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ねこまる子の部屋(ゆる〜く更新)

 越谷サンシティ教室  ねこまる子ちゃん さん

丁髷(ちょんまげ)(2)*349

 2021年06月24日 07:20
・・・昨日の記事(1)の続きになります。

④明治時代
明治4年(1871年)……「散髪脱刀令」(断髪令)が布告される。
明治6年(1873年)3月20日……明治天皇のご断髪により、丁髷は激減する。

明治42年(1909年)……「関取(幕内、十両)は大銀杏を結うこと」という規定ができる。これは、伊藤博文をはじめ政府の要人に相撲好きがいたから。

・明治42年(1909年)、相撲興行のための会場が、回向院場所が行われていた場所に建てられた。そして、「国技館」と名付けられた。
・現在、髷を結っているのは、関取のみである。

2.髷の種類

身分によって違いがある。
「銀杏髷(いちょうまげ)」・・・髷を折り返した先を銀杏の葉のように広げている。
・武士……髷を長く、月代を狭くした。
 (浪人)……月代を作らなかった。これは、主君がいないため兜をかぶる機会が無かったからである。また、金銭的にも余裕が無かったからと言われている。
・町人……小銀杏というスタイルで、髷の先の部分の銀杏を小さめにした。
 (職人)……男らしさを強調するために髷を太く短くした。

「本田髷(ほんだまげ)」・・・月代を広くして、髷をネズミのしっぽのように細くした。柔和な印象を周りに与え、「粋」の象徴で会った。
吉原の遊郭に出入りするときはこのスタイルが人気があった。

「総髪」・・・月代を剃らない髷だけの髪型。町医者や学者がしていた髪型。
医者は負傷者の治療の為に戦場を往来するので、武士と間違えられ攻撃されないよう総髪にしたという。

  (3)へ続く・・・
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