錦糸町マルイ教室
柳 秀三 さん
1800 臨終体験の動画
2020年12月07日 15:18


写真を撮ることを、「画を切り取る」といった表現をすることがある。
目で見えているすべてを収めるのではなく、そのポイントを選択して切り取る。
同じ風景を見ていても、その切り取り方によって、腕の差が出てくるのだろう。
どこを切り取るかによって、世界は変わる。
切り取り方によって、綺麗な風景にも不気味な風景にもなる。
いま地球中の人間の生命と財産を脅かしているサーズ・コロナウイルス・2の感染拡大の情報も、切り取り方次第で変わる。
サーズ・コロナウイルス・2は怖い、感染したくないし感染もさせたくない。
その点はみな一緒だろう。
しかし、情報の選び方次第で、見える世界が違ってくる。
さきほど、テレビを観ていた。
医療用のゴーグルとマスクを着けたアメリカ人医師が、こちらを覗き込んで、ライトの点いた検査器具を目いっぱい近づけてくる。
「これが、あなたの、あるいはあなたの家族が友達が最期に見る光景になるだろう」
「誰にも看取られず、あなたはこの光景を見ながら、独り死んでいく」
カメラをベッドに置いて、そのカメラに向かって自らが演技して取ったであろう動画を、アメリカミズーリ州のケン・レミー医師はSNSにあげた。
動画を見た人が臨終を体験しているかのように作った動画だ。
その動画が拡散され、日本のテレビ局も手に入れて放送したのを、俺も観たのだ。
悪ふざけではない、サーズ・コロナウイルス・2の感染を軽く見ている人への警告のために、動画を撮り、ネットにあげた。
悪趣味と言えるだろうか。
サーズ・コロナウイルス・2が世界を席巻し始めたころ、欧米の人々は、東アジアの人々がマスクをしているのをバカにしていた。
「ただの風邪だ」「コロナウイルスなんて、政府の嘘だ」
サーズ・コロナウイルス・2をバカにしていた。
しかし、いまは、アメリカ人の医師が、こんなことをして必死に訴えている。
「ざまぁ、見ろ」なのか。
対岸の火事なのか。
日本は欧米みたいにならないのか。
もちろん、なるともならないとも判断はつかない。
でも、軽く考えていると、アメリカ人医師ではなく、日本人医師がこんな動画を作らなければならなくなる。
柳 秀三
目で見えているすべてを収めるのではなく、そのポイントを選択して切り取る。
同じ風景を見ていても、その切り取り方によって、腕の差が出てくるのだろう。
どこを切り取るかによって、世界は変わる。
切り取り方によって、綺麗な風景にも不気味な風景にもなる。
いま地球中の人間の生命と財産を脅かしているサーズ・コロナウイルス・2の感染拡大の情報も、切り取り方次第で変わる。
サーズ・コロナウイルス・2は怖い、感染したくないし感染もさせたくない。
その点はみな一緒だろう。
しかし、情報の選び方次第で、見える世界が違ってくる。
さきほど、テレビを観ていた。
医療用のゴーグルとマスクを着けたアメリカ人医師が、こちらを覗き込んで、ライトの点いた検査器具を目いっぱい近づけてくる。
「これが、あなたの、あるいはあなたの家族が友達が最期に見る光景になるだろう」
「誰にも看取られず、あなたはこの光景を見ながら、独り死んでいく」
カメラをベッドに置いて、そのカメラに向かって自らが演技して取ったであろう動画を、アメリカミズーリ州のケン・レミー医師はSNSにあげた。
動画を見た人が臨終を体験しているかのように作った動画だ。
その動画が拡散され、日本のテレビ局も手に入れて放送したのを、俺も観たのだ。
悪ふざけではない、サーズ・コロナウイルス・2の感染を軽く見ている人への警告のために、動画を撮り、ネットにあげた。
悪趣味と言えるだろうか。
サーズ・コロナウイルス・2が世界を席巻し始めたころ、欧米の人々は、東アジアの人々がマスクをしているのをバカにしていた。
「ただの風邪だ」「コロナウイルスなんて、政府の嘘だ」
サーズ・コロナウイルス・2をバカにしていた。
しかし、いまは、アメリカ人の医師が、こんなことをして必死に訴えている。
「ざまぁ、見ろ」なのか。
対岸の火事なのか。
日本は欧米みたいにならないのか。
もちろん、なるともならないとも判断はつかない。
でも、軽く考えていると、アメリカ人医師ではなく、日本人医師がこんな動画を作らなければならなくなる。
柳 秀三
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