メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
三河線、山線の廃線区間を散策⑥
2021年03月23日 21:45
西中金駅跡からも廃線跡の上を歩いて行くことができ、力石トンネルというところまで歩きました(=゚ω゚)ノ
途中まで線路の上に砂が敷かれていて歩きやすくなっています♪
電車運転を1985(昭和60)年に取りやめてレールバスとなり2004(平成16)年に猿投ー西中金間が廃止となっていまして、電車運転を取りやめた日からこの日の訪問日である2021/2/20で36年となりますが、西中金駅跡付近には架線の跡もまだ残っているのです。なんだかそれがまた良い感じがします(●´ω`●)
多少の勾配を登ったところに柵がありました、この柵はいのしし除けのために設けてあって先に進む方は門を自分で開けて進んでいきます。
線路がそのまま残る竹藪の中を進んでいくとトンネルが見えてきました、このトンネルが力石(ちからいし)トンネルといいます。三河線のトンネルはこの力石トンネルとここから北にある広瀬トンネルの2ヶ所だけになります。
この力石トンネルから先は立ち入り禁止区域となっていたので西中金駅跡まで戻っていきました(=゚ω゚)ノ
さて、枝下駅跡と三河広瀬駅跡に「でんしゃみち整備計画」なる張り紙がしてありました。3枚目のコラージュ写真に三河広瀬駅跡にあったものを添付しました。
内容としては「地区外から訪れる人」と「地域の生活者」を対象に猿投から香嵐渓を一本の線で結んでサイクリングロード・遊歩道として整備するというものなのだそうです。
すごく興味深い計画で実現できればとても素敵でありますね、整備すれば足助までの道が一本出来るわけですから、上手くいけば鉄道に転用して未成線だった足助までの鉄道施設が可能かもしれないと思うとワクワクします♪
でも計画の進み具合情報はなかったですね(;^ω^)
さて三河線の山線の廃線区間である猿投ー西中金間を歩いてまいりました。
2004(平成16)年に廃止になって17年になりますが、この区間はほぼそのまま残っている状態となっていました。
これから季節が暖かくなってくることですし、鉄道に興味の無い方もこういう所へハイキングをしてみるのも良いかもしれません。
今度は三河広瀬駅跡、西中金駅跡で喫茶店が営業している時に訪れてみたいですね。そんな機会ができれば、またブログで書くつもりでおります(^^♪
途中まで線路の上に砂が敷かれていて歩きやすくなっています♪
電車運転を1985(昭和60)年に取りやめてレールバスとなり2004(平成16)年に猿投ー西中金間が廃止となっていまして、電車運転を取りやめた日からこの日の訪問日である2021/2/20で36年となりますが、西中金駅跡付近には架線の跡もまだ残っているのです。なんだかそれがまた良い感じがします(●´ω`●)
多少の勾配を登ったところに柵がありました、この柵はいのしし除けのために設けてあって先に進む方は門を自分で開けて進んでいきます。
線路がそのまま残る竹藪の中を進んでいくとトンネルが見えてきました、このトンネルが力石(ちからいし)トンネルといいます。三河線のトンネルはこの力石トンネルとここから北にある広瀬トンネルの2ヶ所だけになります。
この力石トンネルから先は立ち入り禁止区域となっていたので西中金駅跡まで戻っていきました(=゚ω゚)ノ
さて、枝下駅跡と三河広瀬駅跡に「でんしゃみち整備計画」なる張り紙がしてありました。3枚目のコラージュ写真に三河広瀬駅跡にあったものを添付しました。
内容としては「地区外から訪れる人」と「地域の生活者」を対象に猿投から香嵐渓を一本の線で結んでサイクリングロード・遊歩道として整備するというものなのだそうです。
すごく興味深い計画で実現できればとても素敵でありますね、整備すれば足助までの道が一本出来るわけですから、上手くいけば鉄道に転用して未成線だった足助までの鉄道施設が可能かもしれないと思うとワクワクします♪
でも計画の進み具合情報はなかったですね(;^ω^)
さて三河線の山線の廃線区間である猿投ー西中金間を歩いてまいりました。
2004(平成16)年に廃止になって17年になりますが、この区間はほぼそのまま残っている状態となっていました。
これから季節が暖かくなってくることですし、鉄道に興味の無い方もこういう所へハイキングをしてみるのも良いかもしれません。
今度は三河広瀬駅跡、西中金駅跡で喫茶店が営業している時に訪れてみたいですね。そんな機会ができれば、またブログで書くつもりでおります(^^♪
