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カキっ放し!!

 錦糸町マルイ教室  柳 秀三 さん

2687 蛍にうまれたの

 2022年06月18日 10:03
今朝の[編集手帳]の一部である。

今年も兵庫県西宮市の有馬川でゲンジ(ボタル)数百匹が飛び交ったという。四半世紀にわたり住民が守り抜いてきた光の乱舞である◆阪神版の記事を読んだ。人口50万人を抱く都市の、しかも住宅街であることに驚かされる。保護団体の本田三延さんが「つかまえに来ないで」と訴えるのも毎年のことらしい。「ホタルの命は1週間ほど。自然の中で見てもらい、心に焼き付けてもらうのがふさわしいでしょう」◆輝く時間を長くは生きられないホタルの立場に立って、俳人の池田澄子さんが詠んだ一句を思い出す。〈じゃんけんで負けて蛍に生まれたの〉。無数の光の筋を思い描けば、はかない生の景色が心にしずむ。

~~~~~~~~

「ホタルの命は一週間ほど。自然の中で見てもらい、心に焼き付けてもらうのがふさわしいでしょう」

ホタルの命が一週間というのは、ホタルのオスが成虫となって光を発するのが一週間であり、幼虫期を含めればもう少しその命は長いだろうと思う。

それを「ホタルの命は一週間ほど」と言ってしまうのは、まるで光るからホタルなのであり、人が見るためにある生命と決めつけてしまっているみたいだ。

セミの命が一週間というのと似ている。

セミはその一生の大部分を地中で過ごすが、地中にいるときのセミはセミじゃないのか?地中にいるときのセミは不幸せなのか?

「耐えて耐えてやっと地面から出てセミとなる」みたいな捉え方をするのは、ヒトの傲岸さのような気がする。

とはいえ…

「自然の中で見てもらい、心に焼き付けてもらうのがふさわしいでしょう」というのは、すごく賛成である。

生命への接し方以前に、自然さえもわがものにしようとする人類の、おのれへも含めての、せめてもの “マナー” だと思う。



ヒトは神じゃない。

ヒトにヒトの主観が入るのは、避けられない。

他の生命を下に見るのは、避けられない。

だから…

だからこそ、ヒトの感性は愛おしい。

神になれないからこそ、愛らしい。

 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの

この一句に、俺は沈黙する。

柳 秀三
コメント
 4 件
 2022年06月18日 23:23  錦糸町マルイ教室  柳 秀三 さん
コスモスさん

俺は…

 じゃんけんで負けて蛍に生まれたの

は、文字通り…

わたしはじゃんけんで負けたから蛍としてうまれて…

でも、勝っていたら人として生まれたかもしれない…

もしかしたら、あなたが蛍だったかもしれないのよ…

そういうふうに、感じました。

柳 秀三
 2022年06月18日 23:08  錦糸町マルイ教室  柳 秀三 さん
KAIさん

「沈黙」ですね?

柳 秀三
 2022年06月18日 22:56  伊丹駅前教室  コスモス  さん
柳 秀三さん こんばんは。

お久しぶりです。
私もコラム読みました。
写しました。12分45秒。

この場所行ったことがあります。
その年々により蛍の数は違います。
人間にとって一番嫌な時期(高温多湿)に、青黄色い光を放ち
乱舞するさまは幻想的です。

蝉や蛍の命は短いから云々はよく聞きます。
他の昆虫も成虫は短いのにね。
派手な鳴き声と光の点滅で存在感が強調されるからなのかも?

柳さんの哲学的思考?わかるような気がします。

じゃんけんで…の一句、コスモス流解釈です。
負けて存在感がなくなった…けれどホタルに生まれた変わったならば、
私ここにいるのよと言えるのでは?



 2022年06月18日 10:08  ダイエー三宮駅前教室  KAI さん


  「・・・・・・」

    <(_ _)>
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