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カキっ放し!!

 錦糸町マルイ教室  柳 秀三 さん

2497 法典と塚田

 2022年01月24日 16:07
【江戸時代】
上山新田、丸山新田、藤原新田の3村はいずれも、江戸時代(1603年~1867年)に成立した新田部落である。3村の土地は、開墾以前は幕府の小金牧の一部であったが、幕府が年貢を増やすことと、人口増加に対応するため、開墾を許可したという。そして、行徳からの開墾民を中心に開墾されたのである。
 上山新田 延宝1年(1673年)
 丸山新田 延宝2年(1674年)
 藤原新田 延宝3年(1675年)

【明治の大合併】(Wikipedia「法典村」「塚田村」より)
東葛飾郡法典村は、明治22年(1889年)に、藤原新田、上山新田、丸山新田の3村が合併して成立した。なお、村立の際、当初、藤原新田、上山新田、丸山新田、前貝塚村、後貝塚村、行田新田の6村で村を組織する計画であったが実現せず、成立事情を同じくする藤原新田、上山新田、丸山新田3村だけで法典村を組織したという。
村名となった「法典」名称の由来については、『千葉県町村合併史』に「藤原新田、丸山新田等の諸村は法典と総称され、近隣に通じているのでそれに由った」と記されているが、江戸時代の古文書類に「法典」の名称が見えないこともあり、この仏教的な言葉が、なぜ村名に採用されたのかはっきりとわかっていない。
 ※法典村の大字 藤原、上山、丸山

前貝塚村、後貝塚村、行田新田3村は、同じく明治22年(1889年)に合併して東葛飾郡塚田村となった。
村の名称は、前貝塚・後貝塚の「塚」と行田の「田」の一字ずつを組み合わせて名づけられた。
 ※塚田村の大字 前貝塚、後貝塚、行田新田

【昭和の大合併】(Wikipedia「船橋市」より)
昭和12年(1937年)4月1日に、東葛飾郡の5町村、船橋町、葛飾町、八栄村、法典村、塚田村が合併して船橋市が発足、自治体としての法典村、塚田村は消滅した。
 ※旧法典村の町名 藤原町、上山町、丸山町
 ※旧塚田村の町名 後貝塚町、旭町(旧後貝塚)、行田町

【現在の法典地域】(Wikipedia「船橋市の町名」より)
藤原1~8丁目、上山町1~3丁目、丸山1~5丁目、馬込町、馬込西1~3丁目
前貝塚町、旭町1~8丁目、行田1~3丁目
山手1~3丁目、北本町1~2丁目

ネットで検索して、読んで、書くのは楽しい。

柳 秀三
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