錦糸町マルイ教室
柳 秀三 さん
1038 ウルトラマン
2019年09月07日 12:28

ウルトラマンは、のちに「ウルトラマン」と名付けられた異星人が、やはり地球外生命体で凶悪な「ベムラー」を追って地球まで来て、その地球での追跡劇の途中で、ビートルで飛行中の科学特捜隊の隊員「ハヤタ」を死なせてしまう。
異星人ウルトラマンは、死んだハヤタを生かすため自らの命を授け、異星人とハヤタは一体となる。
一方、ウルトラセブンは違う。
のちにウルトラセブンと呼ばれるようになる異星人が地球に訪れ、地球上で活動するために、地球人に化け、「モロボシダン」に成りすまし、ウルトラ警備隊に入隊してしまう。
モロボシダンのモデルは勇気ある日本人「薩摩次郎」である。
どちらも、怪獣が出現すると人間の姿から変身・巨大化して、ウルトラマン・ウルトラセブンになって、怪獣と戦う。
のちにどちらも「ウルトラシリーズ」となるが、もともとは別の物語であり、ハヤタは乗っ取られてるとは言え地球人であるが、モロボシダンはまったくの異星人である。
ちなみにウルトラマンの最終話では、ウルトラマンは同じ星の生命体「ゾフィー」に帰郷を促されるが、自分がハヤタから離れるとハヤタが死んでしまうと訴えたため、ゾフィーはふたつある命のひとつをハヤタに授け、異星人たちは地球を去る。
息を吹き返したハヤタは、第一話のベムラー以降の記憶が無い様子を見せる。
この部分の記憶の無い演出は不要であると俺は思う。
なぜなら、そうだとすると、第一話以降、ハヤタの意識はなかったことになる。
姿はハヤタでも、ずっと、異星人だったのだ。
これではなんだか変である。
地球人ハヤタはぜんぜん活躍していないのだ。
対してウルトラセブンは徹底している。
モロボシダンは最初から最後まで異星人なのである。
戦うときだけ本来の姿に戻り、普段はモロボシダンとして過ごしている。
最後は「アンヌ」に「僕はウルトラセブンなんだ!」と言って別れを告げる。
ウルトラセブンの方が設定が優れている。
また、秀逸なストーリィもいくつかある。
ウルトラマンは怪獣番組だが、ウルトラセブンはSFと呼べる。
それでも、俺はウルトラマンの造形のほうが好きである。
一緒のシリーズにしてほしくなかった。
別々に好きになりたかった。
柳 秀三
異星人ウルトラマンは、死んだハヤタを生かすため自らの命を授け、異星人とハヤタは一体となる。
一方、ウルトラセブンは違う。
のちにウルトラセブンと呼ばれるようになる異星人が地球に訪れ、地球上で活動するために、地球人に化け、「モロボシダン」に成りすまし、ウルトラ警備隊に入隊してしまう。
モロボシダンのモデルは勇気ある日本人「薩摩次郎」である。
どちらも、怪獣が出現すると人間の姿から変身・巨大化して、ウルトラマン・ウルトラセブンになって、怪獣と戦う。
のちにどちらも「ウルトラシリーズ」となるが、もともとは別の物語であり、ハヤタは乗っ取られてるとは言え地球人であるが、モロボシダンはまったくの異星人である。
ちなみにウルトラマンの最終話では、ウルトラマンは同じ星の生命体「ゾフィー」に帰郷を促されるが、自分がハヤタから離れるとハヤタが死んでしまうと訴えたため、ゾフィーはふたつある命のひとつをハヤタに授け、異星人たちは地球を去る。
息を吹き返したハヤタは、第一話のベムラー以降の記憶が無い様子を見せる。
この部分の記憶の無い演出は不要であると俺は思う。
なぜなら、そうだとすると、第一話以降、ハヤタの意識はなかったことになる。
姿はハヤタでも、ずっと、異星人だったのだ。
これではなんだか変である。
地球人ハヤタはぜんぜん活躍していないのだ。
対してウルトラセブンは徹底している。
モロボシダンは最初から最後まで異星人なのである。
戦うときだけ本来の姿に戻り、普段はモロボシダンとして過ごしている。
最後は「アンヌ」に「僕はウルトラセブンなんだ!」と言って別れを告げる。
ウルトラセブンの方が設定が優れている。
また、秀逸なストーリィもいくつかある。
ウルトラマンは怪獣番組だが、ウルトラセブンはSFと呼べる。
それでも、俺はウルトラマンの造形のほうが好きである。
一緒のシリーズにしてほしくなかった。
別々に好きになりたかった。
柳 秀三
ハムサンドさん
ははぁ、やっぱり、女性もウルトラマン、観たんですか。
柳 秀三
ははぁ、やっぱり、女性もウルトラマン、観たんですか。
柳 秀三
コメント
1 件