メッツ大曽根教室
鉄道の旅人 さん
明智荘を歩く① 明智城祉
2020年03月10日 21:09
さて少し前のブログで、恵那市明智町に行った話をしました。
そして明智光秀ゆかりの地であることも話しましたね。
恵那市明智町は明智光秀の生誕地と言われていますが、実は明智光秀の生誕地は色々と説があってよくわからないのだそうです。「明智」という地名は岐阜県恵那市の他にも、同じ岐阜県の可児市東部にかつて明智荘と呼ばれた地域があり、この場所も明智光秀の生誕地と言われております(=゚ω゚)ノ
恵那市に明知城祉があったのですが、可児市にも明智城祉があると聞いて足を運んでみました。
最寄り駅が名鉄広見線の新可児駅から一つ目の明智駅でございます。(1枚目のコラージュ写真)
ここから明智城址の大手門入口まで約20分程度、そこからゆるやかな石段の山道を歩いて行きます。(2枚目のGIF動画)
上まで歩くと広場となっていて、ここに明智城址本丸跡石碑がたっていました。
木で作られた展望台が整備されており、ここから明智荘と言われていた地域を一望することができます。
明智駅から明智城本丸跡まで約30分見ておけば行けそうです、結構良い感じのハイキングコースになる気がしますね(^ω^)
明智城は『美濃国諸旧記』という書物によると、1342年(康永元)に土岐頼兼がここに城を築いて居城とし、以後「明智」の名字を名乗るようになったとのこと。
この土岐明智氏が光秀と深い関わりがあるというのが通説らしいですね。ですので明智光秀はここで生まれたとされています。
この明智城は1556年(弘治2)に斎藤義龍に攻略されて落城したとのこと。明智光秀はその時に脱出して諸国流浪ののち織田信長に仕えたらしいです( ..)φ
ちなみに明智光秀の生誕地はここにあげた恵那市、可児市の他に同じ岐阜県の瑞浪市、山県市、大垣市、あと滋賀県という説もあるのだそうです。
明智光秀って意外とわかっていないことが多いようで、大河ドラマの主役となったのがきっかけかもしれませんが、注目されて以前よりは色々とわかってきてはいるようですね(^ω^)
そして明智光秀ゆかりの地であることも話しましたね。
恵那市明智町は明智光秀の生誕地と言われていますが、実は明智光秀の生誕地は色々と説があってよくわからないのだそうです。「明智」という地名は岐阜県恵那市の他にも、同じ岐阜県の可児市東部にかつて明智荘と呼ばれた地域があり、この場所も明智光秀の生誕地と言われております(=゚ω゚)ノ
恵那市に明知城祉があったのですが、可児市にも明智城祉があると聞いて足を運んでみました。
最寄り駅が名鉄広見線の新可児駅から一つ目の明智駅でございます。(1枚目のコラージュ写真)
ここから明智城址の大手門入口まで約20分程度、そこからゆるやかな石段の山道を歩いて行きます。(2枚目のGIF動画)
上まで歩くと広場となっていて、ここに明智城址本丸跡石碑がたっていました。
木で作られた展望台が整備されており、ここから明智荘と言われていた地域を一望することができます。
明智駅から明智城本丸跡まで約30分見ておけば行けそうです、結構良い感じのハイキングコースになる気がしますね(^ω^)
明智城は『美濃国諸旧記』という書物によると、1342年(康永元)に土岐頼兼がここに城を築いて居城とし、以後「明智」の名字を名乗るようになったとのこと。
この土岐明智氏が光秀と深い関わりがあるというのが通説らしいですね。ですので明智光秀はここで生まれたとされています。
この明智城は1556年(弘治2)に斎藤義龍に攻略されて落城したとのこと。明智光秀はその時に脱出して諸国流浪ののち織田信長に仕えたらしいです( ..)φ
ちなみに明智光秀の生誕地はここにあげた恵那市、可児市の他に同じ岐阜県の瑞浪市、山県市、大垣市、あと滋賀県という説もあるのだそうです。
明智光秀って意外とわかっていないことが多いようで、大河ドラマの主役となったのがきっかけかもしれませんが、注目されて以前よりは色々とわかってきてはいるようですね(^ω^)
