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”旅をするなら、鉄道がいい(^^♪”

 メッツ大曽根教室  鉄道の旅人 さん

かつて本州ー四国のメイン航路だったらしい

 2020年06月05日 21:25
下津井は江戸時代には北前船による綿花、ニシン粕の中継取引港として栄えた港町でありました。
そして本州と四国との距離が短かったことから昔から主要航路の一つだったらしく金毘羅参りの人々等がたくさん利用していたとのことです。江戸時代は大坂から丸亀まで金毘羅参詣客のための金毘羅船が就航していて、下津井にも立ち寄っていたとのことです。
ところが1910年(明治43)に岡山-宇野間の国鉄宇野線が開通して、これに接続する形で宇野ー高松間に宇高連絡船の運航が開始されてからは下津井ー丸亀間航路の利用客が減少したという経緯があります。下津井電鉄はその地元の有力者が利用客を戻そうとして計画されたわけなんですね。

下津井電鉄に訪問した時に下津井駅近くに港があって、そこから丸亀までのフェリーが出ていたので僕も利用してみました(^ω^)
ほぼ瀬戸大橋に沿って運行していきます、途中本島という下津井ー丸亀間のほぼ中心にある離島に立ち寄ってから丸亀に向かうというルートでした。
瀬戸大橋が綺麗に見えて気持ち良かったのを思い出しました(●´ω`●)

この下津井ー丸亀間航路は1999年(平成11)8月に廃止となってしまったので、瀬戸大橋を眺めながら丸亀まで行くことはできなくなってしまいました( ;∀;)
現在は下津井港のフェリー発着場は無くなって漁港として機能しています。


江戸時代から本州と四国を結ぶメイン航路の一つであった下津井ー丸亀間は宇高航路や瀬戸大橋に影響されつつ、結局は無くなってしまいました。
下津井の町には江戸時代の商家が残っている町並みが保存されているようなので、訪問して北前船の寄港地として栄えた雰囲気を味わってみるのもいいかもしれませんね(●^o^●)
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