錦糸町マルイ教室
柳 秀三 さん
1125 生を延ばす
2019年10月25日 17:35

人の死にたかだか一回立ち会ったからと言って、断言できることではないだろうけど、これからは死に方も大事だなと、感じた伯母の死である。
自分の口で飲食できない高齢者に点滴で生を延ばすことが、良いことだろうか、正しいだろうか。
生命力のあるものが、病気やけがで生命が危うい時に一時的に点滴や人工呼吸で生を延ばすことは、もちろんあるべきことだし、必要だと思う。
そこさえ乗り切れば、またもとどおりに、あるいはそれに近いほどにまでに回復すると言うならば、本人にとっても家族にとっても幸せなことである。
しかし、90歳を過ぎて、自力で飲食できない、呼吸できない、その状態で、生を引き延ばす機器を装着して幸せだろうか。
年齢で決めてしまうことではないが、伯母の場合を考えると、飲食を拒んでいる時点で、寝たきりになった時点で、その生を引き延ばすことは、伯母には苦行だったんじゃないだろうかと思う。
腕を上げることもなく、しゃべることもなく、目を開けることもなく、ただ管に繋がり呼吸しているだけ。
老人ホームで居住していた昨年の暮れに、インフルエンザにかかり、ホームドクターの指示により抗生剤を投与され、インフルエンザは治ったものの、食欲がなくなりドクターの勧めで、ドクターとは別のクリニックに入院した。
食事をしなければ死に至る。
その死を避けるためには点滴であり、点滴は医療行為であり老人ホームで寝起きしたままではできない。
なので、クリニックへの入院である。
ここの部分を、俺は電話だけで了承してしまった。
入院しても一向に口からの飲食を受け付けない伯母を見て、俺は良くないことをしたと思った。
入院させるべきではなかった。
人はいつか死ぬ。
管を着けて生を延ばして、生きていると言えるか。
よくよくホームドクターと話をして、老人ホームのスタッフとも話して、生を延ばすのではなく、残り少ない時間を入院ではなく、自分の部屋で送れるように模索するべきだった。
言い訳させてもらえるならば、俺は入院によって飲食がもと通りになるものだと思っていた。
いまにして思えば、老人ホームに入居したころからの伯母を見ていれば、断言はできないが、そんなことは起きないのである。
柳 秀三
自分の口で飲食できない高齢者に点滴で生を延ばすことが、良いことだろうか、正しいだろうか。
生命力のあるものが、病気やけがで生命が危うい時に一時的に点滴や人工呼吸で生を延ばすことは、もちろんあるべきことだし、必要だと思う。
そこさえ乗り切れば、またもとどおりに、あるいはそれに近いほどにまでに回復すると言うならば、本人にとっても家族にとっても幸せなことである。
しかし、90歳を過ぎて、自力で飲食できない、呼吸できない、その状態で、生を引き延ばす機器を装着して幸せだろうか。
年齢で決めてしまうことではないが、伯母の場合を考えると、飲食を拒んでいる時点で、寝たきりになった時点で、その生を引き延ばすことは、伯母には苦行だったんじゃないだろうかと思う。
腕を上げることもなく、しゃべることもなく、目を開けることもなく、ただ管に繋がり呼吸しているだけ。
老人ホームで居住していた昨年の暮れに、インフルエンザにかかり、ホームドクターの指示により抗生剤を投与され、インフルエンザは治ったものの、食欲がなくなりドクターの勧めで、ドクターとは別のクリニックに入院した。
食事をしなければ死に至る。
その死を避けるためには点滴であり、点滴は医療行為であり老人ホームで寝起きしたままではできない。
なので、クリニックへの入院である。
ここの部分を、俺は電話だけで了承してしまった。
入院しても一向に口からの飲食を受け付けない伯母を見て、俺は良くないことをしたと思った。
入院させるべきではなかった。
人はいつか死ぬ。
管を着けて生を延ばして、生きていると言えるか。
よくよくホームドクターと話をして、老人ホームのスタッフとも話して、生を延ばすのではなく、残り少ない時間を入院ではなく、自分の部屋で送れるように模索するべきだった。
言い訳させてもらえるならば、俺は入院によって飲食がもと通りになるものだと思っていた。
いまにして思えば、老人ホームに入居したころからの伯母を見ていれば、断言はできないが、そんなことは起きないのである。
柳 秀三
コメントがありません。
コメント
0 件