錦糸町マルイ教室
柳 秀三 さん
2000 詩を朗読②
2021年04月03日 17:23

萩原朔太郎の詩集「月に吠える」(角川文庫)の中古本をアマゾンで購入した。
本書は、萩原朔太郎の詩集「月に吠える」から長詩二編を除く全作品を収録し、併せて、「氷島」収録作を主に、「青猫」「蝶を夢む」「萩原朔太郎詩集」「純情小曲集」「宿命」から妙録したものです。
と、巻末に記されている。
つまり、7つの詩集から良いとこ取りしたということである。
この詩たちを朗読してみた。
朗読が適当なのかどうかではなく、自然に声に出して読みたくなった。
まず、順番に、詩集「月に吠える」から始めてみた。
■■■■■■■■
竹とその哀傷
地面の底の病気の顔
地面の底に顔があらはれ、
さみしい病人の顔があらはれ。
地面の底のくらやみに、
うらうら草の茎が萌えそめ、
鼠の巣が萌えそめ、
巣にこんがらがつてゐる、
かずしれぬ髪の毛がふるへ出し、
冬至のころの、
さびしい病気の地面から、
ほそい青竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶれるごとくに視え。
地面の底のくらやみに、
さみしい病人の顔があらはれ。
■■■■■■■■
「ゐ」「は」「へ」など旧仮名遣いであり、「こんがらがって」のような小さい「っ」は無い、「あはれぶかく」というふうに必ずしも現在のように濁音にはならない。
朗読は、黙読とは全然違う。
息継ぎ・アクセント・イントネーションが大事だと思う。
表現力が必要になる。
朗読は他人様に聴かせるものであるが、聞き手の最前列は、常に自分である。
自分で納得いかないとつまらないじゃないか。
難しい。
まさか、ひとりで、大きな声を出すわけではない。
けれど、腹に力を入れなければならない。
正しい息継ぎ・アクセントのためには、先へ先へと目で追っていかねばならない。
腹・喉・口周り・目・指、すべてを操縦しなければならない。
ちょっと体力が要るかも知れない。
おもしろいじゃないか、朗読。
とか言いながら、今日は病院の内科外来を受診するおふくろの運転手なので、待ちのあいだ病院駐車場の車の中で朗読を繰り返していたが、ずっと「レロレロ」だった。
朗読って難しい。
柳 秀三
本書は、萩原朔太郎の詩集「月に吠える」から長詩二編を除く全作品を収録し、併せて、「氷島」収録作を主に、「青猫」「蝶を夢む」「萩原朔太郎詩集」「純情小曲集」「宿命」から妙録したものです。
と、巻末に記されている。
つまり、7つの詩集から良いとこ取りしたということである。
この詩たちを朗読してみた。
朗読が適当なのかどうかではなく、自然に声に出して読みたくなった。
まず、順番に、詩集「月に吠える」から始めてみた。
■■■■■■■■
竹とその哀傷
地面の底の病気の顔
地面の底に顔があらはれ、
さみしい病人の顔があらはれ。
地面の底のくらやみに、
うらうら草の茎が萌えそめ、
鼠の巣が萌えそめ、
巣にこんがらがつてゐる、
かずしれぬ髪の毛がふるへ出し、
冬至のころの、
さびしい病気の地面から、
ほそい青竹の根が生えそめ、
生えそめ、
それがじつにあはれふかくみえ、
けぶれるごとくに視え。
地面の底のくらやみに、
さみしい病人の顔があらはれ。
■■■■■■■■
「ゐ」「は」「へ」など旧仮名遣いであり、「こんがらがって」のような小さい「っ」は無い、「あはれぶかく」というふうに必ずしも現在のように濁音にはならない。
朗読は、黙読とは全然違う。
息継ぎ・アクセント・イントネーションが大事だと思う。
表現力が必要になる。
朗読は他人様に聴かせるものであるが、聞き手の最前列は、常に自分である。
自分で納得いかないとつまらないじゃないか。
難しい。
まさか、ひとりで、大きな声を出すわけではない。
けれど、腹に力を入れなければならない。
正しい息継ぎ・アクセントのためには、先へ先へと目で追っていかねばならない。
腹・喉・口周り・目・指、すべてを操縦しなければならない。
ちょっと体力が要るかも知れない。
おもしろいじゃないか、朗読。
とか言いながら、今日は病院の内科外来を受診するおふくろの運転手なので、待ちのあいだ病院駐車場の車の中で朗読を繰り返していたが、ずっと「レロレロ」だった。
朗読って難しい。
柳 秀三
すみれさん
詩集「月に吠える」は1917年(大正6年)に出版されたと、萩原朔太郎が再版の序に記しています。
100年前の日本人と同じ言葉で通じ合える。
双方向ではないけど・・・
一方的に、聴くだけ読むだけだけれど、そこに幸せを感じます。
言葉、文字というツールを使えば、たとえば江戸時代の人たちさえも理解することが可能なのです。
本当に、江戸時代に跳んで人と話してみたいと、思うときがあります。
だから、朗読なのかなと思います。
文字を目で追うだけじゃなく、言葉として発したほうが、より通じ合えるような気がします。
柳 秀三
詩集「月に吠える」は1917年(大正6年)に出版されたと、萩原朔太郎が再版の序に記しています。
100年前の日本人と同じ言葉で通じ合える。
双方向ではないけど・・・
一方的に、聴くだけ読むだけだけれど、そこに幸せを感じます。
言葉、文字というツールを使えば、たとえば江戸時代の人たちさえも理解することが可能なのです。
本当に、江戸時代に跳んで人と話してみたいと、思うときがあります。
だから、朗読なのかなと思います。
文字を目で追うだけじゃなく、言葉として発したほうが、より通じ合えるような気がします。
柳 秀三
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