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カキっ放し!!

 錦糸町マルイ教室  柳 秀三 さん

3456 安積疏水とは

 2024年01月04日 21:51
安積疏水(あさかそすい)は、猪苗代湖より取水し、福島県郡山市とその周辺地域の安積原野に農業用水・工業用水・飲用水を供給している疎水である。水力発電にも使用される。
那須疎水(栃木県那須野が原)、琵琶湖疏水(滋賀県琵琶湖 - 京都市)と並ぶ日本三大疎水の1つに数えられている。

概要
年間雨量が 1200mm にも満たない当地は、疎水が引かれる前は、阿武隈川に向かって傾斜して水利が悪い丘陵地帯であったこともあり、荒涼とした安積原野となっていた。安積原野を流れる五百川、藤田川、逢瀬川、笹原川などの河川は流域面積が小さく、安積原野にあるため池群も流入河川がなく旱魃(かんばつ)の影響を受けやすく、広大な原野は牛馬の餌となる牧草を取る入会地しか用途がなかった。

一方、明治維新の最中、各地で士族の反乱が起こり、その対策として安積原野開拓が脚光を浴びるようになる。そこで、1878年(明治11年)にお雇い外国人のオランダ人技師ファン・ドールンを現地に派遣し、猪苗代湖から安積原野一帯の調査を行い、その調査の結果、安積疏水の開削を政府に決断させた。1879年(明治12年)、国直轄の農業水利事業第1号地区として着工され、日本海への流量を調整して水位を保持する十六橋水門、安積地方へ取水する山潟水門が建設され、隧道・架樋等、延べ85万人の労力と総工費 40万7000円(現在に換算して約 400億円)によって、130km に及ぶ水路工事がわずか3年で完成した。灌漑区域面積は約 9000ha と広大で、当地を一大穀倉地帯に変えた。なお、郡山市は、平成の大合併により市域を広げた新潟市が誕生する前は、米穀生産量日本一の市であった。

1898年(明治31年)には疎水に水力発電所が設置され、その電力を利用した製糸業が発達した。また、1908年(明治41年)からは飲料水としても利用して、当地の人口増加を支えた。

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母親の実家は現在郡山市であるが、母親が生まれ育ったときは安積郡だった。

母親の一族は、安積開拓のために九州・久留米から移民してきた。
(「2255 でっけぇやま」参照)

タイピング練習のために、Wikipedia「安積疏水」をタイピング入力した。

柳 秀三
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