錦糸町マルイ教室
柳 秀三 さん
2430 不便を考える
2021年12月04日 11:31

以下は、ブログ記事「2427 脱冬タイヤ」に、KAIさんからいただいたコメントへの返事であり、いまの俺の「車を所有し運転すること」への感覚を表している。
~~~~~~~~
車はとても便利で無くてはならないものです。
と思っていますが。
実は、保管場所が要るし、移動先でも駐車場所を確保しなければならないし、燃料は必要だし、メンテナンスは欠かせないし、ルールを守らなきゃならないし、非常に不便なものです。
そして、殺人マシンでもあります。
それを考えると、自分の体の余裕のあるうちに、自己所有車両の無い生活に慣れさせたほうのがいいかなと思います。
それでも、母親がいるうちは車を運転します。
ひとりになったら、やっぱり交通は歩きメインでいいかなと。
あと普通に、電車・バス・タクシーを利用していけばいいなと思います。
~~~~~~~~
この「コメントへの返事」の気持ちは、いまだから言えることである。5年後10年後、運動能力の低下が進んだときに同じことを言えるかどうか、自信は無い。それでも、どこかで車の運転をやめることを決めないといけないと思う。やめることを自分で決めるか、事故を起こしてやめさせられるか。運転ができなくなるまで続けるか。極端に言えばこの3つかなと思う。
俺は、健全に歩けるうちに車の運転をやめたいと思う。
テレビ朝日系の「ポツンと一軒家」が大好きで毎週観ている。番組に登場する「ポツいち」の住人は高齢者が多い。彼らには車が絶対的に必要である。この部分は交通の選択肢の多い街の住人とは区別しなくてはいけないと思う。
社会は変わる。その社会に合わせて法律も人々の倫理感も変えていかなければならない。車、移動端末、インターネットなど、身近なものたちが社会を変えてゆく。そして、いまでいうならパンデミックを起こすほどのウイルスもその要因の一つである。
こうあるべきというものは、そもそも無い。人がこうしたいと願うから、結果としていまの社会・法律・倫理観ができた。そこを維持していくためには、ある程度の不便は必要なのかなと思う。
不便の感じ方は人によるのだろうけれど。
柳 秀三
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車はとても便利で無くてはならないものです。
と思っていますが。
実は、保管場所が要るし、移動先でも駐車場所を確保しなければならないし、燃料は必要だし、メンテナンスは欠かせないし、ルールを守らなきゃならないし、非常に不便なものです。
そして、殺人マシンでもあります。
それを考えると、自分の体の余裕のあるうちに、自己所有車両の無い生活に慣れさせたほうのがいいかなと思います。
それでも、母親がいるうちは車を運転します。
ひとりになったら、やっぱり交通は歩きメインでいいかなと。
あと普通に、電車・バス・タクシーを利用していけばいいなと思います。
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この「コメントへの返事」の気持ちは、いまだから言えることである。5年後10年後、運動能力の低下が進んだときに同じことを言えるかどうか、自信は無い。それでも、どこかで車の運転をやめることを決めないといけないと思う。やめることを自分で決めるか、事故を起こしてやめさせられるか。運転ができなくなるまで続けるか。極端に言えばこの3つかなと思う。
俺は、健全に歩けるうちに車の運転をやめたいと思う。
テレビ朝日系の「ポツンと一軒家」が大好きで毎週観ている。番組に登場する「ポツいち」の住人は高齢者が多い。彼らには車が絶対的に必要である。この部分は交通の選択肢の多い街の住人とは区別しなくてはいけないと思う。
社会は変わる。その社会に合わせて法律も人々の倫理感も変えていかなければならない。車、移動端末、インターネットなど、身近なものたちが社会を変えてゆく。そして、いまでいうならパンデミックを起こすほどのウイルスもその要因の一つである。
こうあるべきというものは、そもそも無い。人がこうしたいと願うから、結果としていまの社会・法律・倫理観ができた。そこを維持していくためには、ある程度の不便は必要なのかなと思う。
不便の感じ方は人によるのだろうけれど。
柳 秀三
すみれさん
俺は、自分本位で考えます。
いまから死ぬまでの間に、どこかの時点で車の運転をやめないといけないというのはあります。
では、それはどこなのか。
俺が出した答えは、「健全に歩けるうち」です。
体が弱ってからやめたら辛いです。
そして、弱ってからではやめることができないです。
まだ健康で歩けるうちに、運転をやめて車が無い生活を実践します。
案外、車が無い生活って良いんじゃないと思えるかもしれません。
不便な部分は代替手段を考えます。
そういうことは、弱ってからあるいは運転をやめてからではできません。
余裕のあるうちにやめた方が楽だろうなと思っています。
柳 秀三
俺は、自分本位で考えます。
いまから死ぬまでの間に、どこかの時点で車の運転をやめないといけないというのはあります。
では、それはどこなのか。
俺が出した答えは、「健全に歩けるうち」です。
体が弱ってからやめたら辛いです。
そして、弱ってからではやめることができないです。
まだ健康で歩けるうちに、運転をやめて車が無い生活を実践します。
案外、車が無い生活って良いんじゃないと思えるかもしれません。
不便な部分は代替手段を考えます。
そういうことは、弱ってからあるいは運転をやめてからではできません。
余裕のあるうちにやめた方が楽だろうなと思っています。
柳 秀三
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