メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
三河線、山線の廃線区間を散策➀
2021年03月09日 23:44
ではでは、今回から数回にわたって名鉄三河線の山線の廃線を散策した話をしていきましょう.
改めて1枚目に名鉄三河線の山線廃線区間の路線図を添付してみました(=゚ω゚)ノ
1920(大正9)年11月に知立から挙母(現在の豊田市)まで開業後は1922(大正11)年1月には越戸まで延ばし、1924(大正13)年には猿投まで開業しました。
その後1928(昭和3)年1月に西中金まで開業しました。
ですが猿投ー西中金間は乗客減少のため1985(昭和60)年3月から電車からレールバスに変更して合理化をするも、2004(平成19)年3月でこの区間は廃止となってしまいました(´;ω;`)
実はこの三河線山線は名鉄三河線の前身である三河鉄道の時代から開業した西中金から、この先の足助まで7.4㎞までの延伸計画がありました。
途中まで用地買収も進み路盤工事も完成していたのですが、残りの用地買収が難航した上に昭和の世界恐慌の影響で工事は進まず1941(昭和16)年に名古屋鉄道に合併後も諦めなかったのですが、ついに1958(昭和33)年に諸事情により断念してしまいました( ;∀;)
現在でも足助町香嵐渓付近は秋の紅葉時期になると相当ひどい渋滞が起きていると聞いているので、もしこの名鉄三河線が足助まで開業していれば名古屋から直通特急を走らせる等してドル箱の観光路線となって道路渋滞も解消されていたかもしれないですね(._.)
2枚目と3枚目のコラージュ写真は現在の終着駅である猿投駅の様子です。猿投駅は1924(大正13)年の開業当初は客車の廃車体を使ったものでしたが、周辺の土地を開墾した井上徳三郎なる人物が土地を提供して2代目の駅を改築したそうです。
猿投駅ホーム横には検車区があって、その検車区に侵入するたに猿投駅先の線路が数百メートル利用されている状態です。
猿投から先の廃止代替バスは豊田市のコミュニティバス「とよたおいでんバス」というのが足助まであり、そのバスに乗ってこの先を行きます。
では、次回のブログで廃線区間の駅へ更に入って行きましょ~(=゚ω゚)ノ
改めて1枚目に名鉄三河線の山線廃線区間の路線図を添付してみました(=゚ω゚)ノ
1920(大正9)年11月に知立から挙母(現在の豊田市)まで開業後は1922(大正11)年1月には越戸まで延ばし、1924(大正13)年には猿投まで開業しました。
その後1928(昭和3)年1月に西中金まで開業しました。
ですが猿投ー西中金間は乗客減少のため1985(昭和60)年3月から電車からレールバスに変更して合理化をするも、2004(平成19)年3月でこの区間は廃止となってしまいました(´;ω;`)
実はこの三河線山線は名鉄三河線の前身である三河鉄道の時代から開業した西中金から、この先の足助まで7.4㎞までの延伸計画がありました。
途中まで用地買収も進み路盤工事も完成していたのですが、残りの用地買収が難航した上に昭和の世界恐慌の影響で工事は進まず1941(昭和16)年に名古屋鉄道に合併後も諦めなかったのですが、ついに1958(昭和33)年に諸事情により断念してしまいました( ;∀;)
現在でも足助町香嵐渓付近は秋の紅葉時期になると相当ひどい渋滞が起きていると聞いているので、もしこの名鉄三河線が足助まで開業していれば名古屋から直通特急を走らせる等してドル箱の観光路線となって道路渋滞も解消されていたかもしれないですね(._.)
2枚目と3枚目のコラージュ写真は現在の終着駅である猿投駅の様子です。猿投駅は1924(大正13)年の開業当初は客車の廃車体を使ったものでしたが、周辺の土地を開墾した井上徳三郎なる人物が土地を提供して2代目の駅を改築したそうです。
猿投駅ホーム横には検車区があって、その検車区に侵入するたに猿投駅先の線路が数百メートル利用されている状態です。
猿投から先の廃止代替バスは豊田市のコミュニティバス「とよたおいでんバス」というのが足助まであり、そのバスに乗ってこの先を行きます。
では、次回のブログで廃線区間の駅へ更に入って行きましょ~(=゚ω゚)ノ
