メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
名鉄線の廃線の思い出……揖斐線②
2020年04月28日 21:22
名鉄揖斐線の忠節駅は名古屋本線や各務ヶ原線の名鉄岐阜駅とは路面電車で結ばれていました。
名古屋から揖斐線に乗ろうと思うと、名鉄岐阜まで行って一旦改札をでて駅前の路面電車のりばに行き、そこから忠節行きの路面電車に乗ります。
そして忠節で揖斐線の電車に乗り換えて本揖斐方面に向かうという段取りでした。
こうなると乗り換えの不便さがあるので、それを改称すべく路面電車と揖斐線の線路が繋がっていたのを利用して1967年(昭和42)に直通運転が開始されました。この直通運転に使われた車両というのが1926年(大正15)生まれのモ510形という2枚目の写真の電車です(=゚ω゚)ノ
当時の車齢が40年余りだったとはいえ、直通電車に選ばれたのはステップがあって路面でも郊外でも対応することができたためと思われます。直通電車は急行として運転されて、普通電車は忠節発で運転されていました。ちなみに僕はこの電車には一度だけ乗ったことがあります♪
名鉄岐阜駅前から本揖斐まで急行電車として直通運転されていましたが、1984年(昭和59)にダイヤの見直しが行われて黒野止まりとなり黒野ー本揖斐間は一部の電車を除いてこの区間の折り返し運転となりました。
そして1987年(昭和62)にはモ770形という揖斐線発の新車が登場して、この電車で直通急行が運転されるようになりました。1997年(平成9)にはモ780形という新車が登場するとすべての電車が路面電車から揖斐線への直通電車となりました。(3枚目のコラージュ写真)
旧型のモ750形は黒野ー本揖斐間のみの運転です。その黒野ー本揖斐間は谷汲線と同じく2001年(平成13)に廃止となりました。
残った区間である忠節ー黒野間もすべてが新型車両となり、直通運転をして頑張っていましたが、その区間も岐阜市内の路面電車や岐阜の関市まで延びていた美濃町線とともに2005年(平成17)に廃止となってしまいました( ;∀;)
では次回のブログも揖斐線の話をします……
名古屋から揖斐線に乗ろうと思うと、名鉄岐阜まで行って一旦改札をでて駅前の路面電車のりばに行き、そこから忠節行きの路面電車に乗ります。
そして忠節で揖斐線の電車に乗り換えて本揖斐方面に向かうという段取りでした。
こうなると乗り換えの不便さがあるので、それを改称すべく路面電車と揖斐線の線路が繋がっていたのを利用して1967年(昭和42)に直通運転が開始されました。この直通運転に使われた車両というのが1926年(大正15)生まれのモ510形という2枚目の写真の電車です(=゚ω゚)ノ
当時の車齢が40年余りだったとはいえ、直通電車に選ばれたのはステップがあって路面でも郊外でも対応することができたためと思われます。直通電車は急行として運転されて、普通電車は忠節発で運転されていました。ちなみに僕はこの電車には一度だけ乗ったことがあります♪
名鉄岐阜駅前から本揖斐まで急行電車として直通運転されていましたが、1984年(昭和59)にダイヤの見直しが行われて黒野止まりとなり黒野ー本揖斐間は一部の電車を除いてこの区間の折り返し運転となりました。
そして1987年(昭和62)にはモ770形という揖斐線発の新車が登場して、この電車で直通急行が運転されるようになりました。1997年(平成9)にはモ780形という新車が登場するとすべての電車が路面電車から揖斐線への直通電車となりました。(3枚目のコラージュ写真)
旧型のモ750形は黒野ー本揖斐間のみの運転です。その黒野ー本揖斐間は谷汲線と同じく2001年(平成13)に廃止となりました。
残った区間である忠節ー黒野間もすべてが新型車両となり、直通運転をして頑張っていましたが、その区間も岐阜市内の路面電車や岐阜の関市まで延びていた美濃町線とともに2005年(平成17)に廃止となってしまいました( ;∀;)
では次回のブログも揖斐線の話をします……
