大手ー栄町間が開業して現在に至ります。
では、僕のカレンダー作品を紹介させていただきます。
写真左側が表紙ですね、これは今まで瀬戸線で走っていた車両を並べてみたものです、自分で撮影したものとネット等で拾ってきたものがあります。
一番初めの車両と最新の車両に日付を入れてみました。
写真右側は1月~3月でございます、いつも数字で大きく月をいれますけど今回は和風月名で大きく入れてみました。
1月は瀬戸線の起点となります栄町駅で地下駅となっております、駅の真上には中部電力MIRAI TOWERがあります。
2月は廃止となった本町ー堀川間にあった「ガントレット」と言って、複線が重なっているものです。
3月は終点の尾張瀬戸駅にある瀬戸蔵という施設で、「瀬戸のお雛めぐり」が開催される時に披露される「ひなミッド」でございます。
4月~も続けて別ブログで披露しますので、引き続きお付き合いくださいましm(__)m
シー子さんこんばんは~(^^♪
そうそう、窓もドアも手動式でしたね。
子供の頃に乗った覚えがあって、目的地に到着すると自分で扉を開けたいがために真っ先に前に行ったものでした。
ちなみに、この古い電車と旧尾張瀬戸駅を再現した物が瀬戸蔵ミュージアムにあります。
そうそう、窓もドアも手動式でしたね。
子供の頃に乗った覚えがあって、目的地に到着すると自分で扉を開けたいがために真っ先に前に行ったものでした。
ちなみに、この古い電車と旧尾張瀬戸駅を再現した物が瀬戸蔵ミュージアムにあります。
masakisiさん、明けましておめでとうございます<m(__)m>
子供の頃から馴染みのある瀬戸線でございます。
無くなった父はこれを使って名古屋の会社まで出勤してましたし、名古屋に出かける時は必ずこれに乗って出かけていて生活の一部となってますね。
堀川まであった時は大都会から外れたローカル線というイメージでしたね、車両も本線から来た中古品を使っていた感じです。
それが栄町に乗り入れをしてから急激に変わりました。そして4000系という瀬戸線オリジナルの車両が導入されて、喜多山駅の高架工事とすっかり大都市近郊路線となりました。
それでもどことなく古さも感じてしまうのが良いところデス♪
子供の頃から馴染みのある瀬戸線でございます。
無くなった父はこれを使って名古屋の会社まで出勤してましたし、名古屋に出かける時は必ずこれに乗って出かけていて生活の一部となってますね。
堀川まであった時は大都会から外れたローカル線というイメージでしたね、車両も本線から来た中古品を使っていた感じです。
それが栄町に乗り入れをしてから急激に変わりました。そして4000系という瀬戸線オリジナルの車両が導入されて、喜多山駅の高架工事とすっかり大都市近郊路線となりました。
それでもどことなく古さも感じてしまうのが良いところデス♪
鉄道の旅人さんこんにちは
瀬戸電懐かしいですね、一番古いのが昔がた電と言われていましたから、私は母から聞きました、
ドアと窓が手動式窓から虫が入って来てたから、
母から聞きました、瀬戸電事何故母が知っていたのか知りませんが。
私達が瀬戸に住んだ事ないのに、、ただお堀の瀬戸電は知っていますよ、そこから栄迄歩いた事ありますから。
瀬戸電懐かしいですね、一番古いのが昔がた電と言われていましたから、私は母から聞きました、
ドアと窓が手動式窓から虫が入って来てたから、
母から聞きました、瀬戸電事何故母が知っていたのか知りませんが。
私達が瀬戸に住んだ事ないのに、、ただお堀の瀬戸電は知っていますよ、そこから栄迄歩いた事ありますから。
鉄道の旅人さん
明けましておめでとうございます
以前、名鉄瀬戸線の話しで盛り上がったことがありました。
知り合って最初の頃でした。
創業後すぐには名古屋城の外堀を通っていた話を覚えています。
貨物(陶器)を堀川を使って船便で各地へ運び栄えたのでしたね。
もう今年で120年になるのですね。
瀬戸線は名鉄の飛び地路線、孤立路線と言われていますが4000系が走り
高架工事が今も進むところを見ると大事な路線と言うことがわかります。
ますますこれからも栄えて行くところですね。
明けましておめでとうございます
以前、名鉄瀬戸線の話しで盛り上がったことがありました。
知り合って最初の頃でした。
創業後すぐには名古屋城の外堀を通っていた話を覚えています。
貨物(陶器)を堀川を使って船便で各地へ運び栄えたのでしたね。
もう今年で120年になるのですね。
瀬戸線は名鉄の飛び地路線、孤立路線と言われていますが4000系が走り
高架工事が今も進むところを見ると大事な路線と言うことがわかります。
ますますこれからも栄えて行くところですね。
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