越谷サンシティ教室
ねこまる子ちゃん さん
コロナ禍のマスク(2)*339
2021年06月12日 07:30
この記事は、私が調べてまとめたものです。
元々は、ブログや音声配信のためのメモ書きです。
・・・昨日の記事(1)の続きになります。
3.日本におけるマスクの普及者
松本順(松本良順)
天保3年(1832年)~明治40年(1907年)
順天堂の創始者である佐藤泰然の次男。長崎で蘭医学を修めた後、将軍の侍医を務める。
戊辰戦争(慶応4年、1868年~明治2年、1869年)では、幕府側として戦うが、維新後は陸軍の軍医となる。
明治6年(1873年)初代大日本帝国陸軍軍医総監に就任。
軍医学は公衆衛生学的な考えを基盤としていたので、一般社会も病気の予防に努めるよう指導した。
明治12年(1879年)……『郵便報知』に「レスピラートル(呼吸器)」という商品の広告が掲載された。
これは、感染症予防を目的とした黒いマスクである。
宣伝文には「感冒を防ぎ、咳嗽(咳)を止め気管炎其他呼吸器諸病を防止する」と書かれていて、現在の立体マスクのような黒マスクをつけた二人の男性が描かれているという。
・牛乳を飲むことを奨励し、また海水浴の効用を説いて神奈川の大磯に海水浴場を開設した。
・奈良の「日本医薬品製造株式会社の征露丸」には、松本良順の写真が箱に使われている。
(3)へ続く・・・
元々は、ブログや音声配信のためのメモ書きです。
・・・昨日の記事(1)の続きになります。
3.日本におけるマスクの普及者
松本順(松本良順)
天保3年(1832年)~明治40年(1907年)
順天堂の創始者である佐藤泰然の次男。長崎で蘭医学を修めた後、将軍の侍医を務める。
戊辰戦争(慶応4年、1868年~明治2年、1869年)では、幕府側として戦うが、維新後は陸軍の軍医となる。
明治6年(1873年)初代大日本帝国陸軍軍医総監に就任。
軍医学は公衆衛生学的な考えを基盤としていたので、一般社会も病気の予防に努めるよう指導した。
明治12年(1879年)……『郵便報知』に「レスピラートル(呼吸器)」という商品の広告が掲載された。
これは、感染症予防を目的とした黒いマスクである。
宣伝文には「感冒を防ぎ、咳嗽(咳)を止め気管炎其他呼吸器諸病を防止する」と書かれていて、現在の立体マスクのような黒マスクをつけた二人の男性が描かれているという。
・牛乳を飲むことを奨励し、また海水浴の効用を説いて神奈川の大磯に海水浴場を開設した。
・奈良の「日本医薬品製造株式会社の征露丸」には、松本良順の写真が箱に使われている。
(3)へ続く・・・
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