メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
開業100年 三河線挙母駅
2021年03月02日 21:18
愛知県に豊田市という町があります、自動車産業で全国的に有名ですね。
その豊田のまちの中心を名鉄三河線、豊田線、そして愛知環状鉄道という鉄道路線が通っています。
その中の名鉄三河線が知立から豊田まで開業したのが1920(大正9)年11月1日のことで、昨年の2020年で開業100周年となります。
それを記念して、豊田市駅近くの豊田市近代の産業とくらし発見館という博物館にて「開業100年 三河線挙母駅」という企画展が2020(令和2)年10月23日から2021(令和3)3月7日まで開催しています。
足助でお雛さまを鑑賞した後に立ち寄ってみました(=゚ω゚)ノ
館内には三河線の紹介や歴史、貴重な資料、紹介のビデオ等色々と展示があり、三河線を走る電車のペーパークラフトを一枚もらうことが出来たりして楽しむことができました♪
名鉄三河線は豊田市の猿投から南下して名古屋本線の知立を通り、海の近い碧南市の碧南までを結ぶ営業距離39.8kmの路線であります。
2004(平成16)年までは猿投から西中金までと、碧南から吉良吉田まで路線が延びていました。
猿投ー碧南間を直通する電車は無く、知立で分断されています。そして知立から猿投の方の路線を「山線」、碧南の方の路線を「海線」と通称で呼んでいます。
3枚目の写真に名鉄三河線の路線図を添付しました。この路線図ですが、三河線の「海線」の駅は省略させていただきました。
ブログタイトルにもある三河線挙母駅というのは現在の豊田市駅の事で、以前の市名は「挙母(ころも)市」でした。
挙母市から豊田市に市名変更したのは1959(昭和34)年1月のことです、これは自動車産業が本格化したことによるものとのこと。
自動車産業が盛んになる前は養蚕・製糸業が盛んな町でした。この近代の産業とくらし発見館はもともと蚕の病気予防や品種改良に関する研究等をする建物でした。
挙母駅が開業した当時は駅の周辺に蚕を飼育する桑畑が広がっていたらしいです、現在の豊田市駅周辺からはとても想像が出来ませんね(@_@)
三河線の通称「山線」の廃線区間である猿投ー西中金間の周辺も散策をしてみました。
次回からはその話をさせていただきます(=゚ω゚)ノ
その豊田のまちの中心を名鉄三河線、豊田線、そして愛知環状鉄道という鉄道路線が通っています。
その中の名鉄三河線が知立から豊田まで開業したのが1920(大正9)年11月1日のことで、昨年の2020年で開業100周年となります。
それを記念して、豊田市駅近くの豊田市近代の産業とくらし発見館という博物館にて「開業100年 三河線挙母駅」という企画展が2020(令和2)年10月23日から2021(令和3)3月7日まで開催しています。
足助でお雛さまを鑑賞した後に立ち寄ってみました(=゚ω゚)ノ
館内には三河線の紹介や歴史、貴重な資料、紹介のビデオ等色々と展示があり、三河線を走る電車のペーパークラフトを一枚もらうことが出来たりして楽しむことができました♪
名鉄三河線は豊田市の猿投から南下して名古屋本線の知立を通り、海の近い碧南市の碧南までを結ぶ営業距離39.8kmの路線であります。
2004(平成16)年までは猿投から西中金までと、碧南から吉良吉田まで路線が延びていました。
猿投ー碧南間を直通する電車は無く、知立で分断されています。そして知立から猿投の方の路線を「山線」、碧南の方の路線を「海線」と通称で呼んでいます。
3枚目の写真に名鉄三河線の路線図を添付しました。この路線図ですが、三河線の「海線」の駅は省略させていただきました。
ブログタイトルにもある三河線挙母駅というのは現在の豊田市駅の事で、以前の市名は「挙母(ころも)市」でした。
挙母市から豊田市に市名変更したのは1959(昭和34)年1月のことです、これは自動車産業が本格化したことによるものとのこと。
自動車産業が盛んになる前は養蚕・製糸業が盛んな町でした。この近代の産業とくらし発見館はもともと蚕の病気予防や品種改良に関する研究等をする建物でした。
挙母駅が開業した当時は駅の周辺に蚕を飼育する桑畑が広がっていたらしいです、現在の豊田市駅周辺からはとても想像が出来ませんね(@_@)
三河線の通称「山線」の廃線区間である猿投ー西中金間の周辺も散策をしてみました。
次回からはその話をさせていただきます(=゚ω゚)ノ
