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ねこまる子の部屋(ゆる〜く更新)

 越谷サンシティ教室  ねこまる子ちゃん さん

ラジオについて(2)*345

 2021年06月20日 13:25
2.ラジオの歴史

①世界では……
1900年(明治33年)、カナダの電気技術者レジナルド・フェッセンデンが、距離1マイル(約1,600メートル)での音声の送受信に成功する。
そして、1906年12月24日にアメリカのペンシルベニア州でクリスマスの挨拶をラジオで放送した。
1920年11月2日、アメリカのペンシルベニア州ピッツバーグのKDKA局が世界初の公共放送行ったと言われている。
内容は、アメリカ大統領選の開票結果で、第29代大統領となったウォレン・ハーディングの当選を伝えた。

②日本では……
日本でもラジオ放送の実験が行われた。
1925年(大正14年)3月22日午前9時30分に、日本初のラジオ放送が社団法人東京放送局(JOKA:現在のNHK東京放送局)によって発信された。
東京芝浦の東京高等工芸学校(千葉大学工学部)内に仮設スタジオを設けて放送された。
スタジオからの第一声は「アー、アー、聞こえますか?」だったという。
当時のラジオ受信機は「探り式鉱石受信機」というもので、東京市(現在の東京都23区)以外はよく聞き取れなかったという。
(探り式鉱石受信機とは……鉱石の表面に針をあてて電波を聞き取れるところを探すという装置)

その後、大阪、名古屋で放送が始まり、ラジオの利用者は半年で10万人、1年で20万人と増加するほど普及していった。

1926年(大正15年)東京、大阪、名古屋の放送局を統合して、「社団法人日本放送協会」が設立された。
そして、ラジオの受信機は電子電気回路の真空管に代わり、スピーカーで大きな音量で聞けるようになる。
(真空管とは……ガラスや金属などで作られた容器内部に複数の電極を配置して、容器内部を真空にして少量のガスや水銀を入れたもの)

1930年代(昭和初期)にラジオの低価格化と品質の向上が進んだ。
また、1931年(昭和6年)の満州事変をはじめ、国防強化の面から政府がラジオ放送に力を入れたので、より一層普及されていった。
しかし、戦前は逓信省によって、社団法人東京放送局以外はラジオ放送が制限されていた。
(逓信省・・・大日本帝国で郵便や通信を管轄していた中央官庁。現在の総務省、国土交通省航空局、日本郵政(JP)、及び日本電信電話(NTT))

  (2)へ続く・・・
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